にっぽん縦断 こころ旅
誰かにそっと教えたい、こころの絶景
火野正平さん、そしてスタッフの皆さん日本縦断の長旅、ご苦労様です。
私の心の旅は 以前放送された北九州市にある馬島の隣、六連島(むつれじま)での約50年前の思い出です。
当時我が家には車がなく(あっても家族8人で乗れない)家族で出かけることなど全くありませんでした。小学高学年になると日々の生活に閉塞感を感じ何処か遠くへ行きたいと言う気持ちが芽生えてきました。
そんなある年、六連島の分校が閉校となり島の子供達が船で私の小学校に通うようになります。遠くの島から来た友人に敬意を表し「ロクレントウから来たヘイ・ノウ(平野)さん」などと言って、からかっていました。
ある日彼から「家に泊まりに来いや」と誘われ、早速母に言うと案の定ダメの一言。
それでもしつこく何度も懇願すると、母も根負けして「行ってもいいけど泊まるのは絶対ダメ」と条件付きの許可をくれました。
そこでガキ達の悪知恵が働きます。最終便に乗り遅れる計画を企てます。
さすがに罪悪感から母が見ているわけでもないのに、ゆっくり坂を下り連絡船が出た港で「ア~間に合わなかった」と芝居を打ちました。
薄暗い灰色の夕方でしたが自分の心も同じ色でした。でも人生初めてのお泊り、興奮し過ぎてあまり寝られません。
その夜は雨でしたが翌朝は一変快晴、友達に連れられ曲りくねった迷路を抜け、うっそうと茂った竹ササのトンネルをくぐると、いっきに視界が開け馬島が真横に見える白い砂浜と透き通った青い海の海岸線に辿り着きます。
そこは「誰もいない海」と言うより、「誰も来ない海」で思う存分自分をさらけ出せる場所でした。好きな子の名前を特大の相合傘に書いたり、大声でその子に告白したり すぐ近くにある弥生時代の遺跡を掘り返して土器片を集めたりと(すでに時効が成立) 人生で一番楽しい時でした。
後に父からある事を聞かされます。
父が小学6年の夏、下関側の海岸からいつも見慣れているはるか遠くの六連島に行ってみたいという衝動にかられ腹を決めて島を目指し1人で泳ぎ出したそうです。
結局、半分ほど行った所で身の危険を感じ断念して引き返したそうですが、父も自分と同じ思いを抱いていたことを知りました。
それにしても無鉄砲すぎるおやじ、恐るべし!
今も下関の彦島大橋からは昔と変わらず白い砂浜が見えます。
そしてあの頃の思い出と亡き父の大海原を泳ぐゴマ粒ほどの姿が目に浮かびます。
山口県下関市 村岡 謙三 60歳
山口県下関市
村岡謙三さん(60歳)からのお手紙