にっぽん縦断 こころ旅
前略
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆さん、毎日楽しく見ています。
さて私の心に残る風景は
ある朝突然「ケサシンダ」と母の実家の青森から電報が届きました。(昭和四十年ごろには電話が商店くらいしかなかったのです)
余りに突然のことで母は畑で泣いていました。
すぐにも行きたかったでしょうが お金の心配や遠い青森を思い一人泣いていました。 私は思い切って母を連れて青森へむかいました。東京の上野で乗りかえて五戸(ごのへ)の駅についた時は丸一日かかりました。
五戸の駅では「岐阜の方ですね、乗って下さい」とタクシーの運転手さんに言われ 実家につくと母が「香与子(カヨコ)母ちゃんが生きとる」と叫んだのです。昔のことで 実はキサという方が亡くなったのが
ズーズー弁でキサがケサになり届いたのです。
母は大喜びでした。 でもそのわずか二か月後に病で
親より先に五十歳であっというまに亡くなりました。
まるで母親に別れの挨拶に行ったようでした。
姉兄五人で四、五年前に青森へ行こうという話になりましたが 私一人体調をくずし行けませんでした。 そこで母と二人でおりた「岐阜の方ですね」と声をかけられた五戸の駅を見てみたいのです。今は無人駅になっているそうです。
五十数年前のことで余り覚えていませんが
私も七十五歳になりもう青森へは行くこともないと思います。
どうかどうか正平さん 私にあの駅を見せて下さい。
宜しくお願いします。
岐阜県瑞穂市
宇野香与子
岐阜県瑞穂市
宇野香与子さん(75歳)からのお手紙