お手紙をくれた針原真一さんは、定年退職までの1年半、転勤で札幌から昭島市に家族全員で暮らしていました。ジョギングを趣味にしていた奥さんは多摩川の土手をよく走っていたそうです。休日には針原さんも参加、その後、水門の近くにいる鯉たちを眺めて、夫婦でゆるりとした時間を過ごしていました。東京を離れる頃、奥さんにがんが見つかり、闘病の末今年の春に亡くなったとのこと。多摩市の一本杉公園から約17km先の多摩川の水門を目指します。目的の水門に到着すると、正平さんは針原さん夫婦の思い出のジョギングコースをチャリオとともにたどり始めます。