NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、2015年度の新作です。

世界史

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今回の学習

第36回

冷戦とその終結

  • 世界史監修:首都大学東京教授 中嶋 毅
学習ポイント学習ポイント

1.冷戦体制の形成と展開 2.冷戦の終結とソ連の崩壊 3.加速するグローバル化

  • 冷戦

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「冷戦とその終結を知る」です。

眞鍋さん 「そもそも “冷戦” ってどういうものだったのかな?」

永松さん 「アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営の二つに世界が分かれ、対立が起こったんです。アメリカとソ連は、直接は戦争をしませんでしたが、和解もできない状況で『冷たい戦争(冷戦)』と呼ばれました。第二次世界大戦の直後から、この状態が40年以上にもわたって続きました。」

眞鍋さん 「随分長いよね。第二次世界大戦が終わって、やっと世界が平和になるのかと思いきや、そうはいかなかったんだ。」

  • 訪れる場所と時代
  • 冷戦の時代とその後

マジカル・ヒストリー・ツアー、今回のビューポイントは、

1.冷戦体制の形成と展開
2.冷戦の終結とソ連の崩壊
3.加速するグローバル化

の3点です。

訪れる場所は、アメリカ・旧ソ連・ドイツを中心とした世界各地。時代は、1940年代から現在です。

まずは、ドイツの首都ベルリンを訪ねます。冷戦の時代を物語る遺構が、今も町のあちこちに残されています。
そして、ロシアの首都モスクワは、冷戦終結後すっかり町の様子が変わりました。その変化を象徴するような、ある場所を訪れます。

世界を二分した冷戦は、なぜ起こったのか。そして終結後、世界はどのように変わったのか。それを知る旅へ、さあ、出かけましょう!


眞鍋さん 「冷戦は、アメリカとソ連を中心とした対立ということだったけれど、アメリカとソ連って第二次世界大戦のときは一緒に戦った連合国だよね。仲が良いんじゃないの?」

永松さん 「それが、やっぱりこの二つの陣営はなかなか相容れなかったんです。」

眞鍋さん 「でも、それが世界を二分するような争いにまで発展するというのは、どうしてだったのかな。」

1.冷戦体制の形成と展開
  • ベルリン
  • イーストサイドギャラリー

マジカル・ヒストリー・ツアー、最初の行き先は、ドイツの首都ベルリンです。
イーストサイドギャラリーと呼ばれる壁の跡があります。冷戦時代に作られた壁ですが、今では世界中のアーティストたちが描いた絵で彩られています。
冷戦時代には、155キロメートルにもわたって壁が巡らされていました。

これほどまでに長い壁は、なぜ作られたのでしょうか。
その背景を探って、マジカル・ジャンプ!

  • ヤルタ会談
  • ベルリンの分割統治

第二次世界大戦末期の1945年2月。連合国側のアメリカ・イギリス・ソ連による首脳会談(ヤルタ会談)で、戦後の国際政治体制の取り決めが行われました。
アメリカ合衆国大統領・ローズヴェルト、イギリス首相・チャーチル、ソ連共産党指導者・スターリンがこの会談に出席しました。

枢軸国だったドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国によって分割占領されることが決まりました。
ソ連の占領区域にあったベルリンは、東半分をソ連が、西半分を他の3カ国が統治することになりました。

  • マーシャルプラン発表
  • コミンフォルム結成

第二次世界大戦で2500万人以上という多大な犠牲者を出したソ連は、戦後、自国の安全保障を重視しました。このため、ドイツから解放した東欧諸国をソ連の影響力のもとに置こうとしました。

そんなソ連の動きを、アメリカは領土の拡張だとして警戒しました。
アメリカは、ヨーロッパに社会主義が広がることを防ぐため、1947年にマーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)を発表して経済復興を急ぎました。
これに対抗してソ連は、東欧諸国との連携を強めるため、コミンフォルムという組織を結成します。

さらにアメリカとソ連は、それぞれの軍事同盟を結成し、対立を深めていきました。
1949年に西欧諸国による北大西洋条約機構が誕生すると、東欧では1955年にワルシャワ条約機構が結成されます。

  • 資本主義と社会主義
  • 西ベルリンと東ベルリン

こうしてアメリカとソ連の対立は世界を巻き込み、アメリカ中心の西側の資本主義陣営と、ソ連を中心として中国などを含む東側の社会主義陣営との対立へと発展していきました。

そんな情勢下で、分割統治されていたドイツも、西側のドイツ連邦共和国(西ドイツ)と東側のドイツ民主共和国(東ドイツ)との二つの国家に分かれ、それぞれ独立しました。
東ドイツの中にあったベルリンも、西と東に分断され、西ベルリンは飛び地になってしまいました。

  • ベルリンの壁 建設
  • 西側へ飛び降りようとする女性

東ドイツでは、社会主義的な生活に馴染めない人たちが、西ベルリンを通じて西側への脱出を図りました。
それを食い止めようと、1961年、東ドイツは西ベルリンとの境界線に壁を張り巡らせました。ベルリンの壁の建設です。

それでも、厳しい監視の目をかいくぐって、西へ出ようとする人が後を絶ちませんでした。
右写真は、境界線に立つ建物から、西側へ飛び降りようとする女性です。東側の警備隊に見つかり、連れ戻されそうになります。助けているのは、西側の人々です。

ベルリンの壁による分断は、その後、28年にわたって続きました。

  • 朝鮮戦争
  • ベトナム戦争

眞鍋さん 「実際に戦うわけではないけれど、まさに一触即発の状態だったんだね。」

永松さん 「そういうことなんです。アメリカとソ連の直接の戦いではないんですが、アメリカが支援する勢力とソ連が支援する勢力が衝突する戦争は、世界各地で起きているんです。」

アジアを例にとって、見てみましょう。
まずは、朝鮮戦争(1950〜53年)です。ソ連と中国が朝鮮民主主義人民共和国を、アメリカが大韓民国を支援して争いました。
そして、ベトナム戦争(1960〜75年)です。ソ連と中国がベトナム民主共和国を、アメリカがベトナム共和国を支援して戦いました。

眞鍋さん 「冷戦は、アジアの戦争にも大きな影響を与えていたんだね。」

永松さん 「そうなんです。そして、このアメリカとソ連の争いは、ついには人類存亡の危機になりかねない事態を引き起こしてしまいました。」

2.冷戦の終結とソ連の崩壊
  • ブランデンブルク門

マジカル・ヒストリー・ツアー、再びベルリンを訪ねます。
プロイセン王国の時代に作られたブランデンブルク門には、今でも、ベルリンのシンボルとして多くの観光客が訪れています。
この門の目の前で、東西ドイツ分断の歴史の大きな転換点となる出来事が繰り広げられました。

一体何が起こったのでしょうか。時間をさかのぼって、マジカル・ジャンプ!

  • 核をもって核を制す
  • ペレストロイカ

冷戦の時代、アメリカとソ連は「核をもって核を制す」として、競い合ってより威力の大きい核兵器を次々に開発しました。
核兵器の存在は両国にとって脅威となり、核戦争への恐怖が世界中に広がっていました。

そして、長く続く対立で膨らんだ軍事費は、大きな負担となっていきます。
特にソ連は、産業構造の転換も遅れ、経済は停滞し資本主義諸国との格差が拡大しました。また、食料品や日用品は、慢性的に不足していました。
ソ連と同じく社会主義国家であった東ドイツでも、状況は同じでした。
物も不足し、自由に国を出ることもできない暮らしに、人々の不満は高まっていきます。

そんな中、1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、こうした状況を打開しようと「改革(ペレストロイカ)」を打ち出しました。

ゴルバチョフはこの方針のもと、それまで隠されてきた情報の公開や経済の自由化を含む政治・経済改革、ソ連の歴史の見直しを行います。

ゴルバチョフはソ連とアメリカの関係改善にも取り組み、1987年、両国はすでに配備されていた中距離核兵器を廃棄する条約(中距離核戦力全廃条約)を結びました。

  • ベルリンの壁崩壊
  • 冷戦終結

アメリカとソ連の協調は、東西に分断されたベルリンにも影響を及ぼしました。
東ドイツ政府は、西ドイツとの自由な行き来を認めます。ブランデンブルク門の前をふさいでいたベルリンの壁は、押し寄せた人々の手によって壊されました。
こうして、建設から28年後の1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊します。
翌年の1990年、東西ドイツが統一し、ドイツは再び一つの国家としてまとまりました。

ベルリンの壁の崩壊から1カ月後、マルタ会談にて冷戦の終結が宣言されました。
冷戦の終結は、ソ連の国内にも影響を及ぼします。
ソ連内の共和国が次々と独立し、1991年、ソ連は解体しました。

  • 紛争が表面化

眞鍋さん 「子どもの頃はこのニュースを観て、なんで壁が壊れるのがこんな大ニュースになるんだろうって思ってたけど、今思えば歴史の大きな1ページだったんだよね。40年以上続いた冷戦がやっと終わって、これで平和な時代がやってくるということ?」

永松さん 「資本主義と社会主義の対立は終わりましたが、それ以前からあった民族や宗教、土地をめぐる紛争が表面化してきたんです。」

眞鍋さん 「平和になると思ったのに、なかなか……。」

永松さん 「難しいですよね。さて、冷戦構造がなくなったことは、世界の経済をも大きく変えました。次のビューポイントでは、冷戦後の世界の変化を見てみます。」

3.加速するグローバル化
  • モスクワ
  • スターバックス

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後は、かつてのソ連の首都で現在はロシアの首都となっているモスクワを訪れます。
町の中心部には、アメリカ資本を代表するようなコーヒーサプライチェーン店があります。
冷戦時代には、資本主義の国であるアメリカの生活様式がモスクワに入ってくることなど、ほとんどありませんでした。

冷戦終結後、世界はどのように変わっていったのでしょうか。
冷戦時代のモスクワへ、マジカル・ジャンプ!

  • グローバル化が進んだ
  • WTO設立

冷戦の時代、資本主義の国と社会主義の国の経済交流は、ごく限られていました。アメリカ資本のチェーン店などは、モスクワにはほとんどありませんでした。
しかし、冷戦が終わった後の1990年代から、ロシアや東欧諸国も資本主義に組み込まれていきました。
資本主義と社会主義を隔てていた壁は取り払われ、世界は人・もの・金・情報が国境を越えて行き来し、各地が地球規模で相互に関係しあうグローバル化が進みました。

1995年には、世界貿易機関(WTO)が設立され、貿易の自由化をいっそう推し進めました。
冷戦時代から市場経済への参入を少しずつ進めていた中国も、2001年にWTOに加盟します。後に世界第二位の経済大国へと成長しました。

  • 金融危機が世界に広がる
  • 格差が拡大した

そして、インターネットが発達し迅速な情報のやり取りが可能になると、さらにグローバル化が進みました。
そんな中、2008年にアメリカで起こった金融危機はまたたく間に世界中に広がり、社会主義国にも影響を及ぼしました。
経済力を高め、アメリカに多額の投資をしていた中国も大きなダメージを受けました。

グローバル化は、経済を活性化させたと同時に、新たな問題を生み出しました。
世界規模の自由競争の中では、技術力のあるすでに富を得ている者がますます豊かになり、技術を持たない貧しい者はますます貧しくなり格差が拡大していきました。

こうして生じた発展途上国の貧困は、深刻なものとなっていきました。
この貧困や格差が、テロや紛争の原因にもなっているのです。


眞鍋さん 「冷戦後も次から次に新しい問題が出てくるけれども、グローバル化の時代だから、世界全体で生み出した問題ということが言えるよね。」

永松さん 「はい。僕たちが住んでいる日本もその一部ですからね。」

Deep in 世界史
  • 中嶋 毅先生
  • ペレストロイカの必要性を理解できなかった

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、中嶋 毅先生(首都大学東京 教授)に歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、ソ連の情報公開についてです。

中嶋先生 「ソ連という国は情報を統制する国家で、自国にとって都合の悪い情報や外国の情報などが厳しく制限されていて、国民は自国についての正確な知識を必ずしも持っていませんでした。ペレストロイカが始まった時、国民はなぜ自国が改革をするのか、十分には理解できなかったわけです。」

  • 情報公開の進展
  • 収容所群島

中嶋先生 「そうした中でチェルノブイリの原子力発電所の事故が起こり、当初はこの情報も制限されていて、必ずしも知らされていなかったわけです。」

眞鍋さん 「この情報を国民が持っていないというのは、ちょっとありえないですよね。」

中嶋先生 「そうですね。この事故をきっかけにして、国民は徐々に自国のさまざまな出来事を知るようになっていきました。情報公開が進む中でソ連の暗黒部分を告発するような文学作品や芸術作品が現れたり、さらには、スターリン指導部に反対する指導者の名誉回復が行われたりしました。」

ソルジェニーツィンというノーベル賞作家の「収容所群島」という文学作品が、ソ連で公式に発表されたことは、情報公開の流れを象徴する出来事だったといいます。
この本は、ソ連の政治体制の暗黒部分を告発する内容であっため、もともとはソ連では出版を禁止されていました。

  • 社会主義体制の問い直しに結びついた
  • 次回もお楽しみに

中嶋先生 「自国の歴史の見直しという動きは、社会主義体制そのものの問い直しに結びついていきます。この動きが、ソ連解体へとつながる大きな原動力となったというふうに考えられるわけです。」

眞鍋さん 「やっぱり情報というものが、一つの国を左右してしまう。そういうことが言えますよね。」

中嶋先生 「そうですね。」

二人 「面白いお話、どうもありがとうございました。」

眞鍋さん 「自分の国のことを国民が知らないというのは、ちょっと残念な話だよね。」

永松さん 「今の情報社会の中で、真実を知るということは大切なことですね。やっぱり世界史を勉強することが大切だということを改めて思いました。」

眞鍋さん 「そうだね。さすが!」


次回もお楽しみに!

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