2011年08月09日 (火)長崎の旅は、ご堪能いただけましたか?


みなさまの熱~い思いで実現した長崎の旅全編再放送ですが、
3日目、4日目の旅もお楽しみいただけたでしょうか?
今日もリクエストいただいた方からのコメントをご紹介します。!

 モコモコですね

まだ寒かったんですよね、長崎の旅の頃は。正平さんも着込んでましたね。

 

①3日目 長崎県上五島町仲知 (2/17放送)

masaki-kun.jpg1本なんて、、、選べない!けれど選ぶなら長崎編です。
  たまたまこの回を「あらら。こんなおじさんに自転車旅なんてさせて
  大丈夫かいな」と思いながら観ていると、車に乗っけてもらっている
 「自転車旅じゃないやん」とつっこみたく
なりました。
  しかし、春の旅編では、すっかり「自転車男」に変身されましたね。
  坂道も難なく(?)こなし、おちゃめで気配りの火野正平さんにぞっこ
 
んになってしまいました!
 
蛇が怖くなくて、高所が怖いところがまたよろしいではないですか!!!
 秋は私の住む兵庫からスタートということなので、
 お目にかかれないものだろうかと楽しみにしています!(みさこさん)

長崎編で見たのがこの仲知の回が最初だったと思います。
 途中、ヒッチハイクをお願いしたお兄さん?が面白かったのを憶えていま
 す。
火野さんが名前を尋ねてもなかなか言わず、「(顔が)地デジ非対
 応だから・・・
とかジョークを言っていたのが印象的でした。
 
この長崎編の頃はまだテレビで見慣れた火野さんでしたが、春の旅に入
 ると間もな
く、どんどん頬がこけて痩せられていた姿を見て、秋の旅は
 楽しみだけどお体に
差し支えのないようがんばっていただきたいと心か
 ら思います。(
ちさとさん)

 

②4日目 長崎県佐世保市(2/17放送)

 

 

haenosaki_sta.jpg地元です。多くの引き揚げ者がこの駅から戦後の復興へと向かった
 ことでしょう。
ぜひもう一度放送して欲しい。(大宅 隆一さん)

 

●実は・・・この回だけ見逃しているのです!!!!!!!!!!!!!

 本当は長崎は全部放送して欲しいのですが・・・

 九州にいる私の友達にも教えてあげたいのです!!(山田 珠誉さん)


ごく一部のコメントしかご紹介できず心苦しいのですが、
ご紹介した以外にも熱~いコメントを本当にたくさんお寄せいただきました。

スタッフ一同、1通1通ありがたく読ませていただきました<m(__)m>
ブログは今週は19時からの放送終了後、毎日20時の更新です。
リクエスト理由にどんなコメントをお寄せいただいたのか、コチラも楽しみにしてくださいね。 

投稿者:番組デスク | 投稿時間:20:00

応援メッセージ

※現在新規コメントは受け付けておりません

正平さん、秋の旅も、本当に感動の連続でした。
長年、日本中を走り回ってくれた、正平さんやスタッフ、チャリオくんに感謝します。しばらくはホームページのフォトアルバムなどを見て、懐かしんでいようかなと思います。

投稿日時:2014年12月23日 22:06 | みどり

私が最初に“こころ旅”とお会いしたのは、昨年2月の“五島列島の大瀬崎灯台”でした。偶然にお会いしたため、「こんな番組があるんだ」程度の感覚で、その年の“春の旅”とお会いすることもありませんでした。再び“こころ旅”とお会いしたのは、“秋の旅”のスタートからになります。それ以来、毎日・毎週お会いするのを楽しみにしています。

投稿日時:2012年06月03日 09:06 | いさお

こころ旅は心に響きます。

例によって放送翌日の今日、一人で見ました。
でも、今日ばかりは一人で見て良かった。
4日目の佐世保の回で涙でグシュグシュになってしまったからです。

仲知小学校の回でも大いに楽しませて頂いて、すこししんみりしました。
仕方がないこととは言え、こんな風に日本の美しい「里」がさびれて行くのを傍観していていいものだろうか・・・・
でもそんな言い方だけでは地元の方々に失礼ですよね。
私の住んでいる千葉からはかなり遠いですけれども、
いつか何とか五島列島を訪れよう、
大瀬崎の灯台にも、仲知の教会にも行ってみようと
小さい決心をしました。


続いて佐世保。
何の気持の準備もなく見始めて
「ははぁ、正平さんは気分がいいときにケセラセラを歌うのだな」なんて能天気に考えていたあと、
あることを思い出して頭をガンと殴られた気分でした。

私事になりますが、3年前に亡くなった私の父も引き揚げ者でした。
父は関東軍の上等兵として中国南部にかかったあたりで、血尿が出、目をかけてくれていた軍医さんが「お前、このままでは死んでしまう」と後方へ送ってくれたと話していました。
そのため終戦は、確か大連と聞きましたけれども、そこの病院で迎え、その後は一般の日本人と一緒になって困難な逃避行を続け、引き揚げ船に乗って帰ってきたそうです。
しかし、私は父が帰ってきたのが昭和何年であるのか、どこの港に上陸したのか、しっかりとは聞きませんでした。

脇腹に銃弾のかすった痕がある父は晩酌をして機嫌が良くなるたび、
従軍中のおもしろ話(川に手榴弾を投げ込んで魚をいっぱい取ったとか、無人の村に宿営した際金持ちらしい家のベッドに寝た兵隊はシラミだらけになったが、自分は戸板の上に寝たので無事であったとか、その他いろいろ)を話してくれましたが、悲惨な話や過酷な話は全くしませんでした。聞くこちらがまだ子供だったせいもあるでしょう。
父自身が、辛い、あるいは汚い話はしたくなかったのかも知れません。
引き揚げの話も本当にごくごく一部しか聞いていなかったので、
今となっては、悲惨なことや辛いことがいろいろあったのだろうなと想像するのみです。

自分が大人になってから、父の経験をしっかり聞いておくのだったと
父が亡くなった際にも後悔しましたが、今また改めて後悔しています。
佐世保のお手紙の女性のお話で、自分の後悔を埋め合わせるべくもありませんが、
自分が大事なことを置き忘れていたと改めて気づかさせて頂いたことに
お礼を申し上げます。


そして、正平さん、スタッフの皆さん
始まりの長崎編は困難の連続だったようですが、
それを乗り越えてシリーズを続けて下さっていること
本当に有り難うございます。

今日は上記のような個人的事情でグシュグシュの私ですが、
いつもは楽しさと懐かしさをたくさんたくさん頂いています。
たまたま登場する一般の方が、またいい方なのが嬉しいですね。


「日本人に生まれて良かったな」と思える「こころ旅」
出来るだけたくさんの人たちに見て欲しいと思います。

(今日は書くまいと思っていたのに、こんな長いメールを書いてしまいました。
お目汚しで申し訳ありません)

投稿日時:2011年08月10日 15:50 | ともこ

火野正平様お疲れ様です。何かと〇〇の世相ですが、ありがたく拝見させていただいています。見るべきものがないテレビ業界のなかで「火野正平さんのこころ旅」のみが唯一の救いであります。
気候もかってのように予見できません。どうか体調に留意され旅を満喫してください。

投稿日時:2011年08月10日 15:06 | 海賊村

拍手、拍手・・・。
こころ旅の原点、長崎編拝見しました。
長崎は坂や島が多くてチャリオの出番は少なかったですが、
こころ旅の誕生編ということでしょうがなかったですかね。
それにしても、チャリオを押して歩く火野さんには正直驚きました。
(よほど辛かったんでしょう)
足の具合のせいもあったのでしょうか、それとも春編までに鍛えたのでしょうか。
海辺の段差に立つ学校は島の地形によるものなのでしょうか。しかたのないこととはいえ、こうした学校が次第に廃校になるのは寂しいですね。
長崎は是非行ってみたい所だったのですが、こうして知ることのできた場所達も私の目的地のひとつになりました。
今週のリクエスト再放送が始まり、朝の気持ちに変化がありました。
前日の放送の余韻に浸り、今夜の放送を楽しみにする。仕事のストレスもすごく緩和されているんです。
こころ旅は私にとっては森林浴のようなものなんです。

投稿日時:2011年08月10日 08:03 | いぬのなつ

長崎編再放送ありがとうございました。
4日目佐世保の回を母と共に見る事ができました。

私の母は、お手紙を出された方と同じく、中国から家族7人命からがら佐世保に到着した引き揚げ者の一人。当時3才だったそうです。
細かな記憶はないものの、船を降りた後、検疫所で白い粉を全身にかけられ注射を何本も打たれて泣いたことはハッキリ覚えていると、常日頃よく話しておりました。
この番組のお陰で、引き揚げ列車に乗ったのが南風崎駅だった事、記念館がある事を知る事が出来、かの地へいつか行ってみたいと申しております

新たなこころ旅を生み出してくれる「こころ旅」大好きです!
火野さん&スタッフの皆様、秋の旅も暑さに負けず無事完走されますよう祈ってます。

投稿日時:2011年08月10日 00:46 | ぼたこ

こんにちは、Twitterではお世話になります。 @FLHTCUI_100です。

 私の父(現在86歳)が、中国大陸から引き揚げたのがこの港です。
 
当時、陸軍少年飛行兵であった父は、武装解除と共に、できるなら台湾に渡航し、台湾の軍部と合流しようと画策していた、
と語っておりました。
万策尽きて、引き揚げ船に乗ったものの、行き先は本当に日本に向かっているのか確証もなく、大変疑心暗鬼だったそうです。
 
その港で生き別れになった戦友がやたらと台湾に詳しく、戦後暫くしてその彼が台湾出身者と分かったようです。
軍部は、朝鮮人も台湾人も関係なく優秀な者は平等に軍事教育を受け、今のマスコミが言うような差別などと言うものはなかった。
とも語っておりました。
 
話は脱線しましたが、上陸して数キロ行軍したとも言ってましたので、番組内容そのものでした。
次回機会があれば録画して父に見せてあげようと思いました。

ありがとうございました。

投稿日時:2011年08月10日 00:42 | BENZ

仲知の小学校は、お手紙の主は2年しかいらっしゃらなかったのに、
こころの風景になったのが分かる気がします。
静かで、穏やかな印象を受けました。

海の水がとっても綺麗なんですね。


佐世保、引き揚げの地。
8月9日に再放送されたっていうのも、意味があると思いました。
沢山の方が大変な思いをして、引き揚げてこられたんですね。


「ケ・セラセラ」って、長崎編で火野さんが歌ってはったんですね!
で、春の第一回放送がその歌でスタートしたんですか!
そうだったのか~!(?w)。


長崎編も、とても良かったです!
出来たら、HPにも、長崎編のお手紙等をUPして頂けたら嬉しいのですが。
もし、今度「10倍楽しむ!」みたいな特番があれば、
長崎編の分も是非入れて頂きたいです!お願い致します。

投稿日時:2011年08月09日 20:32 | たーこ

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