にっぽん縦断 こころ旅
大田原市黑羽向町(旧川西町)は私が小学六年まで過ごしたなつかしい故郷です。でも高齢になった今では両親の墓参りにも仲々行けなくなってしまいました。
水の黑羽 早瀬に醒めて
寝るに寝られぬ・・・・・・
「黑羽小唄」をクラスメートのお父上(花月旅館)の若主人が吹き込んだレコードを聴いて育った私は この那珂川の清流で毎年夏に眞黑になって川遊びしたことを思い出します。
勿論、六月、鮎解禁ともなれば 川面のそこここに無心に竿を垂れた菅笠の釣り人の印象も、町の上流の高岩神社奥の景勝地も目に鮮やかですが、私達子供には那珂川は一番の遊び場でした。
男の子も女の子の私も泳ぐこと(立ち泳ぎ、寝泳ぎ、その他、いろいろ) 又、冷えた体で砂場に寝ころんだり、砂玉を作って互いに硬さを競ったり (砂玉を落とし どちらが崩れるか)楽しい遊びでした。
何故か小さな鼻の頭が真先に灼けて皮がむけるのです。勿論、背中も
私達 小学生時代は東の黑羽町の土堤側に川は流れていて 川西町側は広い河原と砂地がありました。
河原ではきれいな白い小石を拾ったり 母子草(?)や名も知らぬ小さな高山植物のような可憐な草花も咲いていました。
又、橋の下の橋脚は格好の脱衣、着衣の場所で 涼しい川風もありました。
川遊び後は 味噌をまぶした熱い
もうかえらない楽しい夏の日々でした。
あれから あの那珂川は どうなっているのでせう。
それからもう一つの思い出は 高台にあった川西町尋常小学校。
冬の朝、友達と一面白く大きな霜柱をサクサクと踏みながらの登校、帰りはどろんこの校庭でした。
毎日、長靴での登校でした。
八月廿十二日付投函のものは代筆でしたが、
やはり自分で書くべき と思い、同じものを二度投函いたします。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
丗十年八月廿十三日 石塚 昭(あき)
栃木県宇都宮市
石塚 昭さん(91歳)からのお手紙