




自動車学校の送迎バスで帰宅中に津波に流されて亡くなりました。高校を卒業後は、市内の電気店に就職が決まっていました。
あの日の事は忘れない。もちろん娘は私達家族の中で生きています。19歳のままで。
娘がいなくなった事で家族がバラバラになりそうだった時もありましたが、今は娘が皆を一つにしてくれたように思います。
孫ができ、その孫の後ろ姿に、しぐさに娘を思い出す事もあります。
私達が生きているかぎり、あの日を伝えて、二度と悲しい思いをしてほしくない。
地震がきたらにげる。水からにげる。
大事な娘を失ったから次は大事な孫達を守れるように教えていかなければと思います。
娘は色々なものを残していってくれました。
娘が残してくれた人との縁、これからも大事にしていきます。
もう少し待っててね。
ママも千聖のところへ行く日がいつかくると思いますが、あと少し待っていてね。
どこの県の方か忘れましたが、あの日自衛隊の方達にお礼がしたい。
夫婦で坂元地区を毎日探していると声をかけていただき、娘の事を言ったら話を聞いてくれて、あぶないから待ってて下さいと言い、連絡先を教えて、別れ、次の次の日に山元で若い人達が見つかったと連絡が来て、
娘を確認できたこと。
本当にありがとうございました。
千聖へ
生前の頃のように笑ってるかな?
辛い事、苦しい事はないかな。
みんなすごく元気だよ。
令和元年8月11日に彩津沙の子どもが産まれたよ。
俺の子どもも2才になったよ。みんなでご飯を食べている時、連休中の旅行の時、子どもと遊んでいる時、ふと千聖がいたらもっと楽しい、千聖の子どもも見てみたかったなと思う事が、多々ある。俺が生きていて辛いと思う事、苦しいと思う事は、千聖に会えない事。俺には、家族がいるのに、守らなければいけない人がいるのに、死んだら千聖に会えるのかなと思う事がある。
とにかく会いたい。
一秒でもいいから、、、
こんな弱音を吐いていたら怒られるかもしれないけれど、俺が死ぬまでこの弱気な気持ちは、一生変わらないかな。ごめんね。
もっともっと書きたい事、話したい事はあるけれど、涙が止まらないのでこの辺にしとくね。
助けてあげられなくて、ごめん。
これからも俺なりに頑張るから、見守ってください。
あれから3年半。もう3年半。
今もあの時の事が信じられない。信じたくない。
ちーが行方不明と聞いた時、頭が真っ白になり、
ただただ涙を流す事しか出来ず、自分の無力さが情けなくて、悔しくて・・・
助けられるものなら、助けたかった・・・
出来る事なら自分が変わりにって・・・
今すぐに会いたい。声がききたい。
ちーの存在が大きすぎるよ。
よく2人で恋愛話したね。
姉妹であり、大親友みたいなかんじで、色んな相談乗ってくれたよね。
ちーは姉の私よりもしっかりしてて、周りからもよくちーがお姉ちゃんだと間違えられてたね。
お姉が家出した時も「どこいってんの!早く帰ってきなよ」って怒ってくれたね。
ちーとしたい事、いっぱいあったよ。
韓国行きたかったな。一緒にお酒のみたかったな。
偶然被ってしまうコーディネートでまた買い物いきたいな~
姉妹を見るとちーを思い出す。
でもちー以上の妹はいないよ。お姉の自慢の妹だもん。
お姉は、この八巻家に長女として生まれて、ちーのお姉になれて幸せだよ。
ちーの笑顔、一生忘れないよ。
パパ・ママ・慎也・お姉、そしてちーの友達もみんな、いつもちーを思ってるからね。
ちー、本当にありがとう。また笑顔で会おうね?
毎日、後悔とごめんね・・・
願いが叶うなら、あいたい。3月10日に戻りたい。
あれから3年・・・まだ3年。何もなかったかのよう一日一日生きてる。
角田市で亡くなった人は、娘をふくめ3人です。
大きな被害もなく、周りの人はもう忘れているのかもしれません。
ふっとした時、ちぃの声が聞こえる。
(ネェ・・ママ、うちさぁ~)がくちぐせ。
私は、あの時、娘をみても涙がながせなかった。
今、後悔。あの時おもいきり涙をながしておけば・・・
千聖へ。
会いたい。ちぃ。
友達もみんな元気だよ。
ちぃの事は、みんな忘れてないよ!
ママはちぃの友達にあうとあなたを思いだします。
きっとみんなと仲良くしてるんでしょうね。
千聖のママでよかった。
ありがとう、ごめんネ。