にっぽん縦断 こころ旅
今から40年前、岡山県の名勝、鷲羽山のふもとの倉敷市下津井田ノ浦で私は、高校生になるまで育ちました。
今と違いじいちゃん、ばあちゃん、父と母、そして私
路地の奥に家と家が重なり合い、窓を開けると隣の家の食卓が見えたりして。
私の家は、夏場鷲羽山の下の大浜海水浴場で海の家を営んでいました。
でも私は、そのせいで夏は旅行も海水浴も連れて行ってもらえず海の家がいやでいやでたまりませんでした。
そんな小学生の時、私は母にお弁当を持って鷲羽山で食べたいとせがみました。
母は、海の家を切り盛りしていたこともありとても料理上手な人でした。
周りの友達が旅行やら海水浴やら楽しそうに出かけるのを見て自分もそのまねごとをしてみたかったのかもしれません。
母はおにぎり、卵焼き、ウインナー、うさぎのりんごやらを作ってくれました。
そして海の家へ行く道すがらではありましたが、鷲羽山の展望台付近の岩の上で母と二人お弁当を食べました。
その美味しかったこと
初夏の一日そこからは、今のように瀬戸大橋はありませんが、大小島々がきらきらと瀬戸内海を彩り心地よい風が、私達ふたりを包んでくれました。
あれから父は亡くなり母は今認知症になり施設で過ごす日々です。
不満だらけの毎日だったはずなのに、今はそんな小さな小さな想い出が愛おしくせつなく思出されます。
国屋 秀子
(旧姓)田原 秀子
岡山県玉野市
国屋秀子さん(58歳)からのお手紙