にっぽん縦断 こころ旅
拝啓
火野正平様、スタッフの皆様、こんにちは。
いつも楽しく拝見しております。坂あり、橋あり、大変ですね。ご苦労様です。
私もどうしても見たいところがあります。それは、小田原市の小峰グランドへ通じる東海道線にかかる跨線橋です。
私の父は、女の子2人を連れた人と再婚をしまして、次に私の異母弟が生まれました。
父の会社が遠いので、私は、朝は5時に起こされ朝飯の支度をします。夜は異母姉の夫が東京から帰ってお風呂に入ってから私が入り、風呂の掃除をしてから寝ます。家族は7人で私は小学5~6年生でした。私の生活は筆舌に尽くしがたく、学校は骨休めに行くようなところでした。ある日、死んでしまおうと思い、手にしていた包丁もまな板も投げ出して家を飛び出して夢中で駆けて跨線橋へ走りました。電車は次々と来ますが、今度こそ今度こそと思う間に電車は走り去って、今飛び降りたら電車の屋根に落ちて死ねないなと思っている時に見えたのは真っ白いテーブルクロスと真っ赤な花、アッ、あれはきっと食堂車だなと思い、反対側の欄干に駆け寄ると電車の後に丸い看板がついてつばめと書いてありました。そうか、あれはつばめなんだ、あれは食堂車なんだ・・・私も一度つばめに乗って食堂車というのに乗ってから死のうと思い、夢中で駆けてきた道をトボトボと戻りました。家に帰ると案の定さんざん叱られましたが、私は早く大人になって食堂車に乗ってから死のうと頑張りました。その後太平洋戦争、第二次世界大戦となり、私も環境も世の中もすっかり変わりいつとはなく忘れていました。正平さんのこころ旅を見て、そうだ、あの跨線橋はどうなっているかしら、今思うと笑い話のようですが、その時私は本当に死ぬつもりでした。私も89歳になり、私にあんな思いにさせた人たちはみんなあちらへ旅立ちました。長生きしているのが良いか悪いかわかりませんが、現在は優しい息子や娘、可愛い孫たちに囲まれて幸せです。昨日できたことは今日もできると信じて、決して自分を甘やかさず生涯現役でいきたいです。それにつけても跨線橋は今どうなっているのでしょうか。ぜひ見てきてください。お願いします。
敬具
平成29年7月10日
茨城県日立市
女 89歳
小澤 和子
茨城県日立市
小澤和子さん(90歳)からのお手紙