にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、ちやりお君、スタッフの皆さま いつも番組楽しく見ています。
さて、私の心の風景ですが、能登半島の穴水町前波の弁天島です。
弁天島は陸続きの小さな森の中に弁天様が祀ってあります。
私の実家の目の前なので、幼いころから私の遊び場でした。大きい岩に寝ころび青い空と白い雲をあきずに見ていて、そのまま眠ってしまったり、岩から岩へ泳いで渡ったり、もぐって魚を見たり、天草とったり、夏休みは真っ黒になり痩せるくらい泳ぎまくっていました。弁天島の木のぼりも大好きで枝に腰掛けて海を見るのがたのしかったです。友達ともいっぱい遊びました。
弁天島から見る風景で水平線から昇る朝日は最高でした。また、年に数回、水平線から立山連峰がみえることがあり、とても神秘的です。
そんな故郷を離れたのが高校卒業後でした。
高校卒業近くになり、みんなが進路を決めているのに、私だけ決めてない事を心配した母が金沢市の病院に看護助手をしながら定時制の看護学校へ行く道をすすめ、特にやりたいこともなかったので母の言うとおり、金沢で病院の寮に入り、午前中は仕事、午後は学校の日々が始まりました。
そして5年、准看護師、看護師の資格をとり、もう1年大阪の保健師の専門学校で勉強し、資格をとり、24歳で町役場の保健師として就職、18年勤務の後42歳で退職、その後訪問看護ステーションで在宅看護を18年し、60歳で退職、今は家事を楽しみながら穏やかに暮らしています。振り返ると看護師になることを母がすすめてくれたおかげで、こんなに長く、楽しんで仕事ができたことを今頃、ありがたく思うようになりました。
末っ子の私を死ぬまで、頼りない子、のんきな子と心配していた母もやさしかった父も20年前に亡くなり、実家は空き家になり、その後傷みもはげしくなり、取り壊しになりました。
誰もいなくなった故郷へかえるのが淋しくて、弁天島へもいかなくなりました。それでも私を育ててくれ、癒してくれた弁天島の木々、海の香り、やさしい風、波の音はいまも変わらず、私に生きる力を与えてくれています。
正平さん 何もない、人もいないところですが、ぜひ、私のこころの風景、弁天島を見てきてください。よろしくお願いします。
鹿島郡中能登町 松栄拡美
石川県中能登町
松栄拡美さん(62歳)からのお手紙