にっぽん縦断 こころ旅
いつも朝、そして夜、こころ旅で紹介する手紙に泣いたり、笑ったりしています。
正平さんとスタッフ、そして五台のチャリオの旅は、私にとって、ひとつの物語です。
私が訪れて欲しい所は、そこにあるはずの「マスコットキャラクター」です。その場所は八戸市種差海岸にある「少年自然の家」です。
退職までの四年間、そこに勤務していました。
当時もっと施設に親しみを持って欲しいとの思いで、職員が「マスコットキャラクター」を考えました。
それが「たね坊」です。平成二十二年七月一日に誕生しました。それ以来「たね坊」を少年自然の家の顔として、ポスター、チラシに載せたり、シールを作りあちこちに貼ったり、「たね坊」の大きな団扇を作り、「忘れるなよ、元気でなぁ」と退所する団体の最後尾の子どもが見えなくなるまで、その団扇を何度も振って見送りもしました。
「たね坊」も期待に応え大活躍してくれて、沢山の子どもたちに愛され、知られるようになりました。
こんなエピソードがあります。小学五年生の子どもでした。
「たね坊はわかるけど、お父さん、お母さんはどこに居るんですか?」と質問されたのです。
「たね坊」は誕生させましたが、確かに両親は居ないのです。素朴で普通の質問と思いますが、それまで何千人の子どもたちと会いましたが、そんな質問は初めてだったので、私は驚いたのと同時に感心しました。それから一年後、その子はまた少年自然の家にやって来ました。
そしてこう言いました。「僕、たね坊のお父さんとお母さん作ってきました。ついでにお爺さんも作ってきました」と、見るとプレートにたね坊家族が描かれており、年齢、職業や病歴のことまで書かれていました。嬉しくて涙が出ました。
その子は障がいのある子どもでしたが、なんて心の優しい子なんだろうと、今もずーっと心に残って、忘れられません。
「たね坊」も、もう八歳。小学生です。どうしているのかなぁ。
食堂にも「調理師 たね坊」は居ますが、確かプレーホール(体育館)の天井の柱にも貼ってあります。まだ貼り付いて頑張っているのかなぁ。
それとも落ちちゃったかなぁ。ちょと心配です。
まぁこんなお願いは無理と思いますが、「青天の霹靂」(青森の米)ってこともあるし、正平さん、監督さんの「心変わり」ってこともあるかもしれない、という祈りを込めて書きました。とにかく、このまま、いつまでも物語の続きを見せて下さい
よろしくお願いします。
青森県八戸市
中村光男
青森県八戸市
中村光男さん(64歳)からのお手紙