あの日、そして明日へ

こころフォト

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佐藤信子さん(さとう・のぶこ/当時81歳)宮城県石巻市

1人暮らしをしていて、近所の人に一緒に逃げようと声をかけられましたが、「自分は足手まといになるから後で行く」と言い、家ごと津波に流されて亡くなりました。

震災から9年を迎えて

長女の杉山せつ子さんより

母さん、大震災から8年と10ヶ月となります。
年号も平成から令和と移り変わりました。
今そちらでどうしてますか?
父さん、弟達、母さんの兄姉に逢えましたか?
私達家族、妹家族、母さんが大好きな孫娘達、可愛がってくれたひ孫も高校二年となり、毎日が忙しいながらも穏やかに暮らせることに感謝です。

震災後、雄勝から石巻の仮設生活をし、今は石巻のあゆみ野に家を建て二年半、仏だんも2件分祀りほんとうに、ほんとうに安心しています。
毎朝、両家の仏だんに「おはようございます。毎日の見守り頂きありがとうございます。今日もよろしくお願いします。」とお参り出来る生活に感謝です。

あの震災であまりにも突然の母さんとの別れ…たくさん物も失われて…
あの朝いつものように電話で「今日も元気で生きてたよ~」と交わした母さんの言葉が最後なんて…
あの日一人暮らしをしていた母の側に私がいたら津波から逃れたかもしれない…
あれこれと悔やまれます。

働き者で辛抱強く、穏やかな母さん、あわてんぼうな所も…
家族、娘達、ひ孫が集まると会話の中に出て来て「旅行にも、もっともっと連れて行きたかったね。おばあさんの煮しめが絶品でおいしかったね。春になるとチューリップが見事に咲いてたね」とか、母さんの失敗談で笑ったり、泣いたり…
一日だって忘れた事はありません。
今年も三月十一日が来ます。震災前に母さんの暮らしていた場所に家族、妹家族、娘家族とチューリップ入りの花束と大好物な物を持ってお参りに行きますね。
未だに行方のわからない方々が一日早くご家族の元に帰られますようにと、もう二度と大震災や災害が起こらないように祈るばかりです。
母さんいつもいつも私達を見守ってくれてありがとう。
生かされている生命、しっかりと生きて行きます。

震災から7年を迎えて

ご家族の今野陽子さんより

おばあさん、元気?おじいさんと仲良く暮らしてますか?
こちらは、みんな元気にしてます。

7年目の11日も、8人でおばあさんの家に行きました。まだ後ろの壁もあって、家の面影が残ってますが、両隣は石の山でした。
おばあさん家だけが残ってて、なんだかうれしかった。
なかなか行く機会がないけど、時間を見つけておばあちゃん家に行ってみようと思います。たまには2人で話そうね。

太陽は志望校に合格し、春から高校生です。あんなに小さかった太陽が大きくなってビックリしてることでしょう。
この成長をおばあさんに見てもらえないことが心残りです。

これからも、みんなのことを見守っててください。 

震災から3年を迎えて

長女の杉山せつ子さんより

母さん、おばあさん、信ちゃん。
色々な呼び方がありましたね。
母さんがあの震災で亡くなってから、もう3年になろうとしています。
今も私は、震災と大津波の時、母さんを助けに行けなかったことを後悔しています。

私と違う地区にひとり暮らしをしていた母さん。
足が不自由だったので、地震のあと、本家のお嫁さんが一緒に避難しようと連れに行ったとき、大丈夫と言って自分の家に残った母さん。何故、一緒に避難しなかったの?高台だったから?
色々なことを考えます。
でも母さんの選択したことだからと思いつつも…

私は自分の地区で他の年配の人の手を引いて、津波からやっと逃げて助かった!!今でも私の手を引いた人が母さんではなく、他の人なんだろうと思うことがあります。
働きづめだった母さんに、今までの分、やっと親孝行が出来ると思っていた矢先の出来事!
親孝行できないままの別れ、申し訳なく思います。

震災後、行方不明になって混乱の中、みんなで捜しても捜しても見つからず、やっと98日目に私達のところに遺骨になり、帰ってきた母さん。あの時は怖かったでしょ、苦しかったでしょ。寒くて、冷たかったでしょ。

母さんの口癖、娘たちみんなに迷惑をかけたくないとばかり言っていた母さん。
こんな別れ方をするとは夢にも思っていなかった。
遺骨となり、私達のところに帰ってきてくれただけでもいいのかしら? まだ、行方のわからない人達もたくさんいるのだからと思ったりします。

去年の3月11日、みんなとお墓参りと母さんの家のあった場所に線香とお供え物をし、みんなで仮設に帰り、午後2時46分に黙祷をしました。
その時、母さんの初孫娘がひとりいませんでした。
後から知ったのですが、孫娘はひとり、母さんの住んでいた場所に行き、「おばあさんが震災の時、ひとりで心細く不安な思いをさせたから、せめて震災のあった時間から45分くらい一緒に過ごして心の中で会話をしてきた」と聞き、私が思いつかないことを孫娘が気づいて、母さんの思いやりが孫たちに伝わっているのですね。
私、思わず、泣けました。

今年から、みんなで母さんに寂しい思いをさせたくないので、母さんの家の場所で一緒にいますから、帰って来てくださいね。
働き者で我慢強く、思いやりのある母さん。
向こうの世界から私達のこれからの生き方と、もう二度と悲惨な事が起こらないように見守って下さいね。
みんなから、ごめんなさいと、本当にありがとうの言葉を伝えます。

夢でもいいから、母さんに会いたい。
声を聞き、話もしたい。
今さらながら、命の重みを感じます。

長女の杉山せつ子さんからのメッセージ

親孝行らしきことが出来ないまま 母との別れ。
今、とても後悔が残っている。
震災、津波のとき、どんな想いで亡くなったのかと思うと、胸が苦しくなります。

こころフォトのページをご覧になった、千葉県香取市の篠塚明(しのつか・あきら)さんより

自分は今年の5月で60歳になります。会社も定年。このメッセージが他人事のように思えません。
少ないメッセージの中にとても心惹かれました。
若い人のようにたくさんのメッセージを送れない自分のことのように思います。
文章は苦手で、メッセージを出すだけで精いっぱい。でも自分の気持ちを出せたと言うだけで応援できます。
これからの人生、全くの他人からですが、応援しております。

孫の今野陽子(こんの・ようこ)さんより

おばあさんと最後に話したのは、3月9日の夕方だったよね。
また話せると思ってたし、会えると思ってた。
地震の直後、電話したけど通じなくて、その後に大津波。
助けに行けなくて・・・たった1人で逝かせてしまって・・・本当にごめんなさい。
職場の目と鼻の先にある安置所におばあさんがいたのに見つけられなくて、おばあさんを1人で東京に行かせて火葬にも立ち会えなくて、小さな箱に入ってからしか迎えに行けなくてごめんなさい。
冷たかったよね・・・寒かったよね・・・不安だったよね・・・怖かったよね・・・痛かったよね・・・1人で寂しかったよね・・・。
太陽は春から中学生。おばあさんより大きくなったよ。
「もし1日だけでも信ちゃんに会えるなら、信ちゃんとばあちゃんを会わせたい」って言うのって、太陽らしいでしょ??
お母さんが会いたがってるから、夢の中でお母さんに会いに来てあげてね。

佐藤信子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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