あの日、そして明日へ

こころフォト

トップページ 写真一覧 こころフォトに寄せて 動画を見る

高橋悠さん(たかはし・はるか/当時18歳)福島県相馬市

自動車学校の送迎バスで帰宅中に津波に流されて亡くなりました。保育士になる夢があり、高校卒業後は、東京の短大に進学することが決まっていました。

震災から13年を迎えて

母の高橋ゆう子さんより

悠へ

あの日が、悠との最後になるなんて、思ってもいませんでした。
朝早く仕事に行く為、あなたと、ほんの少しだけ、言葉を交わしただけでした。
朝ご飯も、一緒に食べることもできなかったです。

高橋家に、待望の女の子が、生まれ、皆から、愛情いっぱい受けて、育った、あなたは、大らかに、とても優しい、女の子に、育ちましたね。
そして、誰からも、好かれ、誰にも、優しくできる子でした。
食べることが、大好きな、あなたは、何でも、美味しそうに食べてましたね。
そんな姿を見てると、こちらも幸せな気分でした。(作るのも、楽しく、作りがいがありました。)
美味しいものを食べる度に、あなたに食べさせてあげたい、一緒に食べたいと、いつも思っています。よく、二人で食べに行き、なんでも、半分ずつして食べましたね。
だからこそ、とても美味しく感じました。

二人でよくでかけましたね。
もっと、もっと、二人で、いろいろなところに行きたかった。
今では、かなわない、夢になりました。
悠と、過ごした18年間は、本当に、楽しく、幸せでした。
18年間の短い時間でしたが、生まれて来てくれて、ありがとう。
そんな、最愛の、娘を守ることもできなかった
自分を、責めつづけ、泣く毎日でした。
苦しく、どれだけ、怖かった事でしょう?
それを思うと、心が、張り裂けそうで、辛い日々でした。
そんな、私に、あなたは、「お母さん、以前の様に、笑っていて」そう言ったのです。
それから、私は、悠の為に、元気に、笑顔で暮らさなければいけないと、思い、頑張っています。

悠、昨年は、兄、ふたりに、男の子が生まれましたよ。
お母さんも、3人の、おばあちゃんです。
これからは、孫の成長を楽しみに、生きていきます。
いつか、悠と会える日が来る事を、願っています。

震災から3年を迎えて

母の高橋ゆう子さんより

大事な娘が亡くなって、3年が過ぎようとしていますが、私には何にも変わりません。
周りの人々は、3年過ぎ、前に向かって復興していますが、私には復興なんてできません。
今もまだ娘を納骨できずにいます。

周りの人々は、3年も過ぎるんだから…?もういいでしょう…?と思っているでしょう。
いつまでもそんなに悲しんでいても…?とか言っているでしょうけど、何年が過ぎても娘の事を忘れる事はできません。
何をしても、いつもいつも娘の事を思い出しています。

娘は本当に食べる事が大好きで、何を食べても「おいしい♡、おいしい♡」と食べていました。
娘の「おいしい」の一言は魔法の言葉のようでした。
娘と一緒に食べていた時は、本当に何でもおいしかったのに!
今では前と同じものを食べても、「おいしい」とは感じられないのです。 私があんなに大好きな「コーヒー」は、今では「ただ苦い」しかなくなりました。

今の私は何の楽しみもなく、「もう一度だけ、娘に会えたら」それだけ願っています。 (娘がいたら、どんなにか幸せだったでしょうね)

娘に会って、「助けてあげられなくてごめんね」が言いたいです。
そして一緒に食事がしたい!
大事な大事な娘を助けてあげる事もできなかった私が、何で生きているのでしょう!
何の為に生きるのでしょうか…?

母親のゆう子さんからのメッセージ

はるか、今、あなたは何をしていますか?
お母さんは、あなたがあの震災の日に突然いなくなってから、
毎日、会いたくて!会いたくて!話がしたくって!
2年近くが過ぎようとしているのに、まだ信じられずにいます。どれだけ月日が過ぎても、この悲しみは消えることはないのですね。
18年間という短い『楽しかった』『思い出』を『胸』に、私たちは生きていかなければならないのです。(もう一緒にクッキーを作ることも、一緒に出かけることもできないのです)
はるかは、これから沢山の夢と希望に満ち溢れてたのに。
いつも『ニコニコ』笑っていた はるかだから、きっと今も『ニコニコ』笑っているのでしょうね。いつか、また、あなたと会える日を楽しみに、私たちは生きていきます。
P.S お母さんも笑顔で過ごせるように頑張ります(いつかきっと!)

ホームページをご覧になった富山県高岡市の丸山博さんより

高橋ゆうこ様
突然のお便り失礼いたします。6年前、貴女と悠さんの『こころフォト』を拝見させていただき一筆書かせていただきました丸山でございます。
9年を迎えましたね。
違和感を感じるかも知れませんが、悠さんもゆう子様も悲しみを秘めた中で、親子二人心通った毎日を過ごしていらっしゃると推察致します。
ゆう子様の哀しみは癒されることはないかも知れませんが、間違いなく悠さんはゆう子様の体の中で、心の中で住んでおられます。
今後もお二人、心とお身体ご自愛くださいませ。

こころフォトのページをご覧になった、富山県高岡市の丸山博さんより

高橋様
突然見も知らぬ者からのメッセージをお許し下さい。
私も娘をもつ身として、「娘」という存在の尊さを、人として・親としてあなたの何十分の一かは分かりませんが分かります。
ましてや突然目の前から去って行ったのですから。
ゆうこ様、はるかちゃんの納骨はしなくていいと思います。
いついつまでも、あなたがはるかちゃんの御許に行くまでそばに、一緒にいてあげて下さい。

余談ですが私の息子は警察官で、震災後しばらく福島県に応援部隊として赴任していました。
彼の口からは、表現できない彼の地の惨状を耳にし、知らず知らず涙したことを覚えています。
人は忘れる動物です。
でもあなたは大切な「はるかちゃん」のことを決して忘れないと思います。
いえ、忘れる必要などないし、常にそばに居てあげて下さい。
ただ、あなた自身の心の健康には気をつけて生きて下さい。

高橋悠さんへのメッセージ・写真を募集しています。

写真一覧へ戻る