NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、昨年度の再放送です。

世界史

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今回の学習

第3回

ローマ帝国

  • 世界史監修:早稲田大学特任教授 本村 凌二
学習ポイント学習ポイント

1.ローマ帝国の繁栄 2.「ローマの平和」での庶民の生活 3.キリスト教の成立

  • 今回のミッション

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!

今日のミッションは「ローマ帝国」です。  
「すべての道はローマに通じる」という言葉があるように、ローマ帝国はヨーロッパで最大の帝国を築きました。そして長い平和の時代が続き、古代ローマは繁栄していきました。

  • 訪れる場所と時代
  • 古代ローマの繁栄

今回のマジカル・ヒストリー・ツアーは、現在のヨーロッパ社会の基礎を作った、古代ローマの繁栄をたどる旅です。

ツアーのビューポイントは、

1.ローマ帝国の繁栄
2.「ローマの平和」での庶民の生活
3.キリスト教の成立

の3点です。

紀元前6世紀末から紀元後4世紀のイタリアを訪れ、ローマが都市国家から世界帝国へと成長した背景を探っていきます。
また、ローマ帝国時代の庶民の生活とは、どのようなものだったのでしょうか。

  • ローマ帝国の最大領土の地図

上の図は、ローマ帝国最大時の領土を示した地図です。
イタリア・ローマを中心に地中海全域、そして北はイギリスから、現在の中東やアフリカ大陸にまで領土が広がっています。

永松さん 「ローマ帝国は、世界帝国と呼ばれるにふさわしい広さがあったんです。」

眞鍋さん 「ここまで広げていくのは相当大変だと思うけど、どうやって広げていったのかな?」

1.ローマ帝国の繁栄
  • ローマの町並み
  • ローマ歴史地区

今回のマジカル・ヒストリー・ツアーは、年間1000万人の観光客が訪れるローマから始まります。
世界遺産「ローマ歴史地区」には、ローマ帝国の数多くの遺跡が残され、その繁栄を今に伝えています。

  • SPQRとは?

遺跡の水飲み場や、町の警察官の帽子には、「SPQR」という文字が刻まれています。これは、ローマ帝国が長く続いたカギとなる言葉だといいますが、一体どんな意味があるのでしょうか。

そのカギを解くために、マジカル・ジャンプ!

  • 共和政
  • イタリア半島統一

紀元前6世紀末のローマでは、有力貴族の話し合いによって政治を行う、共和政が敷かれました。その政治機関が元老院です。元老院の議員たちは、独裁者が現れて個人に権力が集中しないように、集団で意見をまとめて国家を運営していこうと考えました。

共和政ローマは強い軍事力によって周辺の都市国家や部族を征服し、紀元前3世紀前半には、イタリア半島の統一を成し遂げます。
都市国家の一つに過ぎなかったローマは、その後も地中海世界に領土を広げていきました。

ローマの領土が拡大するにつれて、元老院議員をはじめとする貴族たちは莫大な富を手にするようになります。一方、軍の中枢を担っていた一般民衆であるローマ市民は、相次ぐ戦争によって疲弊していきました。
両者の対立は次第に深まり、紀元前2世紀後半からの約100年間は、「内乱の一世紀」と呼ばれる状態が続きました。

  • カエサル
  • カエサル暗殺

こうした混乱の中で、共和政ではなく、権力を集中させようとしたのがカエサルです。紀元前46年、カエサルは強大な権限を持つ独裁官となりました。

しかし、彼の独裁政治は反発をまねき、共和政崩壊を恐れる人々によって暗殺されます。

  • 初代皇帝アウグストゥス

再び始まった内乱に終止符を打ったのが、カエサルの養子のオクタヴィアヌスでした。紀元前27年、オクタヴィアヌスは元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を受けて、ローマ帝国の初代皇帝になります。

アウグストゥスは、帝政を始めた後も共和政の形を残しました。
皇帝の独裁を防ぐため、元老院と市民が帝国をチッェクするというしくみを尊重し、皇帝は元老院と市民の代表者であるという立場をとりました。

  • SPQRは、「ローマの元老院と市民」の意

この「ローマの元老院と市民」を意味するのが「SPQR」です。
ローマ市民はこの共和政のしくみを誇りに思い、今も町の紋章に使っています。

帝政開始から約200年間、ローマは「ローマの平和」とよばれる最盛期を迎えます。


眞鍋さん 「200年以上も平和な時代が続くというのは、すごいことだよね。」

永松 「それには “市民を満足させる政策” がカギとなったんです。」

2.「ローマの平和」での庶民の生活
  • ポンペイ遺跡
  • 灰に埋もれた人型

マジカル・ヒストリー・ツアー、続いては世界遺産の「ポンペイ遺跡」へやってきました。ここは、ローマ帝国のもとで平和な時代に生きた人々の暮らしを物語る遺跡として知られています。

紀元79年、ポンペイの町は、火山の噴火によって火山灰に埋もれてしまいました。
しかし発掘により、まるで時間が止まっていたかのように、当時の人々の生活の様子を今に伝えています。

ここで時間をさかのぼっていきましょう。マジカル・ジャンプ!

  • 横断歩道
  • 水飲み場

紀元1世紀ごろのポンペイの人口は、1万ほどでした。
町には住居のほか、劇場や公衆浴場、下水道までも完備されていました。道路は、車道と一段高くなった歩道とに分けられ、さらに横断歩道まで作られていました。また市内には、いたる所に水飲み場がありました。

  • パンを配る壁画
  • 剣闘士の興行

そのほか、パンを焼いていた釜もあり、市民一人ひとりにパンを配る様子を描いた壁画が残っています。
ローマ帝国では、暮らしに必要な食料が無料で与えられることもあり、生活が保障されていました。
そして、帝国が用意した最大の娯楽が剣闘士の興行です。
試合が行われる日には、付近の都市からも大勢の人々が詰めかけ、大歓声が響き渡っていました。

この時代、ローマの人々は豊かな暮らしと平和を楽しんでいました。
しかし、このような平和な時代が約200年続いた後、ローマは再び混乱の時代を迎えます。

人々の暮らしを満足させる費用をまかなうために、ローマ帝国は領土を拡大しました。しかし、軍事費の増大により帝国の財政は破綻していきました。さらに、外部からの異民族の進入もありました。
このような不安が広がる中で、人々の心をとらえ、広まっていったのがキリスト教でした。

3.キリスト教の成立 
  • バチカン市国

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後は世界遺産バチカン市国を訪れます。ここは、ローマ市内にある世界で最も小さな国であり、キリスト教カトリック教会の総本山です。

キリスト教は現在、信者数が約20億人にものぼると言われています。しかし、ローマ帝国初期には1つの新興宗教に過ぎませんでした。
なぜ、キリスト教はここまで大きくなったのでしょうか。

  • 石像

上の写真は、1世紀ごろにローマ帝国の領土だった、北アフリカで出土した石像です。中央はローマの神、両側には北アフリカの神々が並んでいます。

もともとローマ帝国は、自分たちの文化を押しつけるのではなく、征服した国や民族の神々をも認める「多神教世界」でした。

  • イエスによるユダヤ教改革運動
  • イエスの処刑

そんな中、帝国の東の端パレスティナで、イエスという男がユダヤ教の改革運動を始めます。イエスはユダヤ教を批判し、民族や階級に関わらない神の愛と隣人愛を説きました。
しかし、彼はローマ帝国に対する反逆者であると訴えられ、処刑されます。イエスの死後、弟子たちによって彼の教えが広められ、キリスト教が成立しました。

  • キリスト教公認

3世紀になると、ローマでは政治が混乱し、キリスト教に救いを求める人々が増え始めます。
ローマ帝国は、キリスト教を迫害した時期もありましたが、やがて国の統治に利用するようになりました。

そして、313年に皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認します。
これにより、ほかの神や宗教を認めないキリスト教の教えによって、ローマは「一神教世界」へと変わっていきました。

ローマ帝国の後ろ盾を背景に、キリスト教は世界宗教となる基礎を築いていくことになります。現在、ヨーロッパの国々でキリスト教を信じる人が多いのは、ローマ帝国がキリスト教と結びついたためでもあります。

  • 一神教世界化後に、元来の宗教を禁じられた場所も

眞鍋さん 「ローマ帝国側にとっても、キリスト教を利用することで、人々の不安や国の混乱を収めようという思惑もあったわけだね。」

永松さん 「実は、ローマ帝国が一神教世界になったことで、支配される地域にとっては、自分たちの宗教を禁じられるようにもなったんです。」

眞鍋さん 「それだけローマ帝国の支配の方法や、方針が変わっていったという歴史があったんだね。」

Deep in 世界史
  • 本村凌二先生
  • プリニウス

歴史アドバイザーの本村 凌二先生(早稲田大学 特任教授)から、歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、古代ローマのプリニウスという人物についてです。

79年の火山の噴火で、ポンペイの町が火山灰に埋没したとき、プリニウスはポンペイやナポリ近くの港でローマ艦隊の司令長官の任に就いていました。プリニウスは、ポンペイの救助へ向かい、火山灰にあおられて亡くなってしまいます。しかし、その火山の様子を手紙に書き残していました。

本村先生 「彼は、人間、自然の森羅万象に興味がある博物学者でしたので、こんな大事件が起これば願ってもないというような人物でした。人を助けに行ったついでに、いろいろ調べたいという、好奇心がとても旺盛な方だったんです。」

  • 神々のせいにせず自分の目で調べた

多くの古代人は、「地震が起これば津波が起こる」というような自然現象を、神々のせいにしがちでした。しかしプリニウスは自分の目で観察して自然現象を調べ、人間や動物、植物の生態など さまざまな事柄についての膨大な著作「博物誌」を残しました。

  • 地震の原因について考えたプリニウス
  • たくさんの書物を所有したプリニウス

本村先生 「津波については、その前に当然地震があって、地震の原因を風のせいにしています。」

眞鍋さん 「風が吹いて地震が起こる?」

本村先生 「風が吹くというより、地中から風がわいてくるというものです。現代の基準からすればとてつもない説になってしまいますが、単に神々のせいにしないという意味では、彼なりの観察に従ってやっているとういうことです。」

眞鍋さん 「科学的な目で検証しようと思ったんですね。」


プリニウスはたくさんの書物を持ち、それらを奴隷に読ませながら食事のときも風呂に入るときも熱心に勉強していたといいます。

  • 「博物誌」によって心の一端を知ることができる
  • 次回もお楽しみに!

プリニウスの残した膨大な「博物誌」は ほとんどが残っており、それを読むことで、古代の人々の心の一端を知ることができるといいます。

眞鍋さん 「今回見てきたことを踏まえた上で、またローマに行って、遺跡めぐりをもう一回やりたいな。」

永松さん 「おまわりさんにSPQRの文字、どこにあるか聞いてみてください。」

本村先生 「一番見やすいのは、マンホールのふたですね、どこにでもありますから。」


それでは、次回もお楽しみに〜!

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