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千葉一世ちゃん(ちば・いっせい/当時1歳) 兼司さん(けんじ/当時75歳) チヤさん(当時73歳) 峰子さん(みねこ/当時32歳)
岩手県大槌町

千葉孝幸さんの一家。自宅から避難する途中で津波に巻き込まれ、孝幸さんの次男の一世ちゃん、父親の兼司さん、母親のチヤさんが亡くなりました。妻の峰子さんは今も行方が分かりません。

震災から8年PHOTO







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子どもたちからの手紙PHOTO

「こころフォト」ニュースリポート

  • 11月11日放送

    ふるさとにもう一度家を

    (おはよう日本)

震災から13年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

震災から13年を迎えるにあたって震災で亡くなった家族が夢の中で私を救ってくれた。
令和5年12月7日、夕方から冷たい風が吹いて冬の寒さになるのかと思いながら日付が8日に変わり私は早く寝なければと思いながら寝室に向かった。
深夜2時過ぎに強風の音で目が覚めたり眠りについたりしていた。
夢を見ている世界も強風で何故か亡き妻の実家に行き用事を済ませ自宅に帰ると震災前に住んでいた末広町の自宅に私は向かっていた。
何故か変な気がしたので自宅前の様子を見てみると何もなく自分が来た道をよく見てみると津波が来た後に薄ら雪が積もり自宅以外の全てが無くなった暗闇の町でした。
自宅の中に入ると震災で亡くなった両親が若かった時の姿で私を笑顔で迎えてくれました。
今まで見てきた夢とは違い現実のようにハッキリと私には見えました。
玄関口を振り向くと二十歳の峰ちゃんが赤と白と黄色模様の着物姿で中に入って来ました。
私が驚いていると玄関から外に出て行き すぐに中に入って来ました。
その時は着物姿ではなく白い洋服で着飾った綺麗な姿でした。私は思わず峰ちゃんの手をつかみ 峰ちゃんと声をかけていました。
視線を変えた瞬間 目の前に知らない沢山の人達が自宅の中にいてその中に父の姿を見つけ 私は震災の数か月前 感謝の気持ちを母には話をしていて父には話す事が出来なかった事を震災後 ずっと後悔していたこと、私を育ててくれた事、私に沢山の愛情を注いでくれた事 感謝の気持ちを伝えました。
父は涙を目にためながら私を見ていました。
父は私の知らない沢山の人達をかき分けながら目の前に来てくれて、私が幼かった時の父と私との出来事を涙を流しながら笑顔で沢山話してくれて、私も涙を流しながら笑顔で懐かしい気持ちになり心が温かくなり、幸せを実感しました。

私は感謝の気持ちを父に伝える事が出来て震災から十数年
ずっと心の奥に有った後悔が消え 重苦しかった気持ちが少しずつ軽くなっていく自分を実感しました。

一瞬で場面が変わり
目の前に階段が現れ 階段の上から5~6歳の男の子がゆっくりと降りて来たところで目が覚めました。
あれは亡くなった一世の成長をした姿? 不思議な気持ちになった事を覚えています。
数年前の不思議な夢の経験を思いだしました。

雄貴が中学の時に同級生は震災前の家族との日常の生活を取り戻し、雄貴だけが取り戻す事が出来ない母、弟、お爺ちゃんと叔母ちゃんとの日常
私と2人だけになってしまい、同級生とは違い前に進めなく自分だけ取り残されている感じに耐えられなくて、私に学校に2週間以上行っているふりをして苦しんでいる雄貴に気づかない
私の夢の中で亡き母が現れ、爺ちゃんが泣いていると私に伝えに来て、自分には何故 父が泣いているのか理解出来なく震災後の私の歩みが間違っている事か?解らなかった。
ただ私に伝えに来た母は大変な思いをしながら会いに来てくれた感じがして、私は亡くなった両親に心配させて親不孝者と悩んでしまいました。
2011年の震災後に取材をキッカケで交流していた植松ディレクターさん家族が泊まりに来た時に植松さんに夢の中で母が私に爺ちゃんが泣いていると伝えに来た事、私の震災後の歩みが間違っていたのかと話をしました。
植松さん家族が帰った数日後、雄貴が学校に行っていない事、凄く落ち込んでいる事を知りました。

亡き父にとって雄貴は初孫で愛おしい孫で可愛がっていました。
だから私が気づかず雄貴を守ってあげる事が出来ていなくて、父は雄貴が苦しんでいる姿を見て心配で悲しんでいる事を母は大変な思いをして伝えに来てくれた事を理解しました。

震災後、何度か不思議な経験をしてきたので今回も夢とは思えなく、今度は父に感謝の気持ちを伝える事が出来なかった思いを震災後ずっと後悔していて心の奥で苦しんでいる私を見て、亡き家族が私が父に感謝の言葉を話せる場面を作ってくれたのだと強く感じました。
朝、心の重石を取り除いた私は心も体も軽く感じながら不思議な気分で会社に出勤しました。

今、考えても
あれは夢だったとは思えません。
ただ1つ気になる解らない事が
あの何も無くなった世界
私の知らない沢山の人達が震災前の自宅にギュウギュウになりながら家の中にいたのが理解出来ません。
また震災が起きて建物が沢山の人達が亡くなる警告ではない事を祈りたいです。

震災から12年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

震災から12年、今、私が思うこと

一世、あなたは、8月には14才になり自分の進路を考える年を迎えていたはず
父さんは震災後、時が止まったままで1才の一世しか想像が出来ません
14才に成長した一世と話をしたり笑ったり出来ない事が悲しく辛いです。
雄貴兄ちゃんの時のように色々と一世にやってあげたかったのに
何もしてあげられなかった事が父さんは心残りです
一世 ごめん

私の父と母、そして峰ちゃんは、いつも笑顔で笑っている
思い出しか頭に浮かばないです。

震災から12年が過ぎて 亡くなった家族の存在の大きさが増し
感謝の言葉しか有りません
心から ありがとう

私自身は震災後生きてきた12年間は正しかったのか
選択の判断を誤っていなかったのか
今の私には解らなく
不安が大きくなっている日々です

震災から11年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

東日本大震災から11回目の正月を迎えました。

元旦に亡き父、母、峰ちゃん、一世と御先祖様にお餅や煮しめ等をあげて、新年の挨拶を終えて朝食の準備に向かう時にリビングにくつろぐ両親、笑顔で私に話しかける峰ちゃんと一世と雄貴の姿、
家族皆でにぎやかで幸せなお正月を迎えた私達が頭の中に目の前に浮かびました。

震災から11年間、私が追い求めていたのは家族との幸せな時間だったことに気づかされ、すごく寂しい現実に元旦早々ため息が・・・。

神社にお参りに行き、帰りに大槌の町に目を向けると区画整理で立派に復興をした道路等、インフラが目に入ってきます。
しかし震災を生き残り、この地で生きていけることを信じて頑張ってきた人々が思い続けてきた町の環境、特に町の経済や産業を活性化させての復興が程遠い気がしました。

震災から年数がたつほど、町の将来、家族の未来が心配で不安しかないです。
震災で亡くなった方々が今の現状を見たら、どんな思いで大槌を見ているのか・・・

震災から10年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

今年、東日本大震災から10年の歳月が過ぎました
この10年間は父と母そして妻の峰ちゃん、息子のイッちゃんを津波から守ることが出来なかった事を、毎日悔やみながら雄貴と共に前向きに考えるようにと自分に言い聞かせ必死に生きてきた10年間でした

イッちゃん貴方が生きていれば震災当時の雄貴兄ちゃんと一緒の小学6年生だね
小6になったイッちゃんは今何を考え何を楽しんでいるのかな
お爺ちゃんやお婆ちゃんとどんな話をしているのかな
お母さんとは何処へ遊びに行って楽しい時間を過ごしているのかな

お父さんは頭の中で想像をする事しか出来ないので寂しいです

東京から帰って来てくれた雄貴兄ちゃんは21歳になり今、新しい道を歩み始めました
まだまだ経験不足で心配な所が有るけど雄貴兄ちゃんの事を信じ
この先の人生を雄貴兄ちゃんと共に歩んで行こうと思っています

もし、この先も皆さんに心配をかけるような事があったなら
その時は私達を天国から見守って下さい

いつの日にか家族皆さんと再会出来る日を楽しみにしながらこの先の人生の幸せを雄貴と共に切り開きながら頑張って生きていきます。

家族の皆さんも再会の日を楽しみに待っていて下さいね。

震災から9年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

東日本大震災から9年を迎え
平成から令和二年になり私は55才に、東京の息子も20才になります。

この9年間は震災を通して沢山の出会いと繋がりが有りました。
今も私達二人に遠方にも関わらず心から寄り添って頂き、私達の心の支えになっています。

震災当時、家族4人を亡くし、家も失い、町も壊滅的被害で私は自身や息子の将来の展望を見出すことが出来ず不安とストレスとの戦いでしたが、国内外の支援や励ましのメッセージが、進むべき道が見えず立ち止まってしまい前に進むことが出来なくなった私達や被災者に、前に進む勇気と希望の光を与えてくれました。

個人的には、まだ将来の不安や心配事は有りますが、当時、国内外の支援をしていただいた方々の優しい心のこもった支援のメッセージを忘れずに前向きに考え生きて行こうと思います。

最後に東日本大震災で亡くなった方々のためにも、私達は幸せだった人生と故郷を取り戻したいです。

震災から8年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

震災から8年を迎え、平成から新しい年号に変わろうとしています。

私にとって平成は、峰ちゃんとの出逢い、結婚、そして雄貴と一世が生まれ、私の両親と共に家族6人で幸せな時を皆で生きていた平成でした。
もう1つの平成は、東日本大震災で、私と長男・雄貴の大切な家族4人の命を奪い、私達親子の人生の歯車を狂わせました。
震災から8年間、親子2人で頑張って少しずつ良くなって来たと思っていたのに、親子の気持ちは時間と共に少しずつズレ、お互いの気持ちがスレ違ってしまいました。

この震災からの8年間は、私達親子にとって何だったのか答えが見つかりません。
震災から8年が過ぎても、これから先の人生をどのように生きて行くか、私達親子の羅針盤の針の方角は定まっていなく、迷い悩んでいます。

震災から8年間で学んだ事は、人生は答えが無い迷路のようなものと教えられたような気がします。
だから新しい年号に変わる今年は、新しい気持ちで、人生の道を迷いながらでも今後のことをよく考え、答えを見つけられるように前に進む年にしたいと思います。

将来の夢のため上京する雄貴くんへ 父・孝幸さんからのメッセージ

旅立つ雄貴へ

雄貴が生まれて18年間、色々な事がありましたね。
東日本大震災が来る2011年3月11日まで、家族6人で幸せな人生だったね。

震災後2人で流した涙は決して無駄ではなく、あの時、失敗もあったけど諦めずに2人で頑張ってきたから今があると思います。

今年18歳になった雄貴は一人で決めた道を歩み出そうと頑張っているね。
雄貴のことを思うと、頼もしいようで嬉しいようで少し寂しいです。

中学へ入学してからは雄貴の傷ついた心を理解してもらえず苦しい思いをしたね。
そんな雄貴を救ってあげられなくて、お父さんも苦しかったよ。
だけど雄貴とお父さんのことを支えてくださる方々が確かにいることにも気づかされたね。
感謝の気持ちを忘れずに、これからも頑張っていこう。
最後に、雄貴に伝えたい言葉があります。

雄貴の人生は誰のものではなく、雄貴にとって無二の人生です。

震災から7年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。震災から7年の時が過ぎますね。
震災当時の1か月は、私と雄貴、2人だけになってしまい、毎日亡くなった家族が生きていることを信じ、避難所を探し回り。
いつの日から安置所に行くようになり、小槌小学校の安置所でまだ1歳の小さいいっちゃんを最初に見つけたね。
あまりのひどい姿にショックを受け、いっちゃんの名前を何度も何度も叫び続け、その日から自分を責め続ける日々が始まったけど、
今はいろいろな方々に折れそうな心を支えられて前向きにと思えるようになりました。

小さかった雄貴兄ちゃんも高校を卒業し、自分の意志で人生を歩み始めました。嬉しいようでさびしいようで複雑な思いがあります。
4月から雄貴は東京へ、私は1人になってしまいますが、私にはまだ夢があります。だから私はまだ頑張れると思います。

私から皆にお願いがあります。
雄貴の人生が充実し幸せでありますように。父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん、天国で雄貴のことを見守ってくださいね。お願いします。
私と雄貴は皆の分まで生きて、幸せを再び取り戻すことが私たちの本当の復興と思っています。

震災から6年半を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

東日本大震災から6年半の歳月が過ぎ。
雄貴兄ちゃんは高校3年生になりました。
来年の春には高校を卒業し、新たな世界に一歩踏み出そうとしています。

雄貴兄ちゃんが小学5年生の時、今は震災でなくなってしまった大槌北小学校の運動会、
一世にとっては最初で最後の雄貴兄ちゃんの運動会の応援になってしまいましたね。
パパは早起きをして場所取りに、チヤばあちゃんと峰ちゃんはお弁当の準備を。
私は、いっちゃんと兄ちゃんの運動会を応援できることに幸せを感じていました。

いっちゃんが生まれて6人家族での運動会、雄貴兄ちゃんは、いっちゃんに兄ちゃんが頑張っているところを見てもらいたくて張り切っていました。
その時、雄貴兄ちゃんの目はキラキラ輝き、笑顔がいっぱい幸せそうで、いっちゃんは雄貴兄ちゃんにとって頑張るパワーの源でした。
東日本大震災がなければ、いっちゃんは小学2年になりますね。1歳の時、いっちゃんは活発で頭が良く、雄貴兄ちゃんの行動を注意深く見て理解した時に、アッと目と口を開きニッコリ笑い、雄貴兄ちゃんのまねをしていましたね。
もし、いっちゃんが学校に通っていたなら、運動会ではいっちゃんは大活躍をしているのかな?
かなわぬ夢だけど、いっちゃんの運動会を家族そろって見に行きたかったな。
この6年半は1人で亡くなった家族を想うたびに、ため息をどれだけしたか、悔し涙を流したか思い出せません。
雄貴兄ちゃんは今、自分を見つめ、自身の意志で卒業後の進路を決め、前に進もうと頑張っています。

父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん。
パパも雄貴兄ちゃんをサポートしつつ、自身のこれからの人生も考え、さびしいけど亡くなった家族の分まで生きて行きます。

震災から6年を迎えて

一世ちゃんの父親の千葉孝幸さんより

私の大切な家族へ

東日本大震災後6回目の正月を二人で迎えました。

雄貴は今年、高校三年生になります。この7年間は親子二人で荒れ狂う荒波を何度も何度も乗り越えてきたような気がします。
時には穏やかだったり突然嵐が来て荒れ狂う巨大な波に雄貴が飲み込まれ沈没しそうになったり大変な事が沢山有りました。

私は、こんな時に家族が生きていてくれたらと数えきれないくらい悔しい思いをしてきました。

去年の12月、高校の三者面談で私は震災後、初めて穏やかな気持ちで話し合う事が出来ました。
ようやく普通に雄貴が自分の道を歩き出したようで暗雲の隙間から希望という小さな光が三者面談中の雄貴に降り注いでいるように見えました。

父さん、母さん、峰ちゃん、一世、今も遠方から私達二人を思い手紙やメールを送って下さる方々がいてくれて感謝しかないです。
心が折れて止まりそうな時に何度も手紙やメールを送って下さる方々、の気持ちが私の心の支えとなり前に進む力となっていました。

人の暖かい気持ちってありがたいですね。

天国の父さん、母さん、峰ちゃん、一世へ

これからも色んな苦難が有ると思います。
雄貴兄ちゃんにとって大事な時期です。雄貴を守ってやって下さいお願いします。

震災から5年半を迎えて

一世ちゃんの父親の千葉孝幸さんより

父さん、母さん、峰ちゃん、一世震災から5年半の歳月が過ぎましたね。
私の気持ちは今も変わってはいなく3月11日のままです。

父さん、母さん、6月26日に釜石の叔父さんの葬儀に父さんと母さんの代わりに行って来ました。
その時、母さんの兄妹に励まされました。
そして今でも母さん達のことを思って写真を飾り、手を合わせて祈っている事を教えてくれました。

母さんうれしいね、5年半も過ぎても皆のことや私と雄貴兄ちゃんのことを思っていてくれるなんて涙が出そうになったよ。

先日、雄貴兄ちゃんと一緒に盛岡のオープンキャンパスに行って色々な話を聞いてきました。
雄貴兄ちゃんも高校2年生になり大事な時期になりました。
峰ちゃんも母親として雄貴に色々と世話をしてあげたいのに出来なくて悔しい思いをしながら心配をしているのかな、私がもっと頑張らないといけないね。
峰ちゃんの分まで頑張るよ。

一世、パパはいっちゃんの事を思う時、いつもいっちゃんの短い人生を考えてしまいます。あなたの輝いていた笑顔や未来をパパは見る事が出来ないのが悲しいです。
いっちゃんと同い年の子は毎日元気に小学校に行っています。
パパはいっちゃんの小学生になった姿を想像出来ません。
やっぱり5年半、時が過ぎてもいっちゃんの姿は1才のままです。
声もパッパーって私に話してくれた声のままです。
いっちゃんが生まれて短い時間だったけどパパと雄貴兄ちゃんと一緒に過ごし生きていたことを今、どう思っているのか、幸せだったのか話を聞いてみたいです。
また夢の中でも良いから会いに来てね。
また一緒に散歩したり一緒に寝んねしようね。あの時パパは幸せだったよ。

震災から5年半の歳月が過ぎ、父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃんを震災で亡くした事が私と雄貴兄ちゃんの人生を狂わし、失った家族の存在の大きさを思い知らされた5年半でした。
今も私の心の中は空っぽのままで偽りの自分のままです。
本当の自分と幸せを取り戻すには、まだ時間がかかりそうです。
この先に幸せが有る事を信じたいです。

震災から5年を迎えて

一世ちゃんの兄・雄貴さん(16)より

もう5年も経ったんだね。

震災の日から1人になるたびに、何も考えずにぼーっとする時があって寂しかった。
そして今、こうやってみんなの事を思い出そうとしても、なかなか思い出せなくなってきています。なんでだろうね。
やっぱり5年間っていう時の流れが、震災を自分自身の中で風化させているのかなって思うんだ。

だけど、やっぱり悲しいよ。
たぶん、周りの人々が震災の事を話さなくなっていたから、自分の中でも思い出せなくなってきたんだと思う。
だけど、震災前に過ごした幸せな思い出を忘れたくない。だから、時々1人になった時には悲しくても思い出すよ。
それから、今年の1月31日、僕の誕生日に、人生で初めて友達に祝われたんだよ。
震災後、あまり素直になれない性格で、友達も少人数しかいなかったけど、今は結構増えたんだ。その日はとっても幸せだったよ。

父さんは、震災のショックでか、楽しく過ごせているように見えないんだ。なんというか、悲壮感があるみたいな。
だから父さんにも毎日を楽しく過ごせるように、僕も頑張ってみようと思います。

震災から5年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。もうすぐ震災から5年になりますね。
震災がなければ、3月11日ころは一世の卒園式や4月の入学式の準備で忙しいのかな。

いっちゃん、本当は雄貴兄ちゃんの時と同じように入学式に行ってあげたかったし、入学祝いも家族皆で祝ってあげたかったよ。
一世がランドセルを背負っている姿を見た両親と峰ちゃんの、幸せそうな笑顔が見れないのが悲しいです。

目を閉じると亡くなった家族の笑顔が頭の中に浮かぶけど、目を開くとそこには父や母、峰ちゃん、一世も誰もいない。
震災前に戻れるのなら戻りたい。あとは何もいらない。

父さん、母さん。この5年間は良いことより大変なことが色々ありすぎて、心身ともに本当に疲れました。
あと何年頑張れば、私と雄貴は幸せになれるのでしょうか。

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。地震の後、自宅に行き皆を避難させたのに、あっけない最後の別れになるとは。もっと良く考えていれば命を守ってあげれたかもしれないのに悔しいです。

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。命を守ってあげれなくてごめんなさい。

震災から4年半を迎えて

一世ちゃんの兄・雄貴さん(15)より

私は人生で2回、一番幸せな時間を過ごしました。
1回目は震災前の日常です。そこから大切な宝を失い、あの日から思い出さないように、考えないようにしていました。
“どうせ友人や他人に話しても心から聞いてくれるはずがない"と、“彼らの震災は終わっている"と思い、特に同年代の人には話したことはほとんどありません。あったとしても思い出せません。
しかし、今回「それ」を理解してくれる同年代の人たちに会うことができました。それが2回目の一番幸せな出来事でした。
TOMODACHIソフトバンク・リーダーシップ・プログラムという、地域貢献できる人材を育成するために3週間渡米し、新しい文化やライフスタイルに触れることで考え方や人生を変え、夢をつかむための一歩にするプログラムに参加してきました。場所はカリフォルニア大学バークレー校で100人が参加でき、現地では4つの色ごとのグループに分かれて過ごしました。
私のグループはイエローで、みな心が広く、積極的でした。元々コミュニケーションが苦手な私も、少しずつ話せる仲になっていきました。
そして一番の思い出が、地元に帰ってからどのような活動を起こしていくのか、夜にチームの男子8人で集まった時に、1人目はそのプランに関する話をしてくれて、2人目は震災の話をしてくれました。
その人はある日、父親が倒れ、そこから助かるはずだったのですが、病院のミスでなぜか呼吸ができない状態になり、植物状態になってしまい裁判になり、1度目は勝ったのですが2度目は負け、さらに周囲の目も冷たくなり、その人は学校や部活で頑張ったことを父に報告することしかできず、そんななか震災が起き、自分は泣くことしかできなかったと言っていました。その後、裁判は最終的に勝ったそうで、その時の彼の報われたような声と顔は今でも目に焼き付いています。その時点で全員泣いていました。心からその話を聴いてくれる彼らを見て、私もこの人たちなら自分の心の内を分け合ってくれるだろうと思い、必死で自身の震災の体験を話しました。
私も泣き、しっかりとした文になるくらい泣きながら話し、それでもみな理解してくれてとても嬉しかった。とてもとても嬉しかった。
話が終わり、みなで肩を組み、この3週間だけでなく、これからの人生でも協力し合っていこう!!と言ってくれました。
少しプログラムの本筋とはずれているかもしれませんが、このような素敵な仲間と出会えたことが一番の幸せな思い出です。
この思い出のおかげで、再び震災、亡くなった家族を見つめ直すことができました。
この3週間で出会えた仲間にありがとう。

震災から4年半を迎えて

一世ちゃんの父親の千葉孝幸さんより

もうすぐ震災から4年半になります。父さん、母さん、峰ちゃん、いっちゃん、震災後、仮設住宅から新しい家に引っ越し、雄貴兄ちゃんと2人で生活をしていると、4人を失った悔しさや悲しみに、何度も何度も心が折れそうになりました。
父さんや母さんに心配をかける事ばっかりしてすみません。いつになったら良い報告ができるのか、見当がつきません。

震災がなければ今ごろ、いっちゃんは雄貴兄ちゃんと同じ幼稚園に入って、友達と遊んだり、走ったり、笑ったり、楽しい思い出をたくさん作れたのに、パパがいっちゃんを震災から守ってあげれなかったから、思い出をたくさん作れなかったね。いっちゃんゴメン、パパを許してください。4年半経った今も、パパはいっちゃんと1年6か月しか一緒にいることができなかったのが悔しいです。
もっといっちゃんに色々なことをやってあげたかったのに・・・
親戚の、一世と同級生の子供達を見かけた時、私は一世のいないむなしさと悲しみに心が深く沈みます。
今ここに両親と峰ちゃんや一世がいたら、私と雄貴は違った人生を歩んでいたと思います。

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。いま、高1になった雄貴兄ちゃんは、ほかの人にはわからない、心に深いキズを持って生きています。
だけど今度7月に、雄貴兄ちゃんは自分を変えようと、アメリカのカリフォルニア大学に短期留学に行きます。苦しみながら自分を変えようとしている雄貴兄ちゃんを応援してくださいね。
私も雄貴兄ちゃんに負けないように、
もう疲れ気味だけど、もう少し頑張っていきます。
いつの日か、みんなで笑いあえる日がくるのを信じ、生きていきます。

父さん、母さん、峰ちゃん、一世。
もう少しの間、私たち2人を天国から見守ってくださいね。
お願いします。

父親の千葉孝幸さんより

5月10日、震災から5回目の母の日でした。私と雄貴で花を仏壇の母と妻の峰ちゃんにあげたけど二人の笑顔と笑い声は私達二人には見えません、聴こえません。震災前のように花を手渡しで挙げたかったです。

写真は、いつも私達を優しい笑顔で見ているのに私が話しかけても答えてくれない。ただ、私達に微笑んでいるだけ話しがしたい声が聞きたい!なぜ?私達二人だけ残して行ったの?
今、二人は頑張っているけど親子二人は寂しく辛いです。

一世には兄ちゃんの時のように家族皆で花火をしたり、色んな事をして楽しませてあげる事が出来なかったね?
お父さんは一世に沢山、遊んであげなくてごめんね。パパは仕事が終わって趣味のソフトバレーばかりして一世と一緒にいる時間を大切にしなかったパパを許してね。こんなことに、なるんだったらと悔やむばかりです。

雄貴兄ちゃんの成人式を家族皆でお祝いしたいね。一世の自慢の兄ちゃんが立派な成人男性になるまで両親や峰ちゃんに報告できるようにパパは辛いけど頑張るから天国から応援してね。

この思いが亡くなった家族へ届きますように。

震災から4年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

ことしの3月に初めて瓦礫の中から一枚の写真が見つかりました。
親子3人の写真は、唯一この一枚。
その一枚が、私の元に返ってきました。
もしかしたら、この写真は天国の4人からのプレゼントなのかも。
絶対にそうだと思います。

震災から4年が過ぎ、息子の雄貴は3月に中学校を卒業し、4月に大槌町の高校に入学しました。
直前まで釜石市の高校を本人は希望していましたが、鉄道は復帰が遅れていますし、バス通学は朝、早く起きて行かなければなりません。
部活や学校活動の都合で、親が迎えにいくことが必要な場合もあるのに、一人親で、仕事や家の用などすべてをやりながら、高校卒業まで出来るのかと自分に問い続けていました。
そして、私の都合で雄貴の希望校を変えてもらいました。
震災がなければ、妻の峰子がいたなら、私の両親や一世が生きていたなら、私達二人の人生は、こんなはずではなかったと思えてなりません。
悔しいけど、雄貴、ゴメン。
自分の力の無さに情けなくなった。家族に申し訳ないです。
雄貴は、高校の変更を前向きに考えてくれているので、少し私は救われています。
最近、雄貴を見ていると、中学生の時と違い、一回り成長したような気がします。
私も雄貴に負けないように頑張らないと、亡くなった両親に「何をやっている」と言われそうです。
大きな問題が起きたときに一人で考え事をしていると、相談できる家族がいないので、やっぱり震災で家を失っても家族が皆、無事だったなら、私の心は救われるのにと思い、悔し涙が出ます。

震災から4年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

震災から4年。にぎやかだった6人家族から、息子と2人きりになって4回目の元旦です。
震災前に母と妻の峰ちゃんが作ってくれた定番の正月料理や、家族みんなで過ごした正月が懐かしく愛しいです。
今年も雄貴に、母や峰ちゃんが作ってくれたような正月料理は作れず、買って食べています。

去年、母や妻がいたらと、本当に悔やむ出来事がありました。
そんな時に、亡くなった母さんは私の夢の中で会いにきてくれましたね。そのとき「父さんが泣いている」と私にメッセージを伝えてくれましたね。
あのときは意味がわからず、自分の生き方がダメなのか? 1人で考えていました。
後で雄貴の悩みを知り、母が、父が、雄貴のことを天国に行っても心配してくれているのに、私は雄貴を信じて生きていくために仕事や家のことを頑張ってきたつもりだったのに、雄貴の悩みに気づくことができず、自分自身に腹が立ちます。

新年は、去年の過ちをしないように、失敗を糧にして今年は良い年にしたいです。

雄貴を応援してくれている人達の思いを、雄貴は理解してくれると信じています。
父さん、母さん、峰ちゃん、一世。
これからも私と雄貴はみんなに心配をかけると思うけど、今は目に見えないけれど、いつも私達2人のそばにいてくれて、今も亡くなった家族とつながっているのを感じます。

今年は良い年だったと亡くなった家族に報告できるように、雄貴と頑張っていこうと思います。

子どもたちからの手紙

千葉雄貴(ちば・ゆうき)くん(14)より

東日本大震災から3年5カ月、8月14日。3回目の父と二人きりの墓参りは、最初で最後の墓参りになってしまいましたね。
いつも家で父さんと2人で、何かあると今、ここに一世がいたらなーと話をしています。

もうすぐ8月20日一世の5才の誕生日だね、一世の誕生日ケーキを頼んできたよ。じいちゃん、ばあちゃん、母さん、父さん6人で誕生日会をしようね。誕生日おめでとう!兄ちゃんは、一世と、もっと沢山お話ししたり、遊んであげたり、一世と一緒に時間を過ごしたかったよ、今、一世の笑顔と笑い声が新しい家にないのが悲しく寂しいです。

今年は中学3年で受験生です。じいちゃんやばあちゃんや母さんは、きっと天国で雄貴、受験ガンバッテと心配していると思います。
雄貴は、天国にいる家族4人が心配しないように、父と二人でガンバッテいきたいと思います。

震災から3年を迎えて

父親の千葉孝幸さんより

震災で家族を4人亡くし、親子2人だけになって、もう3年の月日が過ぎてしまいました。
行方不明の妻の峰子は、まだ見つからず、峰ちゃんは一人寂しく悲しんでいるのではと心が痛みます。
見つけてあげることができなくてゴメン。自分の無力さに、情けなくて、悔しくて…。

母さん。
震災前に車中で母さんの話に対して、「母さんは長生きするから、一世の成人式は無理でも雄貴の成人式は見ることができると思うし、母さんは自分が最後まで面倒を見るから私達に気を使わずに長生きして」と話をしたね。

どうして、あの時、母さんは、突然、私に「成人式を見られないかも」と話をしたのか?
何かを察したのか?今でも不思議です。ずっと1人で考えていました。

最近、気づいたのは、あのときの話は、一世の成人式を見ることができず、雄貴の成人式を見ることができるのは、母さんではなく、震災で生き残った自分だったのかと…
もし、あの時に「家族全員で一世と雄貴の成人式のお祝いできるから」と話をしていたら、父も母も峰ちゃんも一世も、震災で亡くなることなく、家族全員、無事だったのではと思えてなりません。
母さん、最後まで面倒をみる約束をしたのに、できなくて、すみません。

父さん。
生前は、父さんに駄目だしして文句ばっかり言って、父さんの良いところに目を向けることなく、母さんには感謝の言葉を震災前に言えたのに、、父さんには何も言えず、ただただ心残りで情けなく、後悔しかないです。
父さん、すみません。自分は両親に親孝行ができたのかと思うと…。

一世。
ことしの2月3日の夜に、初めて夢の中で会えたね!パパは、夢でも良いから一回でも良いから、一世に会いたかった。いっちゃんは親孝行息子だね。とてもうれしかったよ。
あまりにもリアルな夢だったので、「パパは間違ってお墓にいっちゃんの名前を入れちゃったよ、どうしよう」と、いっちゃんにパパは謝ったね。
いっちゃんが本当に生きていると思い、本当にうれしくてうれしくて。
いっちゃんを抱きしめてしまったね。
パパに会いに来てくれて、ありがとう。
いっちゃんが元気で明るく、健やかに育っていく姿を見てみたかったよ。

雄貴兄ちゃんに夢の中で、「またいつか会えるよ」と言った言葉を、パパは信じているよ。
100年後かな、1000年後かな?
パパも楽しみに、いつまでもいつまでも会えるのを待っているよ。
パパと雄貴兄ちゃんは、じいちゃんとばあちゃんと峰ちゃんといっちゃんの分までがんばるよ。
家族が震災で亡くなるときの苦しさや痛み、悲しみ、悔しさを考えると、自分の苦しさなんか…。

生きているから、どんなに忙しく、寝る時間がなくても、苦しくても、雄貴兄ちゃんを震災前のように生活させて、亡くなった家族に雄貴兄ちゃんの立派に成人した姿を見せてやりたい。
それが私が津波を逃れて生き残った理由か?定めなのか、それとも、ご先祖様から千葉家の復活を託されたのか?日々、自分に問い、生きています。

私を含めて、大切な家族を亡くした人々が、震災前以上に幸せにならないと、この苦しみから逃れられないと思う。
誰が何と言おうと、絶対に幸せになってやる。
亡くなった家族のためにも。
最後に、2人で、心から笑い合いたい。

震災から3年を迎えて

孝幸さんの長男の雄貴くん(14)より

あの日、自分の周りにいた大切な家族が4人も亡くなってしまった。
失って初めて気づいた幸せ。
しかし、あの無慈悲な黒い波が、幸せをかき消してしまった。
この悲しみをどこにぶつければいいのか、わからなかった。

だが、そんな中でも、希望はある。
自分の父が、まだいる。
今、震災後、一番幸せを感じていることは、父といることだ。
楽しんでいるとき、怒っているときでさえも、幸せを感じた。

父の提案で、親戚のいる鎌倉に旅行に行った。
その親戚の家に泊まっているときに、震災前のような、“家庭”を思い出した。

親戚のおばちゃんが、母や祖母のように見えた。
少し都心を離れたところに電車で行ったとき、そこで景色を見たとき、山や海がある、のどかな町が見えた。
なぜか、震災前の風景に、少し似ていた。

大槌に帰るとき、親戚の人が手を振ってくれた。
その時、「家族っていいなぁ」と思ってしまった。

もう3年が経ったというのに、あのいまいましい日から、時が止まっているように感じてしまう。
しかし、今ある、父という幸せと一緒に、今は歩いていくしかないと思った。

もう1つ、最近気づかされたことがある。
震災で亡くなった家族が、父と僕に、色々力を与えてくれた。
震災後、もうすぐ3年になるが、今でも父と僕を励ましてくれたり、生きる力を与えてくれているような気がする。

父親の孝幸さんからのメッセージ

東日本大震災がくるまで家族6人は本当に幸せに暮らしていました。
もし時を戻すことができるなら、3月10日まで戻って亡くなった家族を津波から救ってあげたい。もし一世が生き返ることができるなら、もっとギューっといっぱい抱きしめたい。
もし(妻の)峰ちゃんが生き返ることができるなら、結婚する時絶対に幸せにすると誓ったことを果たしてあげたい。
生前は、よく兼司じいちゃん(父)と意見が合わず、いろいろありましたね。
だけど父の人を大切にする心、やさしいところが大好きでした。
今は感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうの言葉しかありません。
チヤ婆ちゃん(母)が私に、自分は(長男の)雄貴の成人式を見ることができるかなと言った時のことは今でも忘れません。
あの時私は、母さんの両親は長生きをしたから90歳まで大丈夫、成人式まで大丈夫と言ったら、母さんは『あなた達に迷惑をかけるから』と言いましたね。
私は『大丈夫、最後まで面倒をみるから。母さんには感謝してる』と、今の気持ちを伝えた時、母が目を閉じて黙ってうなづいた顔は忘れることはないです。
今思えば、あの時母さんに感謝の気持ちを伝えてよかったです。
でも雄貴の成人式を見せることができなかったことは、心残りで悔しいです。
もしまた、この世に生を受けるなら、また同じこの6人家族で幸せになりたいです。

こころフォトスペシャルをご覧になった埼玉県の角野さんより

こんばんは。初めまして。見ず知らずの私からの手紙ですが、3.11私は忘れられません。
あの日私は鬱病で入院していた母と久しぶりにレイクタウンにて会いお茶をしている最中の地震でした。
お茶をする際、支払いのカードにチャージをしに行き、離れて居る間に起こった地震でした。ですが、母は揺れが収まっていない中、心配し私の元に帰ってきてくれました。
親は幾つになっても、子を心配し育て守ると思い再度感謝をしました。
母が鬱病になってしまったのは、父が亡くなった時に私達姉妹が母を追い込んでしまった事が原因にも関わらずです。
私もこれからがあると信じてやまなかったので、父が亡くなる少し前初めて父を殴りました。
謝る事も出来ずいろんな感謝も伝えていません。祖父母もそうでした。
夢の中でも会う事も出来ません。
ですが、色んな事で今があるならば迷惑をかけ過ぎてますが、父や祖父母が大切にしてきた物を代わりに見守ります。
私は子なので、親の気持ちは分かりませんが、見えなくても必ず心はそばにあると思います。
実は、この前死のうとした時にNHKの放送で命を考えさせて頂きました。
父や祖父母が見つめ直す物を与えてくれたと思います。
助けられなかったと悔やむと思いますが、十分父をしていらっしゃると思います。
許す事は難しいとは思いますが、疲れたと思わず、どうか前を向いてみて下さい。
もう1人の息子さんが笑顔で元気に育っていますから。
疲れた時は目を閉じてみて下さい。
心の中の亡くなったご家族様が笑顔で癒してくれますから。
生意気ではありますが、生きていらっしゃる息子様の為にどうかご自愛下さいませ。
長文の乱文、申し訳ありません。

「こころフォトスペシャル」をご覧になった、東京都の米澤(よねざわ)さんより

千葉孝幸様
最愛のご家族を亡くされて、言葉に尽くせない悲しみや怒りがあった事でしょう。とてもとてもお辛い気持ちですね。
そのような中で、雄貴君と必死に頑張って時間を過ごしてこられたのだとお察し申し上げます。
同じ親として私が孝幸さんの立場であったならば、様々なやりきれない感情に押しつぶされそうになったと思います。本当によく頑張って来られました。
あれから生き抜いてきたご自分をご自身で「よくやった」と労い、認め、大切になさって頂けたらと祈るような気持ちでおります。

千葉雄貴様
お父さんを大切に思って気持ちをしまってきたんですね。
震災後に学校で思いを話した時に、お友達はあなたが傷つくような事をいったけれど、まだみんな心が幼くてあなたを労わるような想像力がなかったのでしょう。
雄貴君の思っていた事も発言したことも、変なところは一つもなくて、それでよかったんだよ。
これまで、自分でもどうしていいかわからない日々があったろうと思う。寂しかったり分かってほしかったりしたのではないだろうか。辛かったね。
高校生になり留学で知り合った仲間はあなたの話をじっと聴いて受け止めてくれたね。
その中でも同じ体験をした友だちは、雄貴君に深く共感してくれた。彼らはあなたを理解してくれたね。本当によかったね。
これからは、自分の本当の気持ちを大切にして欲しいと思っています。自分らしく生きることが幸せだから。雄貴君の幸せはお父さんの幸せになるから。
誕生ケ-キを写真の前に1つずつ分けて皆と一緒に食べるあなたをみて、温かい優しい雄貴君の素晴らしさを感じました。
おじいちゃんおばあちゃん、お母さん、一世君もそんな雄貴君を嬉しく思い誇りに思い、そして見えないけれど決して忘れずにつながって雄貴君とお父さんを守っていると思います。
私も心から雄貴君を応援しています。

こころフォトのページをご覧になった、千葉県香取市の篠塚明(しのつか・あきら)さんより

今日たまたまこの情報を見て、何のかかわりのない千葉さん一家の現実をみて、たまらなく、書きました。
自分にもこの春、1人の娘に孫が生まれ、家族のいとおしく、大切な家庭がいかに素晴らしいことか、幸せな自分の生活がかけがえのないことだと思い知らされます。
このメッセージが、少しでも千葉さん一家のこれからの人生の心の支えになれればと願ってやみません。
いくらかでも、全くの知らない人が応援していることを心に留めてください。
毎日の生活、頑張ってくださいとは言いません。もう頑張っているんだから・・・。
これからの人生に普通の生活が訪れますように、願ってやみません。

こころフォトスペシャルをご覧になった、愛知県の泉陽一郎(いずみ・よういちろう)さんより

たまたまテレビをつけて、千葉さん一家の放送を見ました。
東日本大震災。
私は震災当日、若干の揺れすら感じなかった立場の人間です。
震災の様子もマスコミ報道でしか知りません。
震災について、若干の募金程度しかできていません。
現地にも出向いていません。
きっと、そんな人は大勢いると思いますが…
千葉さん、雄貴さん、お会いしたこともありませんが、今後お会いすることもないかもしれませんが、私の中で千葉一家は今でも6人家族です。
絶対に家族6人で幸せになってください。
千葉さんに会わせてくれたNHK。ありがとう。
こんなに胸が熱く なったのは久しぶりです。
東日本大震災、この番組を見て、改めて「絶対に忘れてはいけない」と感じました。
そこで暮らしていた人たちがいたこと。
失ったものがあまりにも大きかったこと。
3年の月日が過ぎ去っても、癒えない悲しみがあることも。

こころフォトのページをご覧になった、北海道札幌市の河原郁世(かわはら・いくよ)さんより

千葉孝幸様。はじめまして。先ほどまで私は「千葉さん一家の一員」として、大声で泣いておりました。一世ちゃん。私と同じ世界の「世」の字がついていて、何故か「運命」を感じます。
私は北海道の札幌市に住む34歳の女性で、研究者の卵です。今年の春、私は研究室で倒れ、ICUで生死を彷徨いました。幸いなことに、ある教授に助けていただき、後遺症は残っているものの1日1日を精一杯過ごすことが出来ております。
私は「家族を失う辛さ」を少しだけ家族や友人に味わわせてしまった大馬鹿者です。私のせいで、「認知症」が進行してしまった両親。とても、とても心配でなりません。私は両親に対し、「最期まで面倒をみるから心配しないでね」とか、「一緒に世界中を飛び回ろうね」と言っています。ですが、両親は「研究の邪魔になるから・・・」と遠慮します。そして、認知症がこれ以上進行しないよう、病院に行くことを懸命に勧めているのですが、中々病院に行ってくれません。それが切なくて、歯がゆくて・・・私は一体どうしたら良いのでしょうか。どうしようもない「辛さ」と「悲しみ」と「虚しさ」に見舞われています。そして、その思いを日々の会話の中に“ポツリ”、“ポツリ”と入れるようにしています。
孝幸さんのご苦労と比べれば、私のことなんて、ほんの一粒の砂のよう。どんな困難も乗り越えられる気持ちになり、勇気を頂戴しました。
最後になりますが、孝幸さん。孝幸さんは「立派なお父さん」ですよ。そして、後悔しないで少しずつ、着実に前へお進み下さい。お互いそれぞれ、苦難を抱えていますが、決して無理をなさらず、いつか腹の奥底から笑って過ごせる日が来ると良いですね。

千葉孝幸さんと長男の雄貴くんと震災後から交流を続けている、福井県坂井市の
角登志男(すみ・としお)さん(72)より

孝幸さん、新居が完成して本当におめでとうございます。
あの日から、耐えて忍んだ毎日の生活でした。去年の暮れから何度となく設計・計画を練ってようやく完成した想い・・・今、力強く一歩前に踏み進めた事が大変、誇りに思い、嬉しいです。
思えば、一時は怨み口惜しく苛立ちと悲しみその絶呼の胸の内を拝読したときには、本当に辛くて心が折れました。(今は少し安堵しています)
きょうは頑張った雄貴君にありがとうを届けたいです!!何時も君は大好きなお父さんの姿を見ながら精一杯寄りそい助け合って頑張ってこれた事がすごく頼もしく立派に思います。これからもずっとずっと父さんの力添になってあげてください。お願いします。あなたが居るから父さんは励みになり、頑張りと元気をもらえる源なのですから。
孝幸さんも新居での生活で御苦労も多々ある事でしょう。又、思いの程は語りつくせぬ程あろうかと思いますが、先は勇気で一歩踏み出した足を地に着けて励んで欲しいです。(あなたにはそれができますから)
お二人が愛した御両親、奥様それに可愛い一世君も共に帰宅できて本当によかったです。これからは心穏やかに手を合わせる日々が続くことを願って居ります。祈ることが忘れない証しとなるでしょう。
これからが冬本番、どうか体に気をつけて風邪などひかない様、ご自愛ください。(お二人は良く風邪をひきますョネ!)

6人家族のなかで残された孝幸さんと長男の雄貴くんの親子のことをNHKの番組で知った
東京都江戸川区の大垣(おおがき)みほこさんより

私は以前、テレビで雄貴くんとお父さんのことを拝見した者です。
何度も何度も、メッセージを書いては消し、書いては消し、、、一度もお会いしたことが無い自分がメッセージを送っていいのだろうか、随分ためらいました。でも、テレビでお二人のことを目にした時から、ずっと忘れられずにいました。
一世くんのこと、お母さんの事、おじいちゃん、おばあちゃんのこと、切なくて悲しくてたまりません。
雄貴くんとお父さんの気持ちを思うと、涙があふれてきます。
当事者ではない自分が言えることは何ひとつないけど、せめて、お二人のたくさんの気持ちのほんとひとかけらでもわかりたい、と思います。悲しんで、苦しんで、それでも頑張っている雄貴くんとお父さんに、どうしても幸せになってほしい、絶対に幸せになってほしいと、遠くから祈っています。
可愛い一世くんたちが幸せに暮らしていたこと、きっと一生忘れません。

千葉一世ちゃん、兼司さん、チヤさん、峰子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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