














千葉孝幸さんの一家。自宅から避難する途中で津波に巻き込まれ、孝幸さんの次男の一世ちゃん、父親の兼司さん、母親のチヤさんが亡くなりました。妻の峰子さんは今も行方が分かりません。
震災から12年、今、私が思うこと
一世、あなたは、8月には14才になり自分の進路を考える年を迎えていたはず
父さんは震災後、時が止まったままで1才の一世しか想像が出来ません
14才に成長した一世と話をしたり笑ったり出来ない事が悲しく辛いです。
雄貴兄ちゃんの時のように色々と一世にやってあげたかったのに
何もしてあげられなかった事が父さんは心残りです
一世 ごめん
私の父と母、そして峰ちゃんは、いつも笑顔で笑っている
思い出しか頭に浮かばないです。
震災から12年が過ぎて 亡くなった家族の存在の大きさが増し
感謝の言葉しか有りません
心から ありがとう
私自身は震災後生きてきた12年間は正しかったのか
選択の判断を誤っていなかったのか
今の私には解らなく
不安が大きくなっている日々です
東日本大震災から11回目の正月を迎えました。
元旦に亡き父、母、峰ちゃん、一世と御先祖様にお餅や煮しめ等をあげて、新年の挨拶を終えて朝食の準備に向かう時にリビングにくつろぐ両親、笑顔で私に話しかける峰ちゃんと一世と雄貴の姿、
家族皆でにぎやかで幸せなお正月を迎えた私達が頭の中に目の前に浮かびました。
震災から11年間、私が追い求めていたのは家族との幸せな時間だったことに気づかされ、すごく寂しい現実に元旦早々ため息が・・・。
神社にお参りに行き、帰りに大槌の町に目を向けると区画整理で立派に復興をした道路等、インフラが目に入ってきます。
しかし震災を生き残り、この地で生きていけることを信じて頑張ってきた人々が思い続けてきた町の環境、特に町の経済や産業を活性化させての復興が程遠い気がしました。
震災から年数がたつほど、町の将来、家族の未来が心配で不安しかないです。
震災で亡くなった方々が今の現状を見たら、どんな思いで大槌を見ているのか・・・
今年、東日本大震災から10年の歳月が過ぎました
この10年間は父と母そして妻の峰ちゃん、息子のイッちゃんを津波から守ることが出来なかった事を、毎日悔やみながら雄貴と共に前向きに考えるようにと自分に言い聞かせ必死に生きてきた10年間でした
イッちゃん貴方が生きていれば震災当時の雄貴兄ちゃんと一緒の小学6年生だね
小6になったイッちゃんは今何を考え何を楽しんでいるのかな
お爺ちゃんやお婆ちゃんとどんな話をしているのかな
お母さんとは何処へ遊びに行って楽しい時間を過ごしているのかな
お父さんは頭の中で想像をする事しか出来ないので寂しいです
東京から帰って来てくれた雄貴兄ちゃんは21歳になり今、新しい道を歩み始めました
まだまだ経験不足で心配な所が有るけど雄貴兄ちゃんの事を信じ
この先の人生を雄貴兄ちゃんと共に歩んで行こうと思っています
もし、この先も皆さんに心配をかけるような事があったなら
その時は私達を天国から見守って下さい
いつの日にか家族皆さんと再会出来る日を楽しみにしながらこの先の人生の幸せを雄貴と共に切り開きながら頑張って生きていきます。
家族の皆さんも再会の日を楽しみに待っていて下さいね。
東日本大震災から9年を迎え
平成から令和二年になり私は55才に、東京の息子も20才になります。
この9年間は震災を通して沢山の出会いと繋がりが有りました。
今も私達二人に遠方にも関わらず心から寄り添って頂き、私達の心の支えになっています。
震災当時、家族4人を亡くし、家も失い、町も壊滅的被害で私は自身や息子の将来の展望を見出すことが出来ず不安とストレスとの戦いでしたが、国内外の支援や励ましのメッセージが、進むべき道が見えず立ち止まってしまい前に進むことが出来なくなった私達や被災者に、前に進む勇気と希望の光を与えてくれました。
個人的には、まだ将来の不安や心配事は有りますが、当時、国内外の支援をしていただいた方々の優しい心のこもった支援のメッセージを忘れずに前向きに考え生きて行こうと思います。
最後に東日本大震災で亡くなった方々のためにも、私達は幸せだった人生と故郷を取り戻したいです。
震災から8年を迎え、平成から新しい年号に変わろうとしています。
私にとって平成は、峰ちゃんとの出逢い、結婚、そして雄貴と一世が生まれ、私の両親と共に家族6人で幸せな時を皆で生きていた平成でした。
もう1つの平成は、東日本大震災で、私と長男・雄貴の大切な家族4人の命を奪い、私達親子の人生の歯車を狂わせました。
震災から8年間、親子2人で頑張って少しずつ良くなって来たと思っていたのに、親子の気持ちは時間と共に少しずつズレ、お互いの気持ちがスレ違ってしまいました。
この震災からの8年間は、私達親子にとって何だったのか答えが見つかりません。
震災から8年が過ぎても、これから先の人生をどのように生きて行くか、私達親子の羅針盤の針の方角は定まっていなく、迷い悩んでいます。
震災から8年間で学んだ事は、人生は答えが無い迷路のようなものと教えられたような気がします。
だから新しい年号に変わる今年は、新しい気持ちで、人生の道を迷いながらでも今後のことをよく考え、答えを見つけられるように前に進む年にしたいと思います。
旅立つ雄貴へ
雄貴が生まれて18年間、色々な事がありましたね。
東日本大震災が来る2011年3月11日まで、家族6人で幸せな人生だったね。
震災後2人で流した涙は決して無駄ではなく、あの時、失敗もあったけど諦めずに2人で頑張ってきたから今があると思います。
今年18歳になった雄貴は一人で決めた道を歩み出そうと頑張っているね。
雄貴のことを思うと、頼もしいようで嬉しいようで少し寂しいです。
中学へ入学してからは雄貴の傷ついた心を理解してもらえず苦しい思いをしたね。
そんな雄貴を救ってあげられなくて、お父さんも苦しかったよ。
だけど雄貴とお父さんのことを支えてくださる方々が確かにいることにも気づかされたね。
感謝の気持ちを忘れずに、これからも頑張っていこう。
最後に、雄貴に伝えたい言葉があります。
雄貴の人生は誰のものではなく、雄貴にとって無二の人生です。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。震災から7年の時が過ぎますね。
震災当時の1か月は、私と雄貴、2人だけになってしまい、毎日亡くなった家族が生きていることを信じ、避難所を探し回り。
いつの日から安置所に行くようになり、小槌小学校の安置所でまだ1歳の小さいいっちゃんを最初に見つけたね。
あまりのひどい姿にショックを受け、いっちゃんの名前を何度も何度も叫び続け、その日から自分を責め続ける日々が始まったけど、
今はいろいろな方々に折れそうな心を支えられて前向きにと思えるようになりました。
小さかった雄貴兄ちゃんも高校を卒業し、自分の意志で人生を歩み始めました。嬉しいようでさびしいようで複雑な思いがあります。
4月から雄貴は東京へ、私は1人になってしまいますが、私にはまだ夢があります。だから私はまだ頑張れると思います。
私から皆にお願いがあります。
雄貴の人生が充実し幸せでありますように。父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん、天国で雄貴のことを見守ってくださいね。お願いします。
私と雄貴は皆の分まで生きて、幸せを再び取り戻すことが私たちの本当の復興と思っています。
東日本大震災から6年半の歳月が過ぎ。
雄貴兄ちゃんは高校3年生になりました。
来年の春には高校を卒業し、新たな世界に一歩踏み出そうとしています。
雄貴兄ちゃんが小学5年生の時、今は震災でなくなってしまった大槌北小学校の運動会、
一世にとっては最初で最後の雄貴兄ちゃんの運動会の応援になってしまいましたね。
パパは早起きをして場所取りに、チヤばあちゃんと峰ちゃんはお弁当の準備を。
私は、いっちゃんと兄ちゃんの運動会を応援できることに幸せを感じていました。
いっちゃんが生まれて6人家族での運動会、雄貴兄ちゃんは、いっちゃんに兄ちゃんが頑張っているところを見てもらいたくて張り切っていました。
その時、雄貴兄ちゃんの目はキラキラ輝き、笑顔がいっぱい幸せそうで、いっちゃんは雄貴兄ちゃんにとって頑張るパワーの源でした。
東日本大震災がなければ、いっちゃんは小学2年になりますね。1歳の時、いっちゃんは活発で頭が良く、雄貴兄ちゃんの行動を注意深く見て理解した時に、アッと目と口を開きニッコリ笑い、雄貴兄ちゃんのまねをしていましたね。
もし、いっちゃんが学校に通っていたなら、運動会ではいっちゃんは大活躍をしているのかな?
かなわぬ夢だけど、いっちゃんの運動会を家族そろって見に行きたかったな。
この6年半は1人で亡くなった家族を想うたびに、ため息をどれだけしたか、悔し涙を流したか思い出せません。
雄貴兄ちゃんは今、自分を見つめ、自身の意志で卒業後の進路を決め、前に進もうと頑張っています。
父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん。
パパも雄貴兄ちゃんをサポートしつつ、自身のこれからの人生も考え、さびしいけど亡くなった家族の分まで生きて行きます。
私の大切な家族へ
東日本大震災後6回目の正月を二人で迎えました。
雄貴は今年、高校三年生になります。この7年間は親子二人で荒れ狂う荒波を何度も何度も乗り越えてきたような気がします。
時には穏やかだったり突然嵐が来て荒れ狂う巨大な波に雄貴が飲み込まれ沈没しそうになったり大変な事が沢山有りました。
私は、こんな時に家族が生きていてくれたらと数えきれないくらい悔しい思いをしてきました。
去年の12月、高校の三者面談で私は震災後、初めて穏やかな気持ちで話し合う事が出来ました。
ようやく普通に雄貴が自分の道を歩き出したようで暗雲の隙間から希望という小さな光が三者面談中の雄貴に降り注いでいるように見えました。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世、今も遠方から私達二人を思い手紙やメールを送って下さる方々がいてくれて感謝しかないです。
心が折れて止まりそうな時に何度も手紙やメールを送って下さる方々、の気持ちが私の心の支えとなり前に進む力となっていました。
人の暖かい気持ちってありがたいですね。
天国の父さん、母さん、峰ちゃん、一世へ
これからも色んな苦難が有ると思います。
雄貴兄ちゃんにとって大事な時期です。雄貴を守ってやって下さいお願いします。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世震災から5年半の歳月が過ぎましたね。
私の気持ちは今も変わってはいなく3月11日のままです。
父さん、母さん、6月26日に釜石の叔父さんの葬儀に父さんと母さんの代わりに行って来ました。
その時、母さんの兄妹に励まされました。
そして今でも母さん達のことを思って写真を飾り、手を合わせて祈っている事を教えてくれました。
母さんうれしいね、5年半も過ぎても皆のことや私と雄貴兄ちゃんのことを思っていてくれるなんて涙が出そうになったよ。
先日、雄貴兄ちゃんと一緒に盛岡のオープンキャンパスに行って色々な話を聞いてきました。
雄貴兄ちゃんも高校2年生になり大事な時期になりました。
峰ちゃんも母親として雄貴に色々と世話をしてあげたいのに出来なくて悔しい思いをしながら心配をしているのかな、私がもっと頑張らないといけないね。
峰ちゃんの分まで頑張るよ。
一世、パパはいっちゃんの事を思う時、いつもいっちゃんの短い人生を考えてしまいます。あなたの輝いていた笑顔や未来をパパは見る事が出来ないのが悲しいです。
いっちゃんと同い年の子は毎日元気に小学校に行っています。
パパはいっちゃんの小学生になった姿を想像出来ません。
やっぱり5年半、時が過ぎてもいっちゃんの姿は1才のままです。
声もパッパーって私に話してくれた声のままです。
いっちゃんが生まれて短い時間だったけどパパと雄貴兄ちゃんと一緒に過ごし生きていたことを今、どう思っているのか、幸せだったのか話を聞いてみたいです。
また夢の中でも良いから会いに来てね。
また一緒に散歩したり一緒に寝んねしようね。あの時パパは幸せだったよ。
震災から5年半の歳月が過ぎ、父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃんを震災で亡くした事が私と雄貴兄ちゃんの人生を狂わし、失った家族の存在の大きさを思い知らされた5年半でした。
今も私の心の中は空っぽのままで偽りの自分のままです。
本当の自分と幸せを取り戻すには、まだ時間がかかりそうです。
この先に幸せが有る事を信じたいです。
もう5年も経ったんだね。
震災の日から1人になるたびに、何も考えずにぼーっとする時があって寂しかった。
そして今、こうやってみんなの事を思い出そうとしても、なかなか思い出せなくなってきています。なんでだろうね。
やっぱり5年間っていう時の流れが、震災を自分自身の中で風化させているのかなって思うんだ。
だけど、やっぱり悲しいよ。
たぶん、周りの人々が震災の事を話さなくなっていたから、自分の中でも思い出せなくなってきたんだと思う。
だけど、震災前に過ごした幸せな思い出を忘れたくない。だから、時々1人になった時には悲しくても思い出すよ。
それから、今年の1月31日、僕の誕生日に、人生で初めて友達に祝われたんだよ。
震災後、あまり素直になれない性格で、友達も少人数しかいなかったけど、今は結構増えたんだ。その日はとっても幸せだったよ。
父さんは、震災のショックでか、楽しく過ごせているように見えないんだ。なんというか、悲壮感があるみたいな。
だから父さんにも毎日を楽しく過ごせるように、僕も頑張ってみようと思います。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。もうすぐ震災から5年になりますね。
震災がなければ、3月11日ころは一世の卒園式や4月の入学式の準備で忙しいのかな。
いっちゃん、本当は雄貴兄ちゃんの時と同じように入学式に行ってあげたかったし、入学祝いも家族皆で祝ってあげたかったよ。
一世がランドセルを背負っている姿を見た両親と峰ちゃんの、幸せそうな笑顔が見れないのが悲しいです。
目を閉じると亡くなった家族の笑顔が頭の中に浮かぶけど、目を開くとそこには父や母、峰ちゃん、一世も誰もいない。
震災前に戻れるのなら戻りたい。あとは何もいらない。
父さん、母さん。この5年間は良いことより大変なことが色々ありすぎて、心身ともに本当に疲れました。
あと何年頑張れば、私と雄貴は幸せになれるのでしょうか。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。地震の後、自宅に行き皆を避難させたのに、あっけない最後の別れになるとは。もっと良く考えていれば命を守ってあげれたかもしれないのに悔しいです。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。命を守ってあげれなくてごめんなさい。
私は人生で2回、一番幸せな時間を過ごしました。
1回目は震災前の日常です。そこから大切な宝を失い、あの日から思い出さないように、考えないようにしていました。
“どうせ友人や他人に話しても心から聞いてくれるはずがない"と、“彼らの震災は終わっている"と思い、特に同年代の人には話したことはほとんどありません。あったとしても思い出せません。
しかし、今回「それ」を理解してくれる同年代の人たちに会うことができました。それが2回目の一番幸せな出来事でした。
TOMODACHIソフトバンク・リーダーシップ・プログラムという、地域貢献できる人材を育成するために3週間渡米し、新しい文化やライフスタイルに触れることで考え方や人生を変え、夢をつかむための一歩にするプログラムに参加してきました。場所はカリフォルニア大学バークレー校で100人が参加でき、現地では4つの色ごとのグループに分かれて過ごしました。
私のグループはイエローで、みな心が広く、積極的でした。元々コミュニケーションが苦手な私も、少しずつ話せる仲になっていきました。
そして一番の思い出が、地元に帰ってからどのような活動を起こしていくのか、夜にチームの男子8人で集まった時に、1人目はそのプランに関する話をしてくれて、2人目は震災の話をしてくれました。
その人はある日、父親が倒れ、そこから助かるはずだったのですが、病院のミスでなぜか呼吸ができない状態になり、植物状態になってしまい裁判になり、1度目は勝ったのですが2度目は負け、さらに周囲の目も冷たくなり、その人は学校や部活で頑張ったことを父に報告することしかできず、そんななか震災が起き、自分は泣くことしかできなかったと言っていました。その後、裁判は最終的に勝ったそうで、その時の彼の報われたような声と顔は今でも目に焼き付いています。その時点で全員泣いていました。心からその話を聴いてくれる彼らを見て、私もこの人たちなら自分の心の内を分け合ってくれるだろうと思い、必死で自身の震災の体験を話しました。
私も泣き、しっかりとした文になるくらい泣きながら話し、それでもみな理解してくれてとても嬉しかった。とてもとても嬉しかった。
話が終わり、みなで肩を組み、この3週間だけでなく、これからの人生でも協力し合っていこう!!と言ってくれました。
少しプログラムの本筋とはずれているかもしれませんが、このような素敵な仲間と出会えたことが一番の幸せな思い出です。
この思い出のおかげで、再び震災、亡くなった家族を見つめ直すことができました。
この3週間で出会えた仲間にありがとう。
もうすぐ震災から4年半になります。父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん、震災後、仮設住宅から新しい家に引っ越し、雄貴兄ちゃんと2人で生活をしていると、4人を失った悔しさや悲しみに、何度も何度も心が折れそうになりました。
父さんや母さんに心配をかける事ばっかりしてすみません。いつになったら良い報告ができるのか、見当がつきません。
震災がなければ今ごろ、いっちゃんは雄貴兄ちゃんと同じ幼稚園に入って、友達と遊んだり、走ったり、笑ったり、楽しい思い出をたくさん作れたのに、パパがいっちゃんを震災から守ってあげれなかったから、思い出をたくさん作れなかったね。いっちゃんゴメン、パパを許してください。4年半経った今も、パパはいっちゃんと1年6か月しか一緒にいることができなかったのが悔しいです。
もっといっちゃんに色々なことをやってあげたかったのに・・・
親戚の、一世と同級生の子供達を見かけた時、私は一世のいないむなしさと悲しみに心が深く沈みます。
今ここに両親と峰ちゃんや一世がいたら、私と雄貴は違った人生を歩んでいたと思います。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。いま、高1になった雄貴兄ちゃんは、ほかの人にはわからない、心に深いキズを持って生きています。
だけど今度7月に、雄貴兄ちゃんは自分を変えようと、アメリカのカリフォルニア大学に短期留学に行きます。苦しみながら自分を変えようとしている雄貴兄ちゃんを応援してくださいね。
私も雄貴兄ちゃんに負けないように、
もう疲れ気味だけど、もう少し頑張っていきます。
いつの日か、みんなで笑いあえる日がくるのを信じ、生きていきます。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。
もう少しの間、私たち2人を天国から見守ってくださいね。
お願いします。
5月10日、震災から5回目の母の日でした。私と雄貴で花を仏壇の母と妻の峰ちゃんにあげたけど二人の笑顔と笑い声は私達二人には見えません、聴こえません。震災前のように花を手渡しで挙げたかったです。
写真は、いつも私達を優しい笑顔で見ているのに私が話しかけても答えてくれない。ただ、私達に微笑んでいるだけ話しがしたい声が聞きたい!なぜ?私達二人だけ残して行ったの?
今、二人は頑張っているけど親子二人は寂しく辛いです。
一世には兄ちゃんの時のように家族皆で花火をしたり、色んな事をして楽しませてあげる事が出来なかったね?
お父さんは一世に沢山、遊んであげなくてごめんね。パパは仕事が終わって趣味のソフトバレーばかりして一世と一緒にいる時間を大切にしなかったパパを許してね。こんなことに、なるんだったらと悔やむばかりです。
雄貴兄ちゃんの成人式を家族皆でお祝いしたいね。一世の自慢の兄ちゃんが立派な成人男性になるまで両親や峰ちゃんに報告できるようにパパは辛いけど頑張るから天国から応援してね。
この思いが亡くなった家族へ届きますように。
ことしの3月に初めて瓦礫の中から一枚の写真が見つかりました。
親子3人の写真は、唯一この一枚。
その一枚が、私の元に返ってきました。
もしかしたら、この写真は天国の4人からのプレゼントなのかも。
絶対にそうだと思います。
震災から4年が過ぎ、息子の雄貴は3月に中学校を卒業し、4月に大槌町の高校に入学しました。
直前まで釜石市の高校を本人は希望していましたが、鉄道は復帰が遅れていますし、バス通学は朝、早く起きて行かなければなりません。
部活や学校活動の都合で、親が迎えにいくことが必要な場合もあるのに、一人親で、仕事や家の用などすべてをやりながら、高校卒業まで出来るのかと自分に問い続けていました。
そして、私の都合で雄貴の希望校を変えてもらいました。
震災がなければ、妻の峰子がいたなら、私の両親や一世が生きていたなら、私達二人の人生は、こんなはずではなかったと思えてなりません。
悔しいけど、雄貴、ゴメン。
自分の力の無さに情けなくなった。家族に申し訳ないです。
雄貴は、高校の変更を前向きに考えてくれているので、少し私は救われています。
最近、雄貴を見ていると、中学生の時と違い、一回り成長したような気がします。
私も雄貴に負けないように頑張らないと、亡くなった両親に「何をやっている」と言われそうです。
大きな問題が起きたときに一人で考え事をしていると、相談できる家族がいないので、やっぱり震災で家を失っても家族が皆、無事だったなら、私の心は救われるのにと思い、悔し涙が出ます。
震災から4年。にぎやかだった6人家族から、息子と2人きりになって4回目の元旦です。
震災前に母と妻の峰ちゃんが作ってくれた定番の正月料理や、家族みんなで過ごした正月が懐かしく愛しいです。
今年も雄貴に、母や峰ちゃんが作ってくれたような正月料理は作れず、買って食べています。
去年、母や妻がいたらと、本当に悔やむ出来事がありました。
そんな時に、亡くなった母さんは私の夢の中で会いにきてくれましたね。そのとき「父さんが泣いている」と私にメッセージを伝えてくれましたね。
あのときは意味がわからず、自分の生き方がダメなのか? 1人で考えていました。
後で雄貴の悩みを知り、母が、父が、雄貴のことを天国に行っても心配してくれているのに、私は雄貴を信じて生きていくために仕事や家のことを頑張ってきたつもりだったのに、雄貴の悩みに気づくことができず、自分自身に腹が立ちます。
新年は、去年の過ちをしないように、失敗を糧にして今年は良い年にしたいです。
雄貴を応援してくれている人達の思いを、雄貴は理解してくれると信じています。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。
これからも私と雄貴はみんなに心配をかけると思うけど、今は目に見えないけれど、いつも私達2人のそばにいてくれて、今も亡くなった家族とつながっているのを感じます。
今年は良い年だったと亡くなった家族に報告できるように、雄貴と頑張っていこうと思います。
東日本大震災から3年5カ月、8月14日。3回目の父と二人きりの墓参りは、最初で最後の墓参りになってしまいましたね。
いつも家で父さんと2人で、何かあると今、ここに一世がいたらなーと話をしています。
もうすぐ8月20日一世の5才の誕生日だね、一世の誕生日ケーキを頼んできたよ。じいちゃん、ばあちゃん、母さん、父さん6人で誕生日会をしようね。誕生日おめでとう!兄ちゃんは、一世と、もっと沢山お話ししたり、遊んであげたり、一世と一緒に時間を過ごしたかったよ、今、一世の笑顔と笑い声が新しい家にないのが悲しく寂しいです。
今年は中学3年で受験生です。じいちゃんやばあちゃんや母さんは、きっと天国で雄貴、受験ガンバッテと心配していると思います。
雄貴は、天国にいる家族4人が心配しないように、父と二人でガンバッテいきたいと思います。
震災で家族を4人亡くし、親子2人だけになって、もう3年の月日が過ぎてしまいました。
行方不明の妻の峰子は、まだ見つからず、峰ちゃんは一人寂しく悲しんでいるのではと心が痛みます。
見つけてあげることができなくてゴメン。自分の無力さに、情けなくて、悔しくて…。
母さん。
震災前に車中で母さんの話に対して、「母さんは長生きするから、一世の成人式は無理でも雄貴の成人式は見ることができると思うし、母さんは自分が最後まで面倒を見るから私達に気を使わずに長生きして」と話をしたね。
どうして、あの時、母さんは、突然、私に「成人式を見られないかも」と話をしたのか?
何かを察したのか?今でも不思議です。ずっと1人で考えていました。
最近、気づいたのは、あのときの話は、一世の成人式を見ることができず、雄貴の成人式を見ることができるのは、母さんではなく、震災で生き残った自分だったのかと…
もし、あの時に「家族全員で一世と雄貴の成人式のお祝いできるから」と話をしていたら、父も母も峰ちゃんも一世も、震災で亡くなることなく、家族全員、無事だったのではと思えてなりません。
母さん、最後まで面倒をみる約束をしたのに、できなくて、すみません。
父さん。
生前は、父さんに駄目だしして文句ばっかり言って、父さんの良いところに目を向けることなく、母さんには感謝の言葉を震災前に言えたのに、、父さんには何も言えず、ただただ心残りで情けなく、後悔しかないです。
父さん、すみません。自分は両親に親孝行ができたのかと思うと…。
一世。
ことしの2月3日の夜に、初めて夢の中で会えたね!パパは、夢でも良いから一回でも良いから、一世に会いたかった。いっちゃんは親孝行息子だね。とてもうれしかったよ。
あまりにもリアルな夢だったので、「パパは間違ってお墓にいっちゃんの名前を入れちゃったよ、どうしよう」と、いっちゃんにパパは謝ったね。
いっちゃんが本当に生きていると思い、本当にうれしくてうれしくて。
いっちゃんを抱きしめてしまったね。
パパに会いに来てくれて、ありがとう。
いっちゃんが元気で明るく、健やかに育っていく姿を見てみたかったよ。
雄貴兄ちゃんに夢の中で、「またいつか会えるよ」と言った言葉を、パパは信じているよ。
100年後かな、1000年後かな?
パパも楽しみに、いつまでもいつまでも会えるのを待っているよ。
パパと雄貴兄ちゃんは、じいちゃんとばあちゃんと峰ちゃんといっちゃんの分までがんばるよ。
家族が震災で亡くなるときの苦しさや痛み、悲しみ、悔しさを考えると、自分の苦しさなんか…。
生きているから、どんなに忙しく、寝る時間がなくても、苦しくても、雄貴兄ちゃんを震災前のように生活させて、亡くなった家族に雄貴兄ちゃんの立派に成人した姿を見せてやりたい。
それが私が津波を逃れて生き残った理由か?定めなのか、それとも、ご先祖様から千葉家の復活を託されたのか?日々、自分に問い、生きています。
私を含めて、大切な家族を亡くした人々が、震災前以上に幸せにならないと、この苦しみから逃れられないと思う。
誰が何と言おうと、絶対に幸せになってやる。
亡くなった家族のためにも。
最後に、2人で、心から笑い合いたい。
あの日、自分の周りにいた大切な家族が4人も亡くなってしまった。
失って初めて気づいた幸せ。
しかし、あの無慈悲な黒い波が、幸せをかき消してしまった。
この悲しみをどこにぶつければいいのか、わからなかった。
だが、そんな中でも、希望はある。
自分の父が、まだいる。
今、震災後、一番幸せを感じていることは、父といることだ。
楽しんでいるとき、怒っているときでさえも、幸せを感じた。
父の提案で、親戚のいる鎌倉に旅行に行った。
その親戚の家に泊まっているときに、震災前のような、“家庭”を思い出した。
親戚のおばちゃんが、母や祖母のように見えた。
少し都心を離れたところに電車で行ったとき、そこで景色を見たとき、山や海がある、のどかな町が見えた。
なぜか、震災前の風景に、少し似ていた。
大槌に帰るとき、親戚の人が手を振ってくれた。
その時、「家族っていいなぁ」と思ってしまった。
もう3年が経ったというのに、あのいまいましい日から、時が止まっているように感じてしまう。
しかし、今ある、父という幸せと一緒に、今は歩いていくしかないと思った。
もう1つ、最近気づかされたことがある。
震災で亡くなった家族が、父と僕に、色々力を与えてくれた。
震災後、もうすぐ3年になるが、今でも父と僕を励ましてくれたり、生きる力を与えてくれているような気がする。