港の市場で鮮魚店を営んでいた2人は、自宅や店とともに津波に巻き込まれました。俊也さんは今も行方がわかっていません。
女川の総合運動場から、前に住んでいた家のあった場所を見ると、もうかさ上げがされて、新しい家が建ち始めていました。
けれど、あの場所に行くと、家族での思い出がたくさん思い浮かびます。
庭で野球をして遊んだことや、トイレのドアの滑りが悪くなってトイレに閉じ込められたことなど、たくさんあります。
私は今、家族が増えました。新しい家族が増えて、うまくいかないこともあるけど、1日1日がとても新鮮ですごく楽しいです。
そしてこの間女川に行って、お母さんとお父さんと一緒に避難した人から、その時の話を聞きました。
お母さんとお父さんはみんなに「津波だ!!」と伝えて、一緒に避難した人たち20人くらいを助けていたと聞いて、私は涙が止まりませんでした。
でもすごく嬉しかったです。
自分のお母さんとお父さんは、みんなを救ったヒーローだから。
誇りに思っています。
この話を聞いて、私は将来目指している看護師への思いが強くなりました。
お母さんとお父さんのように、人を助けられる人になりたい。緊急時でも周りを見て行動できる人になりたいと思いました。
ことし受験生になって大変なこともあるけど、自分の夢に向かって頑張りたいです。
将来、看護師になって、たくさんの人を救えるようになって、お母さんとお父さんのようになれたらいいなと思っています。
だから、天国でずっと見守っていてください。
(「思い出の場所」についてお聞きしました)
お母さんとお父さんへ
お母さん。今いるとこではお父さんと会えたかな?
あみはね中3になったよ!!受験生になったんだ。
志望校は、一応多賀城高校に決めて将来の夢は看護師なんだ。
今は、おじいさんも、おじさんもいなくなって司とおばあちゃんの3人になっちゃった。ちょっとさみしい。
この前友達とお祭り行ってきた。すんごい楽しかったよ。でも、花火みてたらお母さんとお父さんのこと思い出したんだ。
女川のみなと祭りで花火みたり、一緒に花火したりしたよね。もっと一緒に花火見たり、野球したりしたかったな!!
お父さんとは、3月11日会ってないよね・・・
何も言わないでいっちゃったお母さんとお父さん。
あみと司ずっと体育館で待ってたのに。お母さんとお父さんに会えていた友達がすごくうらやましかったよ。
もう、大好きなお父さんとお母さんがいないって知った時、涙がでてこなかったよ。でも、おそう式をしてたらほんとにいないんだって実感しちゃったんだよね。そんときに初めて泣いたかもしれない。
だけど、あみもつかさも元気にしてるよ!!
お母さんとお父さんの分まできちんと生きるから。
だから、ずーっとあみとつかさのことみててね。
今までありがとう。
これからもよろしくね。