震災から3か月後に次男の紳弥(しんや)さんが通う中学校の近くで亡くなっているのが見つかりました。紳弥さんを迎えに行き津波と火災に巻き込まれたとみられます。
震災から8年という月日が経ち、中学2年だった俺も今月末には大学卒業を控えています。男3人で喧嘩したり、ふざけあったりしている俺らをおかあは見守ってくれていますか?
起きてしまったことだから受け入れようと思っていたけど、津波の報道を見ると、あの時なぜ高台へ逃げなかったの?どこに行こうとしていたの?責めるつもりは全く無いけど、心のどこかで問い続けていた自分が居ました。やっぱり悔しい思いが強かったのかもね。
その思いもあって大学の卒業研究で山田の人の当時の津波避難行動についての研究をやったよ。研究の過程で悩んだときもたくさんあったけど、おかあの事を思い出すと落ち込んでられないな、踏ん張らないとってすごく原動力になりました。研究結果は自慢できるほど大きな成果ではないけど、問い続けてきた自分の疑問を解き明かす一歩になったような気がします。4月からは大学院でさらに研究を続けます。
災害は無くせないけど人は守れると思う。自分の力でどこまで出来るか分からないけど、おかあ始め遺体安置所で見たたくさんの人たちのような犠牲を減らせるような研究をしていきたい。だからもう少しだけ、力を貸してね。
紳より