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こころフォトに寄せて

天童荒太さん(てんどう・あらた)

命や家族の問題に向き合い続けている作家。1960年、愛媛県生まれ。
1986年、「白の家族」で第13回野性時代新人文学賞を受賞。96年、「家族狩り」で第9回山本周五郎賞を受賞。2000年、ベストセラーとなった「永遠の仔」で第53回日本推理作家協会賞を受賞。
2009年、不慮の死を遂げた人々を“悼む”ため、全国を放浪する若者の姿を描いた「悼む人」で第140回直木賞を受賞。映画化もされた。

あの日から、もう一年。もう三年。もう五年……。
やがては十年、二十年、三十年……。
時間を経ることで、少しずつ気持ちを切り替えてこられた方がいらっしゃるでしょう。
でも、切り替えられない方がいることも、認めてゆきたいと思います。

失われたものは帰ってこない、もとに戻らない、だからもう前を向いて……。
そんな言葉に力を得て、踏み出すことができた人は少なくないでしょう。
でも、励ましの言葉がつらく聞こえる人がいることも、認めてゆきたいと思います。

大切な人や、家屋や職場や学校、可愛がっていた動植物、思い出の品々などを失ったことが、同じだとしても、人それぞれ、環境も違えば、思い方、感じ方は違います。
悲しみへの向き合い方、つらい現実との折り合いのつけ方は、みな違うのが当たり前です。

テレビ・ラジオや新聞・雑誌に「元気になりました」と笑顔で登場してくださる人々の姿に安堵しつつ、そこに至るまでの苦労と悲しみに想いを馳せたいと思います。
また一方で、マスコミの前に出てくる気持ちになれない人、人前に出ることを思うだけで涙があふれたり、やり場のない怒りがこみあげてきたりする人も、大勢いるに違いないことを、心しておきたいと思います。

どれだけ月日が経っても、つい笑ってしまったことにも後ろめたさを感じてしまう人がいることを。
生きている、ただそのことさえ、罪のように感じてしまう人がいることを。
意識の隅に、つねにとどめておきたいと思います。

わたしを含め、個人に、多くのことはできません。
日本のあちこちで、また世界のいたるところで起きている、悲しい出来事、つらい思いをしている人々に、できることはほとんどない、と言ってもいいでしょう。
でも、
身近なところで、つらそうにしている人や、いつもと違った表情を見せている人や、
多くの人と同じようにできないことに暗く沈んでいる人がいれば、
「どうしたの」「何かあった?」「お手伝いできることがありますか」と、声をかけられる人間であれればと願っています。

もしかしたら、その相手が、被災者かもしれません。
あるいは別の、つらい被害や悲劇に見舞われた方かもしれません。
声をかけることや、手を差しのべる行為が、「忘れない」「覚えておく」ということの、証となるだろうと思います。

大切な人に何かできたのではないか……なぜ救えなかったのか……なぜ自分が生きているのか……と、罪の意識をおぼえる人に、社会はよく、
「そんなふうに考えるのはやめなさい。あなたのせいじゃないのだから。忘れて生きなさい」
といった言葉をかけがちです。励ましたい想いからでしょう。
でも、と、思います。

亡くなった人や、行方不明の人に対して、罪の意識をいだくのは、その人の愛情が豊かだからではないでしょうか。
失われた人たちを愛しているから、想いを強くかけているから、自分を責めてしまうのでしょう。
その人が、人間として美しい資質をもっているから、自分を許せなくなるのでしょう。

だから……自分を責めてしまう気持ちを、周囲は否定せず、認めてあげてほしいと思います。
自分自身も、これは相手への愛なんだ、と受け入れてほしいと思います。
そして、
罪悪感を抱えながらも、きっと幸せになっていいし、
むしろそういう人にこそ幸せになってほしいし……
失われた人々も、幸せになってくれることを、強く望んでいると信じられます。

何が本当の幸せか、目を閉じて、耳をすませば、きっと失われた人々が教えてくれます。

彼や彼女たちが伝えてくれる、本物の幸せのために、自分に託された人生の時間を精一杯使って生きること。
本当の幸せを、周囲の人々とわかち合うために、自分の分を懸命に生ききること。
それが、亡くなった人々への、誠実な祈りになる、と思います。

2016年3月11日  五年目の日に。

天童荒太