あの日、そして明日へ

こころフォト

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菅野美嘉さん(かんの・みか/当時48歳) 岩手県陸前高田市

津波に巻き込まれ、旧高田高校の体育館で亡くなっているのが見つかりました。

震災から4年PHOTO

震災から13年を迎えて

娘の菅野舞さんより

あの時から13年という月日が流れましたね。
早いような長いような。高校生だった私も30歳になる年になります。
信じられないですよね。気持ちは若いつもりでいますが、歳だけとっていきます。

新年を迎えてすぐに石川でも同じように強い地震がありました。
あの時を思い出すような、私と同じ思いをした方もいるのではないかと思うとすごく胸が痛くなります。
高校生の時とは違って看護師として働いている自分にできることは無限大にあると思うので、何かできればなと思ってます。

また、今年は看護師としてまた一つスキルアップできるように挑戦してみたいこともあります。
自分にできるかどうかはわかりませんが、1人でも多くの患者さんの笑顔が見られるように頑張りたいと思います。

いい報告ができるように頑張ります。応援してくれると嬉しいです。

震災から10年を迎えて

娘の菅野舞さんより

震災から早くも10年が経ちました。高校1年生だった私も26歳になりました。

私は今、市内の病院勤務で、看護師として働いています。看護師として働き始めて4年が経とうとしています。
まだまだ未熟であると思いますが嬉しいこともありました。
長い間そばでみていた患者、家族に沢山感謝の言葉をいただき、家族というすてきな風景、時をみました。
なんでも言い合い、お互いに支え合いながら過ごしているその家族は、看護している方でありながらも、心温まることが多かったです。
私も将来は、お互いに何でも言い合い、支え合える温かい家族を作りたいなと心の底から思いました。

お母さんもお父さんと結婚してどんな気持ちで過ごしていたのですか?
夫婦だから色んな想いはあると思いますが、愛して結婚したのがお父さんだと思います。
よく、台所に立っていたお母さんとお父さんは、イチャイチャしていて、お姉ちゃんと「恥ずかしいわー」っていいながら、眺めていた記憶もあります。

今年度といえば、コロナが流行し、今まで自由にしてきていたことが制限され、違ったライフスタイルを築いている家庭もあります。その中、私は医療従事者の1人として働いています。日々感染に注意し生活し、常にグレーゾーンで働いています。
自分がいつ、どこで、コロナに感染するか分からない中で働くのは恐怖ではありますが、これからも頑張るので応援してくれたら嬉しいなと思います。
大好きなお母さん、これからも菅野家を守ってください。よろしくお願いします。

まい

震災から5年半を迎えて

娘の菅野舞さんより

もう震災から5年半が経ちました。
月日が流れるのは本当に早い。みんなの記憶から少しずつ東日本大震災のことがうすれていっている中でも、私は、5年半前の震災の出来事については、今も鮮明に覚えています。
震災の時は、高校1年生だった私も、今では大学4年生になり、学生生活最後の夏休みをむかえています。
地元の海はとてもきれいで、5年半前に多くの人の命をうばったとは思えないほどです。

今私は、就職活動真っ最中です。1次試験は無事に合格し、今は2次試験にむけて準備をしているところです。
岩手で働くことができるように頑張るから応援していてね。

それから、去年の夏から始まっていた看護の実習も無事終了しました。
実習中辛いこともあったり、お母さんの手料理を食べたくなる時もありました。
けど、どんなに辛い時も家族をはじめ、友達に支えてもらい、実習をのりこえることができました。
看護の実習も終わり、“ほっ”としたいところですが、この夏は保健師の実習があります。
やることが多すぎて、正直泣きたいくらい辛いです。
でも、実習が1つ終わるごとに自分の中でなにかが成長していると思うので、多くの人に支えてもらいながら頑張りたいと思います。
今年は、勝負の年。この半年頑張ることでお母さんとの夢だった看護師になることができるので、頑張るから応援しててほしいです。

お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんは変わらず元気でやっています。
お姉ちゃん家族も相変わらずです。双子の姪っ子もスクスク成長しています。
いつか、もうちょっと大きくなったら、お母さんのことをいろいろ話すね。
そして、顔合わせができますように。

お母さんは、私にとってたった1人のお母さんです。
私はこれからも、お母さんのことは想い続けるし、すごいお母さんなんだよってことを、みんなに知ってもらいたいと思います。
お母さんは私のことを見守っていてください。これから先、どんな試練があったとしてものりこえていけるように。

震災から5年を迎えて

娘の菅野舞さんより

時の流れは早く、もうあの震災から5年が経とうとしています。 

私は、この春から大学4年生になります。就活や実習、国試など、辛い時期の始まりです。
こんな時、隣にお母さんがいてくれたら、どんなに嬉しいことか考えます。
実家に帰っても、「おかえり」と声をかけてくれるお母さんはもういないから、すごく寂しい。
私が「ただいま」「いってきます」と言っても、それに返ってくるお母さんの声はない。
それに対して、むなしさを感じることはありますが、それと同時に、お母さんのことを忘れていないということと、私の中で生きていると実感することができます。

この1年の間に、大きく変化した事があります。
1つは、姉の妊娠です。双子だよ。今は生まれて5か月くらいになるのかな~。
お母さんが生まれた時も双子だったんだよね?お母さんが授けてくれた2つの命なのかな?2人ともすごく可愛くて、元気な女の子だよ。今の私の癒しだよ。
お母さんも見たかったよね。空から2人の成長を見守ってあげて。

お姉ちゃんは初めての子供で大変だと思うから、私はできる限りはサポートしたいけど、できないこともあるから、夢の中でもいいから、お姉ちゃんに声をかけてあげてください。

2つ目は、おばあちゃんの死です。私は、お母さんとおじいちゃんの死に際に立ち会うことができなかったから、おばあちゃんだけはと思って、ちゃんと空に見送りに行ってきたよ。
おばあちゃんは綺麗で、最後まで笑顔がすてきでした。今はお母さんとおじいちゃんとおばあちゃん、3人で仲良く過ごしているのかな?

夏にお母さんに会いに行って、色々な思いが交差した。でも周りの人が支えてくれて、助けてくれて、今こうやって私は笑っていられるのだろうと思う。
私は頑張ってるから。一歩ずつ、確実に。

震災から4年半を迎えて

娘の金野絵美さんより

お母さんへ
忘れもしない、あの大震災から、もう4年半が経とうとしています。
お母さんだけ、あの瞬間で、時が止まり、年が止まり・・・若いままで・・・他の皆は、あの瞬間で時が止まっていても、年だけはとって・・・私と舞は、少しずつお母さんの年に近づいているね。

1月。舞の成人式でした。当日、美容院で、「舞ちゃんは、高田で1番きれいだよ」と褒められていました。お母さんにとって自慢の娘であったように、私にとっても自慢の妹です。
舞は、成人式の場にお母さんがいないのを、寂しさ一つ見せず、胸を張っていたよ。本当は、今日のこの日を、他の誰よりお母さんに見て欲しかったはずなのに・・・
母代わりとして付き添った私が、また一歩、大人の階段をのぼった舞の姿を見ていました。お母さん。ちゃんと、天国から見てたよね?
8月末。(実家にて)帰省中の舞と、マイヤ書道展に出展すべく、筆をとりました。
(私も舞も、幼い頃から高校を卒業するまで習字教室に通っていました。出展するたび、何かしらの賞に入り、その度お母さんが我が事のように喜んでいたのを、ふと思い出したからです)
姉妹が揃った状態で書を書く機会が、ここ数年・・・いや・・・10年程なかったと思うから・・・。
日の当たりのいい玄関の机で、舞と並んで、一般の部の課題“鎮守”と書きました。今回も何かしらの賞に入るかな?今回の出来はどう?お母さん。
舞ね。8月31日から12月上旬まで、実習が始まるそうです。どんなにキツイ状況でも、立ち向かえば、絶対働き始めた時の糧になる、と舞に伝えたよ。
天国から応援しててね。お母さん。舞が立派な看護師になれるように。

そして、私。
11月1日が出産予定日。まさかの双子。一卵性の、おそらく女の子を妊娠中。
お母さんが双子だったように、今度は私のお腹の中に、新しい命が2つ。双子に縁があるみたいだね。
お母さん。性別どっちか分かっているんだったら、夢に出てきて教えてね。2人分準備するの、結構大変だからさ。
本当は、お母さんと、新生児用の物品見て歩いたりしたんだろうなぁ・・・と、思ったりするよ。
まずは、出産するまで、しっかり天国から見守ってて頂戴ね。頼むからね。お母さん。
お母さん。心の傷は時と共に癒えるというけれど、正直、4年半経とうが、表面的に取り繕っているだけで、根本は癒えていないね。
何年経っても、きっと、その気持ちは変わらないんじゃないかなぁ・・・。
夢で、また、会えるといいね。
お母さん。大好きだよ。

(絵美さんは、10月9日に、双子の女の子を出産しました)

震災から4年半を迎えて

娘の菅野舞さんより

あの震災から4年半が経とうとしています。
活気にあふれた町になるまではまだまだ時間はかかるかもしれませんが、復興は少しずつ進んでいます。近くそれと同時に、私の中でも気持ちの整理ができているのではないかと思います。

今年の8月に、やっとお母さんの姿を見に行くことができました。
やっとお母さんの姿を見れることができるという喜びのほかに、会うことの恐怖もありました。お母さんの写真をまともに見ることができるか、そしてその写真に写っているのが実の親であり、本当に津波で死んだのだということを受け止めなければならない事実を。
写真を見る寸前までお父さんは、私を心配してくれていました。津波の起きた4年半前に、お母さんが死んだのは当時通っていた高校に私を迎えにこようとしたためだったので、私自身を責め、死を考えた時もあり、精神状態が不安定だったからです。
そのこともあり、お父さんは、私がお母さんの姿を見たときに、自身を保っていることができるのか不安だったのだと思います。
写真を見たとき、正直、お母さんだと分かりませんでした。でも当時、身に付けていたものはお母さんのものでした。
見るのは本当に辛かったです。でも、4年半ぶりにお母さんに会うことができて良かった。嬉しかった。お母さんが守ってくれたこの命を大切にして生きたいと思いました。
誰かが悲しんでいる時、泣いている時、私と同じ体験をした人がいれば、私が手を差し出し、その方々を助けてあげたい。太陽となってあげたい。
生きたくても生きられなかった人の分、命を大切にして生きようと。

残り1年半の学校生活が終われば、看護師として働きます。その前に9月からは実習が始まり、多くの人(患者、先生、看護師)と関わる機会が増えます。
そこでたくさんのことを学び、将来、患者の心に寄り添い、それなりの知識や技術を身につけた看護師になれるように、常に向上心を持って頑張ります。
だから、こんな私のことを応援していてね、お母さん。

震災から4年を迎えて

娘の菅野舞さんより

お母さん、元気にしてますか?私は元気だよ。もうあれから4年が経とうとしています。
まず、謝らないといけないことがあります。あの日の朝、ちょっとしたことで喧嘩してお母さんを困らせて、ごめんなさい。
そして、私のこと高校まで迎えにこようとしてたんだよね?お母さんが震災前の旧高田高校の体育館から見つかったって知った時、涙が止まりませんでした。
近くにいたんだね。すぐに見つけてあげられなくてごめんね。あの日を思い出すと、胸がしめつけられる思いです。いつも心配かけてばかりでごめんね。
私は今、看護の大学に通っています。保育園からの夢だったよね。あと2年勉強したら夢が叶うよ。

看護師として働く姿、お母さんに見てもらいたかったな。でもその前に、まずは勉強頑張らないとね。絶対、立派な看護師になるから応援しててね。
そして、成人式を迎えます。振り袖姿、見てほしかった・・・。

お姉ちゃんね、近々結婚するみたいだから、ちゃんと空から見守っててください。寝てて、お姉ちゃんの晴れ姿見忘れたとか言わないでね。

お母さんは、私の自慢のお母さんだよ。料理もできて、裁縫もできて、踊りはうまくて尊敬してます。もっとたくさん教えてほしかった。なのになんでそんなに早くに空に行っちゃったかな。
あの日、学校に行かなければ、お母さんは空に行くことはなかったのかな。できることなら、お母さんと代わりたい。でも、そんなこと言ったらお母さん怒るよね。
だからお母さんの分も精一杯生きます。そして、これから多くの命と向き合い、一つでも多くの命を助けるから。

私はよく“笑顔が素敵ね”って周りに言われます。お母さんのことを知っている人曰く、お母さんの笑顔に似ているそうです。
笑顔って人を幸せにするんだって。お母さん、私は笑っているから、ちゃんと天国で幸せじゃないと許さないからね。

お母さん、大好き。

菅野美嘉さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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