にっぽん縦断 こころ旅
火野さん、スタッフの皆さん、初めまして。
旅の道中、火野さんが動植物に足を止める姿に共感しつつ観ております。
さて、私が祖父に見せてあげたい風景は、読谷村の読谷飛行場跡です。
貧乏農家の次男だった祖父は、鉄道員から強制的に陸軍へ。時代は日中戦争の最中。東京の陸軍学校で経理を学び、満州などを経て昭和19年の春、飛行場建設のため読谷村に配属となりました。食料調達や給与計算を行いつつ、建設作業に従事していましたが、その年の11月の朝、突然 米軍の戦闘機が現れて飛行場を攻撃。惨状を目の当たりにした祖父も身近に爆撃を受け、重傷を負いました。その後、米戦艦が取り巻く沖縄を潜水艦で離れ、別府や相模原の病院で治療を受けているうちに戦争が終わりました。
それから約60年後、家族で沖縄を訪れました。飛行場跡も旅程に入れていましたが、各所回っているうちに夕暮れとなり、読谷村に着いた頃には夕闇が迫っていました。タクシーで滑走路跡を少し走った後、資料館のある丘から全体を眺めましたが、暗くてよく分かりませんでした。祖父は暗闇をじっと見つめていました。
今年で満百歳を迎える祖父は、今も農業機械を乗り回す現役農家ですが、さすがに遠出は難しいようです。火野さんとチャリオ君で飛行場跡を駆け抜けていただき、資料館からの眺めを見せてくださると、果たせなかった思いが1つ叶います。よろしくお願いいたします。
三重県伊賀市
大川昌栄さん(40歳)からのお手紙