にっぽん縦断 こころ旅
前略 火野正平様 いつも拝見させて頂き、高い所や細い橋をこわがっておられるところを 年上のかたなのに可愛いなあ、なんて思っております。
私の心に刻まれているのは、一畑電車の情景です。
次男は、二歳のとき自閉症と診断されました。言葉も出ず、パニックを起こしては泣き、暴れ、はだしで家を飛び出すこともしょっ中でした。
家族で出掛けるとか、外食するのも事前に絵カードを使い、「こわくないよ、楽しいよ」と何度も言ったりしなくてはならず、それでも、ちょっとしたことに敏感に反応してしまい、行く途中の車の中で物を投げつけ、仕方なく自宅に引き返すこともしばしばでした。
電車に乗せようと思ったのは、息子が5歳にもならないときでしたが、将来 交通手段として使うことになった時 困らないための練習と、本人が何故か電車の絵本が大好きで、よく舌のまわらないまま「これ読んれ(で)、読んれ (で)」と 私のところに持ってきていたので、もしかしたら うまくいくかもしれないと思ったのです。
松江しんじ湖温泉駅から乗車した時、いちばん前の、運転士さんのすぐ後ろに家族で座りました。次男坊は、景色よりレールをじっと見つめ、きっと自分が運転している気になったのでしょう。自家用車とかバスだと、初めて行く場所は不安がピークになり、車中で物を投げたり走り回ったりするので、私は いつパニックが起きるか、ドキドキしながらいつでも降りる覚悟でいましたが、息子はじいっとレールと運転士さんを見つめ、不思議なくらい静かに集中していました。
そしてついに出雲大社についた時、嬉しさとほっとしたのが入り混じり、私は折角の景色をぜんぜん見ていなかったことに気づきました。
帰りの息子は慣れたのか、車内であちこち座ってみたり、つり革にさわりたがって父親に抱っこされたり。私もようやく 上の子とゆったり景色をながめることができました。
あれから13年ほどたち、次男は一人で電車に乗ります。愛用の自転車を積み込んで。ちゃんと自分と自転車のチケットも買えるようになり、周りの迷惑にならないよう自転車を端っこに寄せて。途中フォーゲルパークや平田で降りてサイクリングを楽しんだり、また一人で帰って来ます。
そして何を見たか、何を食べたかなど、話してくれます。
二歳検診の時には、全身の筋力が無いと言われ、言葉の出なかった子が、今 養護学校の高等部で会長と、バスケ部部長をしています。
一時は、育てる辛さのあまり、この子を産まなければよかったのかもと 考えたこともありましたが、今では 彼は我が家のムードメーカーです。
生まれてくれてよかったと、本当に思います。
これからも、この子には人生の雨、風、波が降りかかってくるでしょう。
でも、きっと乗り越えてくれると信じています。
火野さんには、息子の見た景色を、どうか見てほしいと思います。
どうか道中身体を大切に、お気をつけて。
かしこ
島根県松江市
山田好美さん(56歳)からのお手紙