にっぽん縦断 こころ旅
こんにちは
正平さん、チャリおくん チャリ隊のみなさん、毎朝毎晩楽しい番組をありがとうございます。大切な日本の風景、ずっと見せてくださいね。
さて私と母の心の中にある風景、関西本線の加太駅です。加太が三重県だと知ったのはだいぶ後のことです。
今年87歳の母は、出かけることが苦手な父を一人おいて、私たち兄妹をよく旅行に連れて行ってくれました。自家用車がなかった我が家は、国鉄の時刻表たよりの電車旅行でした。
昭和48年の春のことです。母は中学生の兄と小学生の私を連れて名古屋のおばさんの家の近くに入院していた祖母のお見舞いに行くことになりました。はなれて暮らしていた父方の祖母とはあまりなじみがないし、そろそろ家族と旅行なんてしたくない年頃の兄はかたくなにいやがったそうです。どうしたものかといろいろと調べた母は、
「関西本線にはD51が走っているからついでに見に行こう」
と、蒸気機関車大好き、鉄道マニアの兄をD51の一言で口説きおとしたのです。ついではどちらだったのか、言うまでもないことでした。
長野から乗り継ぎを重ね、暑い昼ひなか、加太駅にたどり着きました。たぶん兄は乗ってきた電車の中で撮影ポイントを決めていたのでしょう、降りるが早いか、さっとどこかへ行ってしまい、母と私は駅舎から出て駅前の道をしばらく歩いてみました。
私には遠くの道を走るうわーんとした車の音が聞こえただけ。母がのぞいた小さな店にはパンが2,3個あったとか。本当に何もない所。
そろそろSLが来る時間になり駅に戻ると、線路脇には立派な三脚を立て大きなカメラを構えている大人たち。その中にひょっろっと背の高い兄が一人、おじいちゃんから借りてきた小さなカメラで一生懸命写真を撮っていたと、母は見ていたそうです。
鈴鹿山系の急な坂を力強く登ってくるSLの雄姿、兄は本当に楽しみにしていたのでしょうね。目の前を轟音とともに走っていった黒い塊。遠い夏の日の思い出です。母には申し訳ないけれど、お見舞いのことは覚えていません。兄の写真はうまく撮れていたのかな。
教師をしていた兄は、昨年の12月、57歳で突然他界しました。
自由気ままに一人で暮らしてきて、定年後に楽しむつもりだったのか、集めたものの中にたくさんの鉄道写真があります。
「おにいちやん、相変わらず好きだったんだね」と笑ってそして泣けてきました。いつまでも少年のようだった兄。どこかで走るSLたちを空の上から眺めているのかな。
加太駅、今はどうなっているのでしょうか。きっと行くには坂道かもしれません。正平さん見てきてください。よろしくお願いします。
長野県長野市 中澤 めぐみ
長野市
中澤めぐみさん(54歳)からのお手紙