2011年11月03日 (木)旧・八女高等女学校と矢部川
今日は飯塚駅からスタ~ト!
天気がよくて、
花がキレイだったゾ。
桂川(けいせん)で“ヘンな列車”に乗ったヨ。
ピ~ピ~ってうるさいの・・・(ーー゛)
そのあと久留米に行って、ラーメン食べたんだ。
本場の“とんこつ”は、高菜を入れるとより
「九州ラーメン」って感じがするな ( ´∀`)ノ
お手紙の主・眸さんが、かつて通った八女高等女学校は、
いまは場所も変わって県立福島高校って学校に変わってたよ。
最後にこころの風景・矢部川の川岸に。
眸さん、昔と変わってないかな。
いい景色だ。
投稿者:火野正平 | 投稿時間:19:30
こころ旅に走りまわってくださる火野正平さま、スタッフの方々
この度は八女の取材ありがとうございました。八女高女と矢部川の
思い出の手紙をさしあげた眸です。応援メッセージの欄に投稿はすこし筋違いかと思いましたが一言お礼を言いたくてメールさせていただきます。今は石碑だけになった八女高女や矢部川の清流を走りまわってくださって名簿にのっていた私の名前を見つけてくださり、夕陽に
映える川面や河岸の樟の並樹を見せてくださり、ただ感謝の気持ちで
いっぱいです。涙をながしながら拝見しました。八女の同窓生や大阪の友人などから電話、メール、手紙が殺到、こころ旅のフアンがいかに多いかを実感しております。これからもこの素晴らしい番組をながく続けて多くのかたの思い出に寄り添ってくださいますように。
投稿日時:2011年11月07日 14:02 | [松尾 眸] Hitomi
火野さんのなんともゆったりした雰囲気、男として「男の魅力」を感じます。その雰囲気が九州という土地にとてもハマッテいるような気がします。北海道民ですが、北海道とはまた違った雄大な九州の景色のファンでもあります。無事、鹿児島までの完走をお祈りし、また楽しみにしています。
投稿日時:2011年11月07日 10:55 | ヨッシー
福島高校の方たちが親切だったのに、
同じ福岡県民としてほっとしました^^
投稿日時:2011年11月06日 11:27 | がっぴん
火野 正平様・スタッフの皆様
いつも楽しい放送ありがとうございます。
楽しくほっこり拝見させていただいてます。
私は4年前に大阪からこの地元八女に帰ってきて、今現在八女に住んでいます。
帰ってきて本当に地元の良さを沢山知りました。
でもまだまだ知らない事の方が多いんですけど・・・
放送いつも楽しみにしてて、福岡に入られたら会えるかもっ!!!と楽しみにしてました。
そして福岡の放送を見ると、なんとっ!!!!
私の母校『福島高校』が出るじゃありませんかっ!!!!
とってもとっても嬉しかったです。
お手紙と関係ない私がこんなに嬉しかったのだから、眸さんはもっともっと嬉しかったんだろうなぁ~って、今の八女は眸さんの目にどんな風にうつったのだろうと・・・
そして とてもホッコリとした気持ちになりました。
ありがとうございます。
これからも旅楽しんで下さい。
放送を楽しみにしてます。
お身体ご自愛下さい。
投稿日時:2011年11月05日 16:01 | しぇからしか
11月4日の八女編見ました。素敵でした。
最近火野氏の魅力もあってずっと見ています。
矢部川の美しいほとりでの眸さんの青春に、私も思いを重ね、じーんと胸が熱くなりました。
実は松尾眸さんの所属するコーラス団に私もいます。
彼女は老人扱いしていただいては困ります。
彼女は私たちの団の衣装をすべて縫って下さり、中国語や英会話、それに源氏物語の講座などにも参加され私たちの目標としている方です。今回の放映にはおおくの友人も感動しました。
これからも素敵な場所と感動をお願いします。
投稿日時:2011年11月05日 11:05 | KU
いつも家事などしながら見ています。今回「八女」ということでビックリ、録画しました。そしたら何と八女高等女学校(私の母の母校)、福島高校(私の母校)ではないですか!!
八女に住んでいる母に知らせましたが、BS映らないので話だけすると
今度見せてねと嬉しそうでした。
松尾眸さん、81歳、私の母も81歳なので同じ学年だったかもしれません。わからないと言っていましたが、八女の映像がとても懐かしくまたちょっと恥ずかしいような気持ちになりドキドキしながら見ました。
最後の矢部川の風景は素晴らしく、私が見たことのない表情で絶対今度帰省したときに探そうと思いました。
時々八女には行きますが、あらためてふるさとの良さをしみじみと感じました。皆さんに感謝です。
いろんな場所が紹介されますが、全国のいろんな人達がそれぞれの思いをよみがえらせる素晴らしい番組ですね。これからも素敵な町を旅して行ってください。これからも応援しています。
投稿日時:2011年11月05日 10:26 | せいこ
拝啓、火野正平様
春編の再放送からすっかりはまってしまい、欠かさず拝見しております。(残念ながら仕事で、朝編・夜編とも録画ですが。)
今回の『八女』。HPや前日の予告で、訪れられることは知っておりましたが、実際に行かれた先が『八女女子高等女学院』と『矢部川』と言うことでかなりびっくり致しました。
と言うのも、昭和9年生まれで現在77歳の母が生まれ育った場所がこの八女なのですが、通学していた学校が眸さんと同じ『八女女子高等女学院』で、実家が『矢部川』のそばであったからです。(もっとも母が通学していた時は『福島高校』に既に名が変わっていたということです。また母は昭和28年卒業ですが、「青春の門」の五木寛之さんは母の一つ上で福島高校に通われていたそうです。)
普段は朝出勤ぎりぎりに起きて、あまり母とも口を交わさないのですが、今朝(11/4)は「昨日火野さんの番組で八女が出てたね。」と言う話で、いつもよりほんの少しですがのんびりと話せたように思います。
「卒業の頃には高校が街中から広川(福岡県八女郡広川町。八女市の北側に位置する町で、広川町と八女市との町境に福島高校があります。)に移る話が出ていたのよ。」とか「火野さんが矢部川に沿うように曲がった所の橋の少し先に実家があって、あの橋を渡って高校に毎日通っていたのよ。」とか…。眸さんのこころ旅でありながら、私の母のこころ旅の様に感じてしまいました。
八女にあった母の実家は既に無く、もう何年と母も私も訪れてはおりませんが、何か機会があればまた行って見たいと思います。
12月の上旬までチャリオと過ごされる日が続き、まだまだ先は長いです。火野さん、スタッフの皆さん、充分にお体にはお気をつけください。
敬具
投稿日時:2011年11月05日 02:06 | 青春の門
福岡編、ようこそ八女、西区を選んでくださいました。
私、八女生まれの久留米育ち。結婚後は、福岡市早良区で過ごし、
現在夫の転勤に付き添い沖縄で生活しています。
こころ旅、毎回楽しみに見ています。もうすぐ九州・・とワクワクしながら見てました。 福岡に入ったら、なんと、私の行動範囲そのものではないですか。懐かしく、涙が・・・。懐かしい風景と共にいろいろな思い出も。今回投稿された方々に便乗し、嬉しかったです。
沖縄でもこころに残る思い出が出来るよう、沖縄ライフを楽しんでます。 いつか正平さんの自転車を沖縄で見ることができればいいなと思います。
また、私と同じように、懐かしい風景にこころときめく方々のためにも、こころ旅がんばって下さい。
投稿日時:2011年11月04日 18:18 | 猿渡
矢部川の景色を見ていて、いいところだな~と・・・
何だか行きたい気持ちになりました。
投稿日時:2011年11月04日 15:35 | kobuta
BSを見れない母親がうちに泊まりに来ました。
一緒に「こころ旅」を観ていますと
お便りの眸さんと同世代の母が
記念碑に向かう火野さんに向かって
「ええことしてはんなぁ・・・」
とつぶやいておりました。
投稿日時:2011年11月04日 14:41 | みーさん
いつも朝と夜とこころ旅を楽しみに視ています。
正平さんについて、若い頃はあまり関心がなかったのですが、
たまたま視た「こころ旅」の正平さんがとても魅力的で一度に好きになり、7時のニュース(武田アナも好きなのですが)をやめて「こころ旅」を視るようになってしまいました。
「素」そのもので無邪気で、飾らない男っぽさ、やさしさ、そして自然なお洒落、セクシーな声に毎日の放送が本当に楽しみです。
先日の、電車に乗る時にピーと何度も警告音が鳴った時の反応がとても可笑しかったです。ペットボトルを下の置いたのはまるで飛行機に乗るみたいな反応でした。
視聴者の手紙と正平さんのほとばしる魅力と美しい日本の風土にとても癒される楽しい番組です。
私は高知に訪ねてほしい場所があるので、またその機会がくることを願っています。
蛇足ですが、正平さんのCD「ウーマン達への子守唄」を早速買って、毎晩眠る前の癒しのひと時も楽しんでいます。
正平さん、歩んできた事がみな肥やしとなり、たまらない味のある60代になりましたね。応援いたします。
投稿日時:2011年11月04日 13:24 | ひおうぎ貝
ぼくもこの矢部川と飛形山の風景が実家の故郷です。
柳瀬・宮野いいところです。昨日たまたま帰省しました。
八女高等女学校卒の叔母にも会いました。
(眸さんと一緒にふうせん爆弾をつくったのかなあ)
偶然なのか必然なのだったのか、放送日当日のことで、
すごく懐かしく思います。
投稿日時:2011年11月04日 13:04 | indigoblue
正平さま、スタッフの皆様、いつも素敵な時間をありがとうございます。この番組が大好き過ぎで、毎日終電まで仕事をしていたのですが、放送時間に間に合う19時目指して帰るようになりました。(録画機が故障しているのでリアルタイムに見るしかないのです!)。
本当の旅の素朴な楽しさや、お人の暖かさ、景色の美しさを正平さまの目線で改めて見ることができ、毎回心の中にホワリと柔らかいものを感じています。
私は熊本出身なので、もうすぐ自分の地元を通過するのではとワクワク。母に伝えて手でも振ってもらわなくては!私も飛行機でひとっ飛びして会いに行きたいです。
正平さまの走りをみて、多くの方が自転車での旅を始めるのではないでしょうか。それもまた楽しい現象ではと、感じています。
災害が起きて辛い時期の日本ですが、正平さまの明るい笑顔と、この番組のシンプルだけどギュッと思いやりの詰まった価値ある30分のおかげで、もう一度自分の国の素晴らしさを再確認できた気がします。
正平さま、スタッフの皆様、体調に気をつけてや安全運転で旅を続けて私たちに「こころ」の本来の大切さを伝えてください。
引きつづき、番組を楽しく拝見させていただきます。
PS 熊本市市街地に行かれるのであれば、透明の白いコーヒーだけを出すお店があります。正平さまがお好きなのでは・・・と思います。噂では三島由紀夫さんも3回通ったとか。
投稿日時:2011年11月04日 09:52 | t.o
おはようございます
正平さん
学校とか役所だとかになると
普通のおじさんになっちゃいますね(^_^)
良かったですよ 女学校探し...
今はいないお袋が最後に
口ずさんだのも女学校の校歌でした
矢部川の辺で夕日に照らされた
正平さんの横顔を観ていたら
知らず知らずに涙で頬が濡れていました...
投稿日時:2011年11月04日 09:36 | onikasago
正平さん、スタッフのみなさん。
九州編も毎日楽しく見せてもらっています。
本州編でもコメントして久々に送ります。
今回は胸にジーンと響くものがありました。
正平さんの優しさ、一生懸命に投稿された方の事を思って
ペダルをこいでいたからでしょうか。
いつもなら笑い涙なんですけどね。
また来週も楽しませてください!
投稿日時:2011年11月04日 08:55 | どみ
本日の放送も良かったです。
お手紙のこころの風景への扉をひとつ、ひとつ開いていく感がありました。しかも、その風景を訪ねる火野さんの横には、お手紙の松尾さんが一緒に居るような、そんな感じも受けました。
戦時中の風船爆弾に伝統工芸の和紙が使用されていたことは知りませんでした。現在の穏やかな風景の向こう側に厳しい現実が透けて見えました。
投稿日時:2011年11月04日 08:19 | いぬのなつ
正平さん、いつも楽しく見てます
昨日の朝、こころ旅を見ていたら・・・なんと八女
ちょうど、八女に出かける用事があったのでびっくりでした~
矢部川沿いを車を走らせて行きました。ホントに昔から変わらない
風景です。
まだまだ、九州のステキな風景を訪ねてくださいね~
応援してます。
投稿日時:2011年11月04日 08:13 | ひーちゃん
こんばんは~!
今日の旅もチャリオ君はがんばりましたね。
眸さんのために、学校を探したり、矢部川まで走ったり。
途中、大阪のおばちゃんにも負けないくらいの久留米のおばちゃんたちに遭遇したり(^_^;)
これからもいろんなことが起こるでしょうが、乗り越えてってください!
投稿日時:2011年11月03日 23:27 | さんぽ猫
「こころの風景捜索隊」の皆様
本日の任務の完了、お目出度うございます。
任務は120%の成功です。
「こころ旅応援隊」の一員として心よりお祝い申し上げます。
なんて、言いたくなってしまう今日の放送でした。
「もう行けない」という気持であろうお手紙の松尾さんに代わって、
「八女高等女学校」の卒業アルバムに乗っていた松尾さんの名前を確認した。
(火事に遭ったというのにアルバムはちゃんと保存されていたんですね)
女学校時代の校旗もきれいに修復されてばっちり撮影できた。
市役所敷地内の女学校跡の碑もしっかり見られた。
校歌までついていましたね。
ひとえに「突撃隊」に任命された正平さんの功績と言いたいけれど、
福島高校の先生方や、八女市役所の職員さん達の助けがあってこそ。
もっとも、その協力を引き出したのは、
やっぱり「火野突撃隊員」の功績ですね。
いつも「捜索隊」は任務を完了していると思いますが、
特に今日は素晴らしいと思えました。
昨日放送の遠賀川の風景も良かったですが、
今日の、金色の光に包まれた矢部川の風景、素晴らしかったです。
特に最後の場面、大きな木の梢越しに捕らえた景色、最高でした。
(私もあんな写真、撮ってみたいなぁ)
投稿日時:2011年11月03日 23:16 | ともこ
正平様、スタッフの皆様お疲れ様です。
お手紙の松尾様はちょうど私の亡き両親の年代のお方です。
私の両親は地元で生まれ、地元で人生を終わりました。
私は故郷を離れ今埼玉で暮らしているので故郷での思い出は懐かしいものです。
松尾様にとって八女の町が故郷となるからか、13才という御年頃の思い出のためか、遠く大阪に越され、齢を重ね、思い出はいっそう美しい宝物となったのかな・・と思いました。
私が語る事も無いのですが「故郷は遠くにありて思うもの・」(?)とか文部省唱歌(?)「ふるさと」などが「こころ旅」を拝見するようになってあらためて「こころ」に沁みております。
投稿日時:2011年11月03日 23:02 | どんちっち
正平兄貴、スタッフの皆さんおつかれさまです(^_^)
久留米ラーメンうまそうですね。東京のトンコツラーメン屋さんは
東京人に合わせてると聞くので食べる気になりませんΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
さて、八女といえば今から25年位前にバンドのメンバーとドライブの帰りに
下校中の女子高生の集団にクルマの中から放送禁止用語を連呼した記憶が
あります(当時の女子高生さんのみなさんゴメンなさいm(_ _)m)
明日は我がふるさと福岡市!ロックンロール、恋愛、あっしの青春の全ての地です。
楽しみであります( ´ ▽ ` )ノ
投稿日時:2011年11月03日 22:09 | サウザー
本人が「がんばっとるやろ」と言っていたように,よう頑張ってました。手紙にあった所縁の場所を全てたどりました。
戦後の校名変更した福島高校,元の所在地市役所,ここで八女高女の記念碑を見,矢部川,最後は,風船爆弾の原料の紙製作の証拠の説明板まで。ただ,この行為が,本人の「もうええやろ。」という発言や,「突撃隊にまかせます」という陰の声にあったように,本人のやさしさなのか,スタッフからの強制労働なのかはちょっと判らない部分がありますが。
駄洒落を言わない人の「秋なのにはるだ(原田)。」と言った「原」の読み方に一言。
九州は大体「原」は「はる」か,濁って「ばる」と読みます。わが島原でも,古くからの地名・町名はこれにのっとって呼んでいます。例えば,中原を「なかばる」と読みます。
ところが,島原は軟弱者で「しまばら」と読んで,「しまばる」と読む人を寡聞にして,聞いたことがありません。原田という苗字の人はいますが,普通に「はらだ」で,「はるだ」の読ませる人も聞いたことはありません。
その点,福岡は徹底してるなと感心しております。駅名まで(多分地名も)きちんと「はるだ」と読ませていました。
そういえば,大学の同じ学科に平原という小倉出身の女性がいましたが,「ひらはらさん」と蝶々でも飛んでるような調子で発音したら,「ひらばるです」と,びしっと言われました。
今日の画面にあったように九州の女性も,関西のおばちゃんに負けてまへんで。
投稿日時:2011年11月03日 22:04 | 島原どわろ
火野さん、スタッフの皆さん。
今日も一日お疲れ様でした。
今日の放送で、名簿に名前を見つけた時は、背中がゾクッとしました。なかなかないですよね。小さな情報から、こんな奇跡的なこと。火野さん、何か持ってる!?(笑)そのうち、尋ね人の依頼が来ちゃいますよ〜。
今日もまた、多くの人が感動したと思います。今日の夜の放送は、子供が「お母さん、始まるよ」って教えてくれました。それもまた、私には感動でした。
明日も楽しみにしています。ファイト!!
投稿日時:2011年11月03日 21:22 | とうそん
今日は同窓会名簿に松尾眸さんの名前が残っていたのが
感激ものでした。
それと途中で会った4人?のおばさん達のはしゃぎようが
面白かったです。
そうそう駅員さんも見ていると言ってましたね。
この番組の視聴率がアップしているのでは。
火野さん、スタッフさんお疲れ様でした。
投稿日時:2011年11月03日 21:16 | ももの爺
初めまして。
毎日楽しみに拝見しております。
今日はどの辺を通るのだろうとか、どんなおもしろい言葉を言ってくれるのかと主人と朝と夕方と二回、番組を楽しみにしております。
自営業(印刷屋)をやっているのでテレビを見る時間は余裕があります。
そして自転車がほしいなー。なんて話が盛り上がり、共通の話題が増えました。
自転車を買ったら近くから走ってみようかななんて考えております。
投稿日時:2011年11月03日 20:29 | みえ
眸さん、きっと懐かしく
矢部川からの風景を思い出したり
あったかい気持ちになれたでしょうね^^
九州のおばさま方!!との
接触も楽しかった(笑)
地域でやっぱり雰囲気違うんだな
って春から拝見していて
みなさん、あったかくて楽しい。
相変わらず、モテモテですね(=^。^=)
会えた方々は、ラッキーだなぁ・・
投稿日時:2011年11月03日 20:25 | ひめ
10月25日〜27日まで志賀島の国民休暇村に宿泊していました.有田.伊万里.唐津と焼き物を中心に見て回りました.この八月にリタイアして今まで行けなかつた所へと思い 火野さんのこころ旅のコースを先回りしたろと思い!もしかして会えるかもと思いながら24日出発広島に1泊次の日九州に上陸.残念ながら会うは出来なかったけれど.楽しい日でした.コース分かっていたら会えたかもね?
投稿日時:2011年11月03日 20:09 | 松浦 博
ご苦労様です。
81歳の眸さんが見ていた風景のかけらでも、今日の映像の中に映っていたら素敵ですね。火野さんやスタッフさんが、その時代を想像しながらいろんなアングルを探してくれているんだろうなと感じました。
しかし、日本が風船爆弾を製造していたころ、アメリカでは原子爆弾を創っていた・・・勝てるわけないわ。。。
投稿日時:2011年11月03日 20:00 | うっし~
駅員さんに「角島の放送見ました。キツそうでした」と言われ、
「どこでもキツイっす」と言った火野さん、
「それが本音なんやろうなぁ」と
テレビの前でゆっくり番組を拝見してるのが申し訳ないような気がしました。
でも、今日は、雲ひとつない青空の下で、
走ってて気持ち良かったのではないでしょうか?
八女高等女学校はなくなってしまったけれど、
福島高校にあった名簿に、お手紙の主の名前があったのには感動しました。
市役所に八女高等女学校の石碑があり、校歌も書かれてあって、
少しでも、昔が振り返られる足跡のようなものがあって良かったです。
(八女女子高等女学校の校章、「女」って文字が八つ入ってるんすね!)
矢部川、本当に綺麗ですね。遠景の山の眺めも良いし、
素朴で、綺麗な風景に、心が洗われるようでした。
私は平和な世の中で生まれ育だち、風船爆弾などは知りませんでした。
戦争のあった時代の方は、皆さんさぞかし苦労されたことでしょう。
そんな時代に二度と戻らないことを切に願います。
投稿日時:2011年11月03日 19:59 | たーこ
こんばんは
正平さん、スタッフのみなさまお疲れさまでした。
八女高等女学校と夕暮れの矢部川・・・今も変わらずに川の流れはは絶えずして・・自然そのままのよう・・・です。ね
カメラさんも素敵な映像をありがとう!!!
ガンバッテますね~~。
観させてもらってるこちらにも伝わりますよ!ほんと「突撃隊」市役所で即!聞きに行かれて・・
「こころの風景」今日もありがとうございます。
投稿日時:2011年11月03日 19:51 | kimiko