にっぽん縦断 こころ旅
「こころに描く行ってみたい場所」
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、いつもこころ旅
楽しく拝見しております。
さて、私の心の風景は、浜田市国分町にある畳ヶ浦の岩と岩の間にできた潮溜まりです。
小学生の頃、初夏の週末の朝、突然父が「行こうか!」と大声をだすと家中大騒ぎ。亭主関白でせっかちな父は、さっさと着替えて車に乗り込み、エンジンをかけ「えっ~、まだ準備ができないの?」 「遅いよ!」と大声で叫んでいます。
家の中では母が手際よく弁当を作り準備完了。
JR浜田駅のそばの我が家から畳ヶ浦へ出発です。
車で20分程走ると、もうそこは海。畳ヶ浦の手前の小さな漁港に駐車し、麦藁帽子とサンダル、弁当に水筒、釣竿に敷物を抱えて歩き出します。
コンクリートのトンネルと薄暗い洞窟を抜けると、いきなりぱっと視界が開け、不思議な形の石を載せた千畳敷きの石畳が現れます。
もう心は浮き浮き。両親の「走るな」なんて声も耳に入りません。
荷物を放り投げ すたこらさっさと駆け出します。
腰掛に似たノジュールという奇岩に飛び乗ったり、馬の背と呼ばれる小山によじ登ったりと大忙し。
畳ヶ浦は1600万年前から隆起や沈下を繰り返し、更に明治時代の大地震によって現在の地形になったようですが、私には最高の天然の遊び場です。
やがて岩と岩の間にできた潮溜まりに移動です。
潮溜まりはワカメ、雲丹、サザエや様々な貝とイソギンチャク、逃げそびれた魚がいる天然の水族館でいつまでも見飽きません。
父の「弁当を食べようやあ」との声で、一旦おにぎりと卵焼きをほおばり、また潮溜まりに駈け戻ります。そして夕食用の貝、雲丹、サザエ採りの始まりです。父も母もほどなく参戦。
持参した網の袋が一杯になるまで取り続けます。
今なら漁協の人達が飛んできて大目玉をくらうのでしょうが、
当時はおおらかでしたね。
畳ヶ浦に行った夜は、貝ご飯に雲丹やサザエが食卓にのる豪勢で幸せな夕食でした。
高2の5月の連休、久しぶりに家族3人で畳ヶ浦に出かけました。
その頃父は体調を崩し、母の手作り弁当にほとんど手をつけませんでした。
間も無く入院した父は、3カ月後あっけなく他界しました。
あれから40年。私は高校を卒業後、東京の学校に進学し、そのまま東京で就職。実家もなくなった浜田や畳ヶ浦に帰省することもなくなりました。
正平さん、私の代わりに父と母と行った畳ヶ浦と潮溜まりの風景を是非見せて下ざい。
東京都世田谷区 品川 晋哉 59歳
東京都世田谷区
品川晋哉さん(59歳)からのお手紙