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岩城直俊さん(いわき・なおとし/当時17歳)岩手県住田町

陸前高田市の高校に通っていた直俊さん。津波に襲われ、震災から9日後に遺体が見つかりました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 2018年3月10日放送

    震災がつないだ
    新たな希望

    「こころフォトスペシャル 子どもたちと歩んだ7年」VTR③

震災から9年を迎えて

父親の和彦さんより

間もなく9年になりますね。
私自身、忘れようと思いながら過ごした9年であり、何かを伝えなければと思いながら過ごした9年でもあったとも思います。
人それぞれの9年があるように、私自身も葛藤の中で過ごしてきた9年であり、これからも続いていくと思います。

この9年間、毎朝の写真へのあいさつや仏壇へ線香をあげること、何一つとして変わったことはありませんでした。写真の中からほほえむ直はいつも同じです。
私が楽しくても辛くてもいつでも「父ちゃん大丈夫だよ」と言ってくれているような気がします。変わったのは私が年を重ねたことぐらいです。
直も生きていれば今年1月5日で26歳ですからいい大人になっていたことでしょうね。私も今年の3月で定年の歳になります。今は、定年後の進路について悩んでおります。
何を聞いても直は、「父ちゃんの好きなようにすればいいよ」と言ってくれるような気がします。

先日11日の新聞に陸前高田市は、令和2年度内に高田町の中心市街地にある「東日本大震災追悼施設」に震災犠牲者の刻銘版等を設置するにあたり、今月末まで遺族らの意向確認を行っている。
市は来年度、追悼施設を再整備するにあたり、犠牲者の名前を刻んだ碑の設置を昨年11月に決定。震災で亡くなった人の刻銘版を整備するのは、県内の自治体としては釜石市に続き2例目となりますとの記事が掲載されました。

私も家族と相談して、「申出書」を記入し市役所に届け出をしました。
今の私達に出来ること、直俊に関わることを最大限してやりたいとの思いからです。
添付書類の遺体検案書、死亡届を改めてみた時、9年前のあの日の事が鮮明に思い出され涙が止まらなくなりました。
親として守らなければならなかった者を守れなかった悔しさ。失ったものがどれだけ大きなものだったかが、改めて思い知らされました。

今の私の生きがいは、熊本に住む少年、健翔君との交流です。
最初に熊本を訪ねた時は小学校1年生のあどけない少年でしたが、今は4年生になり、ひらがなだらけのお手紙は、今では漢字も少し増え文章も少し長くなってきました。
今年届いた年賀状は、私の名前は全てひらがななのに自分の名前は全て大きな漢字で書かれておりました。
一昨年私の家を訪れた時、仏前で一瞬黙り込んでしまった健翔君の表情を今でも覚えています。あの時健翔君は何を思ったのでしょうか?

この少年を思う時、必ず直のことが思い出されます。

父親の和彦さんより

直俊君へ

平成30年3月、まもなく丸7年になりますね。
あの震災がなければ、ことしで24歳。今ごろはどんな人に成長していたのでしょうね。
この7年が私たちにとって長かったのか短かったのかは、わかりません。

明らかに違うのは、少しずつですが、町並みができてきています。
直の同級生たちも近頃、顔を見せなくなりました。忘れたわけではないと思いますが、どうしたのでしょうか。
私たち家族は、直のことは片時も忘れたことはありませんよ。

おととし、熊本地震の復興応援で熊本へ行ってきました。そこで、1人の少年との出会いがありました。
まるで小さな時の直のような少年でした。この少年が20歳になるまで交流を続けましょうと約束をして、1年間交流を続けて、ことし少年と再会することができました。
この少年は思ったとおり、まっすぐで賢く明るい少年でした。直俊の弟みたいな感じの子です。
私たちの心の喪失感をこの少年が埋めることは決してありませんが、直に重ねて成長を見守ることはできます。

7年前から直との時間は止まったままです。
少年が成長して、直と同じ年齢になり、やがて追い越し、大人へと成長していくでしょう。
私たちと一緒に、直も成長を見守ってくださいね。

この少年の成長とともに、私たちで直と過ごした時間、生きた証を少しでも伝えていくことが、私たちの務めだと思っております。
忘れることが復興ではありません。伝えることの大切さ、私たちは決して忘れません。
東日本大震災。何度か取材されましたが、思っていても言葉に出せないことがたくさんありました。
先日、記者から言われた言葉。報道が作り出した言葉かもしれない。震災の悲しみを乗り越えるとはどんなことか、震災のつらさ、悲しみをばねにしてとはどんなことか、あれから毎日考えさせられております。

私にとって、この東日本大震災の悲しみ、これを乗り越えることはできないと思います。
これほどの災害やつらいことは、これから先、起こることを想像できません。
震災当時を思い起こせば、つらさよりも悔しさだけしか出てきません。
なぜ、なぜ、なぜ私の息子なのか、なぜ私なのか、どうして私の家族なのか、私たちが何をしたのか。
思い出せば涙がこみ上げてきます。

あの時から私たちと直俊の時間は止まったままです。
人混みの中で、直に似た人を見かければ追いかけてしまう自分がそこにいる。違うとわかっていても自然と目で追う自分がそこにいる。また悲しみが募る。
この手紙を書いていても、涙がにじむ自分がいる。
この悔しさをばねにすることなどは、とうてい考えられません。

現実に起こったことを認めることのできないつらさ、当事者でさえも認めることができない。いまだ行方不明者が多数いることが全てを語っています。
誰かがこの事実を伝えなければならない。つらさ、悔しさだけで口をつぐんでしまうのではなく、少しでも世間の人たちにわかってもらいたいと思う。
忘れ去ることが、復興では決してないと思います。

今、私たちがやらなければならないことは、このつらさや悔しさを伝えていかなければならないことだと思います。
直俊がやり残したことが何だったのかは、今となってはわかりませんが、熊本の少年にその姿を重ねて見守っていきたいと思っています。

今、日本中で危惧されている、東日本大震災をしのぐ、南海トラフ、首都圏直下型地震等が起きた時、私たちの経験が少しでも役に立つのなら、伝えていかなければならないと思っております。

ホームページをご覧になった、アメリカ在住のまつもとゆきこさんより

おつらい気持ち、お察しします。
アメリカで教員をしています。子どもたちにも先週、7年経ちましたと話したばかりです。
遠い日本でのこと、まして生徒たちが3歳ぐらいだったので、話には聞いても、実感できない子もいます。
だからこそ、こうしたお手紙を読み聞かせたいなと感じました。少しでも身近に感じられることが大事だと思います。
よそのことではなく、おとなりさんのことだと思って、痛みを分かち合えるとよいと感じています。
命とは、かけがえのないものですね。
熊本の少年にとっても、岩城さんの存在は、きっとかけがえのないものとなるでしょう。

番組をご覧になった、愛媛県松山市の服部秀樹さんより

和彦さん、直俊くん、それから健翔くん。
まず・・・四国に住む私が、震災をたまにしか思い出せない私が、なんて話しかければよいのかわかりません。
2年前に東北に行き、目の当たりにしたものは、復興5年目とは思えない光景でした。
震災そのものや被災された方の心を、いくら想像しようとしても、できるものではないと気づきました。
当事者である和彦さんが正直に伝える思い、あるべき姿だけでなく、ありのままの姿を見させてください。
少しでも理解に近づけるよう、そこからまた想像してみたいと思います。
最後に・・・当事者でもない私が、震災で浮かんでくる思いの中に「憎しみ」が強くあります。何かや誰かを特定しているわけではなく、自分でも不思議なんです。
和彦さんの「悔しさ」聞かせてください。未来の世代のために、私ができることを気づかせてもらえるような気がしてます。

番組をご覧になった、静岡県沼津市の浅田育正さんより

東日本大震災特集で、直ちゃんのお父さんのお話で、泣けてしまいました。
年に1回の特集でなく、毎月11日は月命日の特集として、被害者の声を公開してください。
地震と津波国の日本として、多くの国民に、家族との関係。
さらに今後30年後までに80%の確立で地震津波が発生する恐れがある日本。
これからの自分の人生計画などの参考になるようにしてほしいと、切に思いました。

岩城直俊さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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