


自宅にいるときに津波に巻き込まれて亡くなりました。
親父 又、3月11日が来ました。
あの日もいつもの様に、船迎え、網仕事も手伝ってもらい
終わったので「ホッ」とした時 あの地震が来ました。
あまりの大きな揺れにビックリして外に出たり
家の中に入ったりしているところに「2Mから3M」の津波の情報がテレビから出ました。
船を助けるために沖出しをしないとと思い3人を置いて出かけようとした時に
「此処には88年津波なんて来た事が無い 大丈夫だ」
オヤジとの最後の会話になりました。
河口から船を出してまもなく大きな津波が見えました。
3枚目の波を乗り越えた時
後は来ないようだと船の無線から流れました。
安心して丘の方を見たら波が言った後で真っ白になり何も見えませんでした。
あの波の大きさでは家も何もないだろうな船を助けるより
家に居て3人を連れて高台に逃げるべきだったと一晩中考えました。
夜が明けると同時に相馬港に入り、家の会ったところに行きましたが
何も無くなっていました。
「アー」 ため息だけでした。
避難所を回って2人にあったのは夕方でした。
そこで親父が津波に流されたのを知りました。
今は女房と震災の次の年に結婚した息子夫婦孫2人で暮らしています。
安心して下さい。
そして、みんなを守ってください。