NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、2020年度の新作です。

世界史

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今回の学習

第11回

西アジア・中東の新展開

  • 世界史監修:東京大学副学長 羽田 正
学習ポイント学習ポイント

西アジア・中東の新展開

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん
  • 羽田正先生

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。
お話をうかがうのは、東京大学副学長の羽田正先生です。

  • イスラームの誕生

世界中で信仰されている宗教「イスラーム」
現在、およそ18億人の信者を擁するイスラームは、7世紀の初め、アラビア半島に誕生しました。
その後、8世紀にかけて、イスラームの信仰者ムスリムは、カリフと呼ばれる指導者のもと、東は中央アジア、西はイベリア半島におよぶ広い地域を支配するようになります。
当初アラブ人が中心だったムスリムの王朝は、イラン人、トルコ人が参入し共存が図られることで、統治の体制が大きく変わっていきます。

ムスリムによる王朝の移り変わりを通して、7世紀から11世紀ごろまでの西アジア・中東の歴史をひもといていきます。

イスラームの教え
  • スーフィー
  • カーバ神殿

コーヒーを飲む3人。

羽田先生 「コーヒーは、もともとアラビア半島で、人々が薬として飲んでいました。」

マヤ 「UAEとかサウジアラビアとかがあるところですよね。」

羽田先生 「そうですね。そのアラビア半島で、だいたい500年ぐらい前、15世紀ぐらいに、スーフィーと呼ばれるイスラームの修行者の人がいるんですが、そういう人たちが夜の修行の時に、眠気覚ましにこれを飲んでいたんです。」

汰雅 「根本的なことになるんですが、『イスラーム』と『イスラム』は同じですか?」

羽田先生 「同じですね。アラビア語の発音だとイスラームって伸ばすんです。でも、例えばトルコの人は『イスラム』と言っているし、イランの人は『エスラーム』と言っていて、いろんなローカルな発音があります。
イスラームが誕生したのは、アラビア半島の『メッカ』というところです。ここには、カーバという神殿があって、ここに向けて皆さん年に1回巡礼にやってきて、カーバ神殿のまわりをぐるぐるまわったりするんですが、その信者がイスラーム教徒。『ムスリム』といいますが、今は18億人ぐらい、世界中にいるんです。」

  • メッカ
  • ムハンマド

世界に18億人の信者を擁するイスラーム。
その始まりは、7世紀のアラビア半島です。
アラビア半島西側に位置するメッカは、貿易の中継都市として繁栄し、おもにアラブ人が住んでいました。
のちにイスラームの創始者となる「ムハンマド」はメッカの商人の家に生まれ、貿易の仕事に携わっていました。

  • ヒラー山
  • 預言者

やがてムハンマドは、メッカ郊外のヒラー山の洞窟にこもり、瞑想にふけるようになります。
40歳をすぎた610年ごろ、ムハンマドに、唯一絶対の神「アッラー」の言葉が伝えられました。
ムハンマドは、神の言葉を預かった者、つまり「預言者(よげんしゃ)」となったのです。
預言者ムハンマドは、“この世が終わる時に、天国に迎えられるためには、アッラーの教えに従って生きることが大事だ”と説きました。
しかし、メッカでは、部族ごとの神に対する信仰心が強く、ムハンマドが伝えた教え、イスラームは危険な思想として迫害を受けました。

  • メディナに移住
  • ウンマ

622年、ムハンマドは少数の信者とともに、メッカから300キロ北にある「メディナ」に移住します。
この地で、ムスリムと呼ばれるイスラームを信仰する人が、次第に増え、やがて共同体がつくられます。
この共同体は「ウンマ」と呼ばれ、ムスリムの共同意識を生みだしていきます。

ムスリムが増えたメディナで兵力を整えたムハンマドは、630年、故郷のメッカを征服します。
さまざまな部族の聖地・メッカにあるカーバ神殿から偶像を撤去し、イスラームの聖地としました。
その後、ムハンマドはアラブの部族を支配下に入れ、アラビア半島を統一します。

  • コーラン

ムハンマドがこの世を去ると、ムハンマドに伝えられたアッラーの言葉がまとめられ、聖典・コーランとなります。
教義の中心は、“神がムハンマドを通じて伝えた教えを守る”ということで、アラビア語で記されました。
その教え・規範は、政治、社会、文化の活動すべてにおよびました。

  • 預言者と予言者

汰雅 「ムハンマドの描かれている絵、全部白く覆われているのか、塗られている感じだったんですが、あれは、何でなんですか?」

羽田先生 「ムハンマドは、普通の信者からみれば特別な人ですよね。すると崇拝する人が出てくる、だろうと。でも、ムハンマドは預言者っていうだけで、これは神の言葉を預かっている人なんですね。」

汰雅 「僕らが思う“よげんしゃ”は、未来を予想してって感じなんですが…。」

羽田先生 「字が違いますよね。言葉を預かる人なんです。だから、神が語っている言葉を預かって、皆さんに伝える人っていうのが預言者で、そういう意味では普通の人間なんですよ。
すると、そういう人を崇拝するのはよろしくない。なぜかっていうと、イスラームでは神が絶対で、崇拝すべきなのは神だけなんですね。ムハンマドに顔があって、それをみんなが変に崇拝することのないように、絵ではああいう白いものが書かれている。もちろん、実際のムハンマドは、ああいったものはつけていなかったんですけどね。」

汰雅 「そもそも、イスラームの教えは、どういうものがあったんですか?」

羽田先生 「これは、“唯一の神を信じましょう”。唯一の神というのは、THE GOD。アッラーっていうのはアラビア語のTHE GOD、『神』という意味なんですが、これを信仰する。そして、“神の前では人間はみんな平等である”と考えるわけですね。アッラーがこの世界を創ったし、滅ぼすこともできる、もうまもなくこの世は終わるはずであって、終わる以上、そのあとは天国に行くか地獄に落ちるしかない。もし天国に行きたければ、アッラーの教えに従って、彼が勧めることをやりなさい。ということをイスラームは言っているんですね。(ムハンマドが)そういう言葉を伝え、コーランに書かれています。」

  • 5つの分類

汰雅 「天国行く人、地獄へ行く人は、どのように決めていたんですか?」

羽田先生 「イスラームでは、人間が生活する時のあらゆる行動は、この5つに分類できるんです。一番上の『すべきこと』というのは、例えば礼拝、巡礼、さらには断食であったり、これらはコーランに書かれていることですね。同時に、『してはいけないこと』も書かれていて、お酒は飲まない、豚肉は食べない、というのが記されていて、そういうことをやると、ダメなわけです。」

汰雅 「豚肉は、なんでダメなんですか?」

羽田先生 「もともとアラビア半島には、豚はあまりいないんですが、豚肉を食べると衛生上問題があって、当時病気になる人が多かったんです。こういうものは食べない方がいいと神がお命じになった、ということですね。」

マヤ 「生活習慣もその中に入っているんですね。」

汰雅 『した方がよいこと』っていう、あいまいなところは、どういうことなんですか?」

羽田先生 「私たちの常識で、“親孝行しましょう”とか“子どもはちゃんとかわいがりましょう”っていうことが、『した方がよいこと』のところに入ると考えていいと思います。私たちの価値観とあんまり変わらないと思います。
真ん中の『どちらでもよいこと』っていうのが、ほとんどですね。
さっき、我々が飲んだコーヒーなんかも、実はどちらでもよいことだし…。
特に『してはいけないこと』をやったからといって、いきなり地獄に落ちるわけではなくて、『してはいけないこと』をやってしまったら、『すべきこと』や『した方がよいこと』を繰返すことによって減点がなくなり、人間の生涯終わる時に、最終的にプラスであれば天国に行ける、そういう考え方ですね。」

マヤ 「柔軟性のある宗教ってことなんですね。」

羽田先生 「それが特徴ですね。」

イスラームの広がり
  • アブー・バクル
  • 正統カリフ時代の領土

7世紀、ムハンマドが没するとアブー・バクルがムハンマドの後継者「カリフ」に選ばれ、共同体・ウンマの政治指導者となりました。
以後、第4代アリーまで、選挙によってカリフが選ばれた 時期を「正統カリフ時代」と呼びます。

カリフは、アラブ人のムスリムからなる軍隊をアラビア半島から各地に派遣、進出していきます。
651年、ササン朝を滅ぼし、現在のイランやイラクを領土とし、ビザンツ帝国からシリアやエジプトを奪い、征服地を広げていきます。

  • アリー
  • ウマイヤ朝時代の領土

アラブ人ムスリムの支配領域が拡大すると権限が強くなったカリフの座をめぐり争いが起きます。
その結果、第4代カリフのアリーは暗殺され、661年、対立していたウマイヤ家がシリアのダマスカスを都として、「ウマイヤ朝」を樹立します。
ウマイヤ朝では、ウマイヤ家がカリフを世襲(せしゅう)しました。
そして、アラブ人ムスリムが支配者となる政権を作り上げました。
ウマイヤ朝の時代にもアラブ人ムスリムは征服活動を続けます。
8世紀の初めには、東は中央アジアや北インドに達し、西では北アフリカの地中海沿岸におよび、さらにイベリア半島にも進出、領土を広げました。

征服地では、先住民のユダヤ教徒やキリスト教徒は、人頭税・ジズヤと土地税・ハラージュを納めれば、生命・財産の安全と信仰の自由が保障されました。

  • カリフの役割

マヤ 「カリフは選挙で決められたり、世襲になったり、いろんな形があったみたいですけど、どういった存在だったんですか?」

羽田先生 「これは、ムスリム全体の最高指導者ですね。政治的にも宗教的にもあらゆる面でリーダーであるはずなんですが、カリフたちは預言者ではないわけですから、どうしても宗教的な側面では“象徴”の意味しかなくなってきますよね。でも、政治社会上のリーダーであることは間違いないです。一種の皇帝、あるいは王とそれほど変わらないと考えてもいいかもしれないですね。」

マヤ 「そういったカリフのもと、ウマイヤ朝が拡大していくわけですけれども、征服された側に対して、イスラームへの改宗を強制することは?」

羽田先生 「原則としては、なかったと。もちろん場合によりますから、絶対なかったとはいえないと思いますね。多くの地域には、キリスト教徒やユダヤ教徒が多く、ゾロアスター教徒もいました。
こういう人たちは、ムスリムの支配を認めれば、その人たちの生命や財産は保障されますし、信仰は自由だったということです。この意味ではイスラームという宗教は、ほかの宗教と共存する方法を知っていたといえるかもしれませんね。」

マヤ 「ただ、ジズヤやハラージュといった税は、異教徒に対して徴収されたわけですよね。それから逃れるためにイスラームに改宗しますということにすれば、税金は…。」

羽田先生 「本来であれば、イスラームに改宗すれば、そういうのは払わなくていいはずなんですが、実際は征服者(アラブ人)と被征服者(非アラブ人)の関係があるので、イスラームに改宗しても被征服者の人たちは税金を徴収されました。」

汰雅 「そうなってくるとイスラームの教えでいう、信者はみんな平等っていうのが、ちょっと変わってくると思うんですが…。」

羽田先生 「そうですね。イスラームに改宗しても、征服した側のアラブ人と征服された側の非アラブ人の間には、やっぱり区別や差別があったということになりますよね。」

カリフとスルタン
  • アッバース朝の宮殿跡
  • バグダードの中心に円形の都市

ウマイヤ朝では、征服地の非アラブ人がイスラームに改宗しても、人頭税のジズヤと土地税のハラージュは徴収されました。

そんな不平等な体制に不満を持つ非アラブ人と、暗殺された第4代カリフ・アリーを支持する人々が、ウマイヤ朝に対する反体制運動を起こします。
彼らは、ムハンマドの叔父の子孫をカリフに擁立、750年、ウマイヤ朝を倒します。
こうして生まれたのが、「アッバース朝」です。

ティグリス川のほとりには、首都バグダードが建設されます。
その中心には、直径2キロ・周囲7キロほどの城壁をめぐらした円形の都市があり、最盛期のバグダードの人口は100万を数え、当時では世界最大規模の都市となりました。

  • 4つの幹線ルート

アッバース朝では、非アラブ人もムスリムであれば、人頭税が免除され、アラブ人であっても土地税が徴収されました。
民族間の不平等な制度は廃止されたのです。
さらに、行政機構を整備してイラン人などを官僚に登用するなど、現地の実情にあわせた統治を進めました。

交易にも力を入れました。
各地に4つの幹線道路が生まれ、東西のさまざまな産物や文化がバグダードに集まり、繁栄を支えました。

  • ブワイフ朝がバグダードに進出

9世紀、アッバース朝のカリフは、騎馬戦士として優れていた中央アジアの遊牧民・トルコ人を奴隷とし、親衛隊として用いるようになります。
彼らは、軍事訓練を受けたのち、コーランを学びイスラームに改宗、「マムルーク(奴隷軍人)」と呼ばれるエリート軍人として軍隊の中核を担うようになります。

そんな中、イラン人による軍事政権「ブワイフ朝」が誕生し、バグダードに進出。
アッバース朝のカリフを保護下におくと、カリフの委任を受ける形をとり、統治を行います。
アッバース朝は実権を失い、王朝としての実質的な終焉を迎えました。

  • セルジューク朝

11世紀になると、イスラームに改宗したトルコ系騎馬遊牧民の一団が中央アジアから西アジアへと進出、「セルジューク朝」をおこします。
強力な軍隊を整えたセルジューク朝は、ブワイフ朝を倒し、1055年にバグダードに入城。
ブワイフ朝に代わって保護下においたアッバース朝のカリフから、「支配者の地位」を意味する「スルタン」の称号を授かります。
こうしてトルコ系の人々が実質的な支配者となりました。
スルタンの称号は、これ以降、君主の称号として広く用いられるようになります。

  • カリフとスルタンの関係

汰雅 「セルジューク朝の騎馬遊牧民って、相当強かったわけじゃないですか。なんでアッバース朝を倒すところまでいかなかったんですか?」

羽田先生 「アッバース朝は、カリフですよね。カリフは信徒の長と呼ばれていて、やっぱり権威なんですよ。だからムスリムにとって、そう簡単に倒すような存在ではないわけですね。」

マヤ 「スルタンもムスリムのリーダー格というか、君主の称号ですよね。カリフとスルタンというのは、どういう関係って考えたらいいですか?」

羽田先生 「カリフは、もともと宗教と政治、両方のリーダー。最高指導者だったわけですが、この頃になると宗教的な権威だけになって、世俗的な力はなくなっているわけですね、軍事力とかもなくなって。軍事力を持っていたのが、スルタンですね。」

汰雅 「日本でいうと、江戸時代の天皇と将軍みたいなイメージって考えたらいいですか?」

羽田先生 「天皇は宗教的だったかどうかはわかりませんが、そういうイメージですね。
ただし、少し時代が進んでくると、たくさんの人がスルタンを名乗るようになってきて、結果としてムスリムの指導者の、世俗的な君主の相当部分はスルタンになってしまうんです。
そういう意味では将軍のように1人だったわけではないから、少し違うかもしれないんですが、似ていますね。」

  • 文化を理解し尊重する社会

マヤ 「先日、コンビニの駐車場で、ムスリムの方がお祈りをしているのを見かけました。
いま、日本に暮らし働くムスリムの方が、増えていますよね。企業や公的な場所に礼拝室を設けたり、信仰に配慮したハラルフードを扱う店も増えてきました。
お互いに文化を理解し尊重する社会でありたいですよね。」


それでは次回もお楽しみに!

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