にっぽん縦断 こころ旅
東京出身の私が新潟にお嫁に来て30年が経ちました。
1人娘の私が出産する日、新幹線の車掌に停車時間を短くして、新潟に早く着くようにしてくれと無理なお願いをしていた父です。
孫の顔を毎日見たくて、とうとう東京での商売をたたみ、母と2人で新潟に引っ越してきました。70歳を過ぎてから、新しい土地で生活を始めることは、大変なことだったと思います。
それでも、92歳で亡くなるまでの20年間を俳句・釣り・ダンス・ゲートボールと多彩な趣味を通して友人の輪を広げ、愉しんでいました。老人クラブの俳句の会の主宰をしていた父は吟行と称して外出することが好きでした。特に、私の主人が初めて単身赴任していた黒川村(現胎内市)に週末、私と息子、母の4人で泊まりに行くことを楽しみにしていました。朝の散歩と言っては、主人の住んでいた新築の村営住宅(なんと5部屋もあり、自宅より広い)から、シンクルトン公園に出かけ、その近くの池で釣りをしていました。
前日に、釣り用の生き餌の虫を冷蔵庫に入れておくので、母がよく 「ひえー」と悲鳴をあげていました。
シンクルトン公園は、「日本最古の油田公園」です。
公園が近づくと石油の臭いがします。
そして、「火気厳禁」の公園です。
正平さんが、いっぷくすることはできません。すみません。
父は、7年前の秋、母の四十九日の納骨の日に、亡くなりましたが
今でも、池の畔で釣り糸を垂れているような気がします。
余談ですが・・・・
私は、目黒区の中根小学校で教育実習をしました。
確か、正平さんの母校と記憶しています。
※『シンクルトン公園』の現在の正式名称は、『シンクルトン記念館・黒川石油公園』です。
新潟県新潟市
前田雅子さん(58歳)からのお手紙