にっぽん縦断 こころ旅
ずっと残したい、ふるさとの風景
日本海を真っ赤に染める夕日、それが私の忘れられない故郷の風景です。
私の生まれ育った地は、能登半島の外浦にほど近い半農半漁の小さな村です。
毎朝、とれたての生きた魚を一輪車にのせたおばさんが、家々まで「魚いらんかね~?」と売りに来てくれ、母がさばいて刺身、煮物、焼き魚にしてくれ食べていました。
かにも、まだはさみがもぞもぞ動いているのを手でもって、身がしっかり入っているものを買って、すぐに大鍋でゆでて夕食でいただきました。
繊維が一本一本しっかりしていて、それはそれはおいしかったです。
今は、実家でもなかなか食べられない味です。
当時は当たり前だった食事がどんなにおいしい食事だったか、ありがたいことだったか、故郷を離れてつくづく思います。
子供のころは、夏休みになると毎日海で泳ぎ、それこそ真っ黒に黒光りするほど泳ぎ疲れると、近くの岩場で小さな貝(サザエのような小さな巻貝で、ガラボと言ってました)を採り、家に帰って母にゆでてもらっておやつに食べました。
毎年8月15日夜、大島海岸では、たいまつを頭上で回して先祖の霊を迎える「おしようらい」という行事も行われていました。麦作の減少で麦わらが手に入らず、とだえていましたが、2010年に40年ぶりに復活しました。
そんな海が見渡せる場所に、かつて汽車が走っていた路線があり、その線路が廃線になり、自転車道路ができました。中学生の頃のことです。
毎日、自転車で中学、高校と通っていたので、夕方見た真っ赤な夕日が疲れた体と心を包み込んでくれました。
昨年、お盆に帰省した際に、息子と姪と夕方、海まで出かけ、30分ほど岩場にすわり、夕日が沈んでいくのをながめてきました。
子供のころと変わらないきれいな夕日を、波の音に耳を傾けつつ、
静かな静かなゆったりとした時間を息子と姪と共有でき、とっても幸せなひとときになりました。
いろいろな思い出の詰まった海そのものが、私のこころの故郷といえるのかもしれません。
ぜひ、正平さんも行ってみてください。絶対にお勧めです。
埼玉県 北本市 田邊 雅子 58歳
埼玉県北本市
田邊雅子さん(58歳)からのお手紙