NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、昨年度の再放送です。

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、昨年度の再放送です。

今回の学習

第23回

ヨーロッパの主権国家

  • 世界史監修:國學院大学教授 大久保 桂子
学習ポイント学習ポイント

1.フェリペ2世のスペイン 2.エリザベス1世のイギリス 3.経済大国オランダの登場

  • 今回の旅のテーマ

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「ヨーロッパの主権国家」です。

永松さん 「前回は、各国の国王より上の存在だったローマ教皇の影響力が低下して、ルネサンスと宗教改革が起こったことをお伝えしました。今回はその後、ローマ教皇の影響力を脱し、それぞれの “国” が主役となっていく時代をお伝えします。ヨーロッパの中でも、スペイン・イギリス・オランダを中心に見ていきます。」

眞鍋さん 「面白そう!」

永松さん 「ヨーロッパは、それまでの内向きだった時代と異なり、大航海時代になって外の世界へと拡大していきました。こうしたポイントにも注意しながら見ていきましょう。」

  • 訪れる場所と時代
  • ヨーロッパの主権国家の成り立ち

今回のビューポイントは、

1.フェリペ2世のスペイン
2.エリザベス1世のイギリス
3.経済大国オランダの登場

の3点です。

訪れる場所は、ヨーロッパ。時代は、16世紀から17世紀です。

広大な植民地を獲得し「太陽の沈まぬ国」と呼ばれ、栄華を極めた16世紀のスペインを訪れ、その繁栄の背景を探ります。
そして、大国スペインの影響から逃れようとしたイギリスとオランダを訪れます。二つの国は、どのようにして “国” を築いていったのでしょうか。

スペイン・イギリス・オランダを中心に、ヨーロッパの “国” の成立の歴史が分かる旅に出かけましょう!


眞鍋さん 「今もヨーロッパは、近隣の国々が影響し合って共存しているよね。」

永松さん 「その原点となる歴史がわかる旅です。」

1.フェリペ2世のスペイン
  • スペイン・マドリード
  • プラド美術館

マジカル・ヒストリー・ツアー、最初に訪れるのは、スペインの首都マドリードです。この町は、16世紀に繁栄を極めていたスペインの王 フェリペ2世が首都と定めました。
マドリードにあるプラド美術館は、ヨーロッパを代表する美術館の一つです。コレクションの基礎は、フェリペ2世によって、ヨーロッパ各国から集められた名画です。

スペインの黄金時代といわれるフェリペ2世の時代は、どのような様子だったのでしょうか。マジカル・ジャンプ!

  • カルロス1世
  • ポトシ銀山

16世紀前半、スペイン王として君臨していたのが、ハプスブルク家出身のカルロス1世です。オーストリア・スペイン両ハプスブルク領の支配者として、ヨーロッパにおける広大な領域と、植民地だったアメリカ大陸を支配していました。

その頃、スペイン領で巨大な銀鉱山が見つかります。1540年代、スペインの植民地だった南米のボリビアで、後に世界一の銀の産出量を誇るポトシ銀山が発見されました。大量の銀がスペインにもたらされ、スペインはさらに繁栄していきます。

  • フェリペ2世
  • 太陽の沈まぬ国

スペイン王を引き継いだのは、カルロス1世の息子、フェリペ2世でした。
当時、地中海にはイスラーム勢力のオスマン帝国が進出していました。
1571年、フェリペ2世は「レパントの海戦」でオスマン帝国を破り、地中海のキリスト教世界を守りました。
さらに、1580年にはアジアやアフリカに植民地を持っていたポルトガルを併合し、その広い勢力圏を手に入れました。

フェリペ2世の時代、スペインの領土は世界中に広がりました。スペイン領土のどこかでいつも太陽が昇っていることから、「太陽の沈まぬ国」と言われ、繁栄は頂点に達しました。

  • プラド美術館
  • ラス・メニーナス

1561年、フェリペ2世は、宮廷を現在の首都マドリードに定めました。マドリードのプラド美術館にある名画の数々は、フェリペ2世の時代に隆盛を極めたスペイン経済の象徴となっています。(上写真参照)


眞鍋さん 「そこまでの繁栄をもたらすなんて、銀の力はすごかったんだ。経済が潤うと、国の力は強大になるんだね。」

永松さん 「そのスペインの黄金期に、国を守るため、スペインと戦った国がありました。それが、イギリスです。」

眞鍋さん 「イギリスも大国だもんね。」

永松さん 「いいえ、当時のイギリスは、それほど大きな国ではなかったんです。」

眞鍋さん 「それなのに、当時の強いスペインと戦ったんだ!」

2.エリザベス1世のイギリス
  • イギリス・プリマス

マジカル・ヒストリー・ツアー、続いては、イギリスの南西部にある港町プリマスを訪ねます。1588年にこの町から出航した艦隊が、イギリスの歴史を大きく変えました。

それはどのようなものだったのでしょうか。
時間を遡って、マジカル・ジャンプ!

  • ヘンリ8世
  • メアリ1世

14世紀から15世紀にかけて続いた百年戦争(1339年〜1453年)で、イギリスはフランスに敗れたことから小国に転落し、ヨーロッパでの影響力を失いました。

16世紀、イギリスの国王ヘンリ8世が、王妃との離婚を認めないローマ教皇と対立します。1534年、国王を首長とするイギリス国教会を成立させ、カトリック教会と決別しました。

ヘンリ8世の死後、女王となったのはヘンリ8世の娘、メアリ1世でした。メアリ1世は、皇太子時代のフェリペ2世と結婚します。カトリックの国であるスペインと結ばれたイギリスは、カトリックを復活させ、メアリ1世はプロテスタントを弾圧しました。

  • エリザベス1世

メアリ1世が病死した後、女王となったのが、妹のエリザベス1世でした。25歳という若さでイギリス女王となったエリザベス1世には求婚者が多く、亡き姉メアリ1世の夫だったフェリペ2世もその一人でした。
しかし、カトリックの大国スペインの王と結婚すれば、イギリスはスペインに統合されてしまう恐れがあります。さらに、国内の宗教対立が激化する危険性もありました。

エリザベス1世は、「私はもうイギリスの国と結婚している。あなた方イギリス国民の全てが私の子ども…」と、生涯にわたる独身を宣言します。エリザベス1世は、独身を貫くことで、イギリスの独立性を守ろうとしました。

  • アルマダ海戦
  • ナイトの称号を受けるドレーク

当時イギリスとスペインは、アメリカの植民地から運ばれる銀をめぐって対立していました。エリザベス1世は、海賊たちに許可を与え、スペインの銀の輸送船や商館を攻撃させました。

1588年、スペインのフェリペ2世が、イギリスへの侵攻を計画します。無敵艦隊「アルマダ」と呼ばれたスペイン艦隊と、イギリス艦隊の戦いが起こりました。アルマダ海戦です。
その時、海賊でもあったイギリスのドレークやホーキンズらが、自分たちの船でプリマス港から出航します。戦いは、二人の活躍や暴風雨の助けなどによって、イギリス艦隊がスペイン無敵艦隊を破りました。
やがて17世紀後半から、イギリスは世界に影響を及ぼす大国に成長していきます。



眞鍋さん 「若いうちから生涯独身を貫くと決めて、国と結婚するというのは、女性の生き方としてはかなりの強い意志がいると思うけど……女が国を治めるとことは、また男性と違った苦労もあるんだろうね。」

永松さん 「すごい決断をしましたね。イギリスは、自分たちの国を保つために、スペインと戦いました。そして、この頃スペインに支配されていた国の中で、独立を果たした国がありました。オランダです。」

3.経済大国オランダの登場
  • オランダ・アムステルダム
  • オランダ東インド会社

最後に訪れるのは、オランダの首都アムステルダムです。17世紀に貿易港として栄え、ヨーロッパ屈指の都市へと発展します。アムステルダムは、世界の貿易の中心地になりました。

1602年に設立された「オランダ東インド会社」は、世界で最初の株式会社と言われています。日本にもやってきた東インド会社は、アジアとの貿易で巨万の富を得ました。
しかし、東インド会社が誕生する20年ほど前、オランダはスペインに支配されていました。

なぜ、オランダは繁栄できたのでしょうか。その秘密を探るために、時間を遡って、マジカル・ジャンプ!

  • 16世紀のアントワープ
  • オラニエ公ウィレム

ネーデルラント地方は、中世から毛織物生産や貿易で栄えていました。スペインに支配されてからも、商工業の発展が続きました。特に、現在のベルギー・アントワープは、ヨーロッパの中心市場として16世紀に最も栄えた都市の一つでした。

フェリペ2世がスペイン王になると、彼はプロテスタントが多かったネーデルラント地方に、カトリックの信仰を強制します。これに、貴族たちが反発します。オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)を指導者とした反乱が勃発しました。オランダ独立戦争(1568年〜1609年)です。

1579年、ネーデルラント北部を中心に、スペインからの独立と信教の自由を唱えたユトレヒト同盟を結成します。1581年に、オランダはネーデルラント連邦共和国として、スペインからの独立を宣言しました。
強力な君主が存在せず連邦共和国として自由な風潮だったオランダは、市民を中心とする商工業者たちが活躍し、経済がますます発展していきました。

  • レンブラント
  • 夜警

右の写真は、アムステルダムを中心に活躍した画家、レンブラントが描いた「夜警」です。ヨーロッパ美術史に残る名画の一つです。
アムステルダムの市民警備隊が出動する様子を、ドラマチックに描いています。市民警備隊は、スペインからの独立戦争の際、市民たちによって組織されました。レンブラントの「夜警」は、独立前後の時代の市民の様子を鮮やかに伝えています。

このころオランダでは、このような市民の集団肖像画が数多く描かれました。商工業者の組合「ギルド」で、お金を出し合って、集団の肖像画を描かせました。

17世紀前半、スペインから事実上の独立を勝ち取ったオランダは、積極的に海外に乗り出していきます。
その中心となったのが、裕福な市民が出資した東インド会社でした。東インド会社は、日本や東南アジアと貿易を行い、豊かな富をオランダにもたらしました。
アムステルダムは世界の貿易と金融の中心となり、オランダは17世紀に世界経済の覇権を握りました。

  • サッカーオランダ代表のチームカラーは?
  • オラニエ公ウィレムが由来

眞鍋さん 「このころのヨーロッパには珍しく、市民が主役になって繁栄を築いた国だったんだ。パワフルな時代だね。」

永松さん 「市民の活気を感じますよね。突然ですが、眞鍋さんに問題です。僕は、サッカーがとても好きなんですが、オランダ代表のチームカラーは何色でしょう?」

眞鍋さん 「何色だったかな?確か、オレンジだったような気がする。」

永松さん 「正解です!その由来となったのは、オランダの独立を指導したオラニエ公ウィレムです。英語で “オレンジ公ウィリアム” から来ているそうなんです。だから、オレンジ色なんです。」

眞鍋さん 「なるほどね。今のオランダの人は、この建国した時代というのを大事に思っているんだ。」

Deep in 世界史
  • 大久保先生
  • 小さい単位の国

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、大久保 桂子先生(國學院大学 教授)に歴史の深い話をうかがいます。
今回は、ヨーロッパの主権国家体制についてです。

眞鍋さん 「今日見てきた時代のヨーロッパでは、国のあり方って本当にさまざまだったみたいですね。」

大久保先生 「その通りです。今日のテーマは『主権国家』と一言でいいますが、なかなか定義が難しいですよ。“国” とは、いったい何なのか。今日取り上げた三つの国だけでも、さまざまでしたよね。確かに言えることは、この時期、ヨーロッパでは “国” というものができつつあったということです。」


大久保先生によると、16から17世紀は、“小さい単位の国から少し大きな国にランクアップした” 時代だといいます。

大久保先生 「小さい単位というのは、それまでの中世の封建的な領地のことです。その 小さい領主が小さい領地を支配しているという時代から、この時期、国王のような中央権力が集権的に一つの国を統合できるような体制になっていきました。」

  • 主権国家体制(国が対等、中央権力が統合)
  • 国家以上に強い権威が無い

大久保先生 「主権国家体制というのは、それぞれの国が対等であるということです。そして国内では、広い国を中央の権力がしっかり統合できていること。もう一つ大事なことは、その国の上に、命令できるような大きな強い権威がない。つまり、ローマ教皇などですね。」


ヨーロッパでは、国と国との関係性や国内の統合が、このころから始まったといいます。

大久保先生 「その後、ヨーロッパの中で現在のような “主権国家” というものが少しずつ形成されていきます。その始まりとなったのが、今日ご紹介したところですね。」

眞鍋さん 「そういう意味でいうと、この時代は、今のヨーロッパの基礎ができつつあった時代ですね。」

大久保先生 「おっしゃる通りだと思いますよ。今ヨーロッパにある国々の基礎が、このころから少しずつできてきた。」

二人 「先生、どうもありがとうございました。」

  • 次回もお楽しみに

眞鍋さん 「文太くん、見てきてどうだった?」

永松さん 「同じヨーロッパなんですが、隣同士の国でも全然カラーが違いましたね。」

眞鍋さん 「ね、今でもそうだもんね。文太君は、どこに行ってみたい?」

永松さん 「僕は、やっぱりヨーロッパのサッカーが盛んなところを全て回りたいですね!」

眞鍋さん 「ヨーロッパだと、電車で国境が越えられるね。」


それでは、次回もお楽しみに〜!

科目トップへ

制作・著作/NHK (Japan Broadcasting Corp.) このページに掲載の文章・写真および
動画の無断転載を禁じます。このページは受信料で制作しています。
NHKにおける個人情報保護について | NHK著作権保護 | NHKインターネットサービス利用規約