忘れない
志村ふくみ
何度、筆をとろうと思っても言葉が出ない。筆舌に盡しがたいとはまさにこういうことであろうか。併し片時も忘れない。あの日以来どこか黒い扉が目前に立ちはだかり、私達は重い鎖をひきずるようにして生きてきた。勿論それだけではない。どんな荒地にも草は芽生え、花が咲くように一刻として止どまることなく、あの日以来、前を向いて歩いてきた。現実にその渦中にあって今もなお傷の癒えない方々を思うとこうして何事もなく生きてゆくのさえ息苦しい限りであるが、今はあの頃より更に迫り来る危機を私達は自覚し、しっかり目覚めなくてはいけないと思う。あれ程の大災害に会いながらなお原発を絶対動かしてはならない、と誰もが思っているのになぜ止められないのか。諸事情はわかっている。併しかつて戦争を止められなかったように或日それは必ずやって来ることを時々刻々私達は自覚しなくてはならないと思う。「茶色の朝」(フランク・バヴロフ)という本をお読みになった方はあるだろうか、目の前の安楽に目を奪われて、今が平和でありさえすればよい、と思っている中に或日突然黒い手がしのびより命を落す危機がやってくる、という物語である。今まさに我々の事を語っているのだ。その事を心に刻印して生きることこそ、「こころフォト・忘れない」ではないだろうか。