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上野永吏可ちゃん(うえの・えりか/当時8歳)倖太郎くん(こうたろう/当時3歳)喜久蔵さん(きくぞう/当時63歳)順子さん(じゅんこ/当時60歳)福島県南相馬市

永吏可ちゃんを小学校に迎えに行ったあと、4人は自宅にいて、津波に流されたとみられ、喜久蔵さんと倖太郎くんは今も行方がわかりません。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 8月30日放送

    悲しみを胸に 一歩前へ

    (おはよう日本)

永吏可ちゃんと倖太郎くんの父親の敬幸(たかゆき)さん、母親の貴保(きほ)さんからのメッセージ

あれから2年半。時間が過ぎていくのはあっという間だけど、いつまで経っても気持ちは震災の時のまま止まってる。
現実でなければ良いと願ったけれど、永吏可が一輪車で運ばれてくる姿を見て、現実なんだと認めざるを得なかった。
びしょ濡れだったけど、いまにも目を覚ましそうなきれいな顔をしていたのを良く憶えてる。泣き叫び、しがみつくパパを見て、ママは何故か泣けなくなって、ただ呆然と見ていることしか出来なかった。その時、冷たい母親なのかと悩みもした。ただただ一緒に居てあげられなかった事、側にいてあげられなかった事が悔しくてならない。
どんなに恐かっただろうと想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。今でも永吏可と倖太郎を想うとこんなにも簡単に人は泣けるんだと思うくらい、涙が溢れてくる。まわりの子達が成長していく姿を見て喜ばしい反面、永吏可と倖太郎はどんな風になっていただろうと悲しくなる。
永吏可は私達の手元に帰ってきてくれたけど、倖太郎は帰ってこない。魂は身体にある訳ではないと分かってはいる。でも、私達の子として生きてくれた証を、例え遺骨であっても残したかった。もう2人を抱きしめてあげることも、声を聞くことも出来ない。
だけどこれからもずっと、いつも2人に話してきたように、「永吏可と倖太郎はパパとママの宝物。」パパとママの子供として生まれてきてくれて、思い出を沢山くれて本当にありがとう。
最後に、お父さん、お母さんへ。
頑張りに気付いてあげられず、生きてる間に親孝行してあげられなくてごめんなさい。
亡くなって初めて、いかに大変だったか考えさせられました。お父さん、お母さんが残してくれたものを、一生懸命守っていきたいと思います。今まで本当にありがとうございました。
どうか、天国でみんなが笑顔でいてくれることを願っています。
P.S.天国でも、永吏可と倖太郎の事、よろしくお願いします。

こころフォトのページをご覧になった、滋賀県大津市の乾聖(いぬい・まこと)さんより

つらく悲しく苦しいお気持ちは痛いほど良く判ります。
また、さぞかし自分を責められて居られるでしょう。
心より心より御同情、お気持ち御察し申します。
倖太郎君の御遺体を見つけたら、自死をも・・・のお気持ちはよくよく判ります。
しかしながら、、私は貴方のお父さんと同じ年齢ですが、喜久蔵さんなら馬鹿な事を考えるな!と必ず言うでしょう。
また、天国に居る永吏可ちゃんや倖太郎君や母親の順子さんはそんな事を考えては嘆き悲しむでしょう。
「お母さんや娘の事をくれぐれも頼んだよ・・・」と言うに絶対違いないのです。
Fight!

「こころフォトスペシャル」を見てコメントを寄せてくださった、東京都三鷹市の
坂井久美子(さかい・くみこ)さんより

テレビで拝見しました。
倖太郎君が見つかったら、お父様は死んでしまうのではないかとすごく心配しました。
明るい笑顔で頑張っていらっしゃる姿に頭が下がります。
そして、私の悩みなんて小さなものだと思えるようになりました。

そんなに頑張らないで下さい。
泣きたい時は、泣いて下さいね。
私も父の一周忌が過ぎて初めて大きな声を出して泣きました。

上野永吏可ちゃん、倖太郎くん、喜久蔵さん、順子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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