にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、スタッフの皆さん、遠路お疲れ様です。
ようこそ山口県へ!
自転車をこがれている後ろ姿からかいま見る正平さんの鍛えられた足に全国を駆けめぐられたたまものなのだろうな、などと見入っています。
私の「こころの風景」は、山口県北西部に位置する、長門市油谷湾に浮かぶ 手長島(てながじま)です。
かわいい島で、海に両手を伸ばしているようです。
45年前、最初の赴任地である油谷向津具(むかつく)半島にある小学校に事務職貝として採用されました。両親もこのことをたいヘん喜んでくれました。ところが、採用3日目に母が重篤な病気とわかりました。初めての仕事にとまどい、泊つきの新採研修もあり、たいへんな日々が始まりました。その頃、車の免許を取ったばかりで、住んでいた青海島(おおみじま)の自宅から40km近くある学校まで1時間かけて通勤していました。母の病気が完治しないとわかっていたので家族は心が沈む毎日でした。
手術のため医大に入院した母を週末に見舞い、家事もこなさなくてはなりません。とにかく目の前のことだけを必死でやっていたように思います。
地元の病院に転院してからは夜は病院に付き添い、病院から仕事に。叔母たちも交代で看護に当たってくれました。水産高校専攻科1年の弟は昼休みに自転車で学校から2kmほどの病院に母の様子を見に行ってくれていました。
しかし、1年3か月の闘病の後、亡くなりました。母46歳、私25歳、病院に見舞ってくれていた下の弟は19歳でした。
昼間は仕事で気が紛れることもありましたが、勤務終了後、車に乗ると母のことが思われて、思われて・・・。また、私たち家族はどうなるのだろうという大きな不安もありました。
帰る途中、あかね色に染まった美しい油谷湾が見えるところに車を停めて、そこに浮かぶ手長島を泣きながらしばらくぼーっと眺めて帰るのが常でした。夕陽に染まった油谷湾、手長島にはなぐさめられました。
母が亡くなって45年経ちますが、ずっと、頑張って一人暮らしをしていた父も2年前の11月、94歳で亡くなりました。
たまに、油谷に出かけるとき、湾に浮かぶ手長島を見る度、当時の、つらかった、悲しかったことを思い起こし、同時に、頑張った若い頃の自分を思い出すのです。
山口県
渡辺 陽子 69歳
山口県長門市
渡辺陽子さん(69歳)からのお手紙