にっぽん縦断 こころ旅
火野正平様
私は1948年生まれのベビーブーム世代で、火野様とは ほぼ同年代です。
古希を迎えてそろそろ終活(語り継ぎ)を考えています。大河ドラマ『国盗り物語』の木下藤吉郎・秀吉役は火野様だったのですね、何となく覚えています。
膝を痛めてからはアップダウンの旅は苦手で、こころ旅の番組を見て、日本の各地の小旅行を行った気分になって楽しんでいます。
さて、大分県を訪ねられると知り、私の物心が付くか付かないかの幼少の頃の想い出の場所があります。大分県豊後高田市猫石(ねこいし)の干拓地にあった塩田跡地に今も残る大煙突です。
私の母方の祖父は香川県の坂出で塩農家(しおのうか)を営んでいました。昭和初期の塩田不況の時に新天地を求めて、瀬戸内式気候であるこの地に、一族で入植してきました。入浜式で一番浜から五番浜まであり、祖父は五番浜を持ち、塩田組合長でもありました。それぞれの浜で濃い塩水を炊いていましたが、ある夏に雷で煙突が壊されたそうです。そこで、自宅の小川を挟んだ場所に、「ゴウド(合同?)」と呼ばれる避雷針を持つ大煙突の共同塩炊き工場が作られたそうです。
そこには塩を炊いて出る蒸気を集めた、地域公開の24時間かけ流しの蒸留水風呂が二つありました。私は毎日連れて行かれたようで、水鉄砲で掛けられた蒸留水の苦い味が忘れられません。
私が5~6才頃に、塩炊き窯は「真空式」という方式に変わり、かなり離れた場所に、地域集約型の新工場が出来てからは廃墟となりました。近所の子供たちと煙突の中で歌を歌うと、エコーが効いて歌が上手くなったような気がしていました。私が小学校6年生の時に、国策で塩田が廃止され、一族は転職となりこの地を去りましたが、大煙突だけは壊されずに残っています。残念ながら風呂跡は埋められたようです。
ネット上では何の煙突か分からず不思議がられています。そして知る人も殆どいなくなりました。正平様、是非訪れてみてください。ほとんど平野ですから宇佐八幡神宮あたりから出発されて、一寸旧道に入ればシニアにお薦めの「昭和の町」を行くことができます。
大分県中津市
吉村泰洋さん(71歳)からのお手紙