NHK高校講座

歴史総合

Eテレ 隔週 水曜日 午前10:00〜10:20
※この番組は、2022年度の新番組です。

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今回の学習

第3回

産業革命と世界経済の変化

  • 監修・講師:横浜市立大学教授・山根 徹也
学習ポイント学習ポイント

産業革命と世界経済の変化

  • 秋元才加さん
  • 牧田習さん

ここは秋元才加さんがオーナーを務めるグローバル・レストラン「こんぺいとう」。
そこに常連客の牧田習さんが加わります。
世界中のおいしい料理を取りそろえ、みなさんを、時空を超えた旅にいざないます!
歴史総合、今回のテーマは「産業革命と世界経済の変化」。

18世紀後半、イギリスで起こった産業革命。
機械を使った大規模な工場が誕生。
蒸気機関が利用されるようになりました。
工業化の進んだイギリスで、労働者たちに愛されたメニューとは?
そして、世界の国々が追い求めた油の正体とは?
世界を大きく変えた産業革命。
それは、人や社会にどのような変化をもたらしたのでしょうか?

  • フィッシュ&チップス

しゅう 「お腹すいた!」

さやか 「今日はね、いいお魚が入っているの。」

しゅう 「この魚、大きくない?マグロとか。」

さやか 「これはね、白身魚。フィッシュ&チップス。イギリスを代表する庶民の味なんだ。」

本日のオススメ フィッシュ&チップス

本日のおススメはフィッシュ&チップス。
イギリスの伝統的なファストフードです。
タラなどの白身魚に小麦粉の衣をつけて油で揚げます。
そこにポテトフライを添えて、アツアツで食べる料理。
地元ではテイクアウトして家で食べるケースが多いようですが、レストランやパブでも、もちろん味わえます。
イギリスで国民食といえば、このフィッシュ&チップスなのです。

  • イギリスのさまざまな肉料理
  • 産業革命頃のイギリスの絵

しゅう 「でも、イギリスって、お魚よりも、お肉の方がイメージ強くない?」

さやか 「そうだね。ローストビーフとかスコッチエッグとか、あとミートパイなんかも、確かにイギリスの料理だもんね。」

しゅう 「なんでお魚を使ったフィッシュ&チップスが、イギリスの国民食になったんだろう?何かきっかけがあると思うんだよね。」

さやか 「それが、この絵(画像・右)なんだけど。」

しゅう 「煙突の煙に、機関車が何か運んでいるね。」

さやか 「これは産業革命のころのイギリスの絵なんだけど、フィッシュ&チップスと産業革命が、どう関係しているのか、一緒に調べてみようか。」

産業革命とフィッシュ&チップス
  • 産業革命初期の紡績工場
  • 産業革命時代の機械

イギリスの産業革命は、18世紀後半から、19世紀初頭にかけて起こりました。
機械(画像・右)を用いた大規模な工場によって、綿織物が大量に作られるようになり、工場を経営する資本家たちは、大きな収益をあげました。

  • 蒸気機関車
  • イギリスの都市人口の比率の変化のグラフ

また動力源として蒸気機関が登場。
鉄道や蒸気船が実用化され、経済は発展していきました。
イギリスの都市部には、18世紀後半、工場などの仕事を求めて農村部から労働者が流入するようになりました。
19世紀初めには、イギリスの都市部の人口は、全体の3分の1程度でしたが、90年後には7割を超えていました。

  • 炭鉱で働く女性と子供
  • 19世紀のロンドン

しかし、女性や子どもまで安い賃金で雇われ、過酷な労働を強いられていました。
労働者の家の食事は、パンとポテトを紅茶で流し込むようなケースがほとんどで、肉や野菜は滅多に食べられなかったようです。
安くて栄養のある料理を、多くの労働者たちが求めていました。
産業革命後、工業化が進む中、蒸気船を使った漁業で大量の魚が取れるようになり、それを氷詰めにして機関車で運ぶことで、新鮮な魚が都市部まで届けられるようになりました。
そんなおいしくなった魚のフライと、庶民の食べ物のポテトがドッキング!
しかも、「手早く買えて満腹になる」と、労働者の間で大人気となったのが、19世紀半ばに誕生したフィッシュ&チップスなのです。

しゅう 「大変な仕事をしている労働者たちも、このボリュームなら絶対喜んだよね。」

さやか 「昔は新聞紙にくるんで渡して、テイクアウトしていたんだって。」

しゅう 「でも、昔の工場って、めちゃくちゃブラック企業だったんだね。」

さやか 「今だったらもうアウトだよね、そういう会社は。それでも、そういった工場のある都市部に、農村部からたくさん人が集まってきたの。それが『産業革命』というものなんだよ。」

しゅう 「フィッシュ&チップス食べたら手がベタベタしてきたから、洗ってくるね。」

  • 石鹸
  • 鯨油

しゅう 「トイレの石鹸すごくない?手がしっとりした。」

さやか 「これで洗ったね?(画像・左)」

しゅう 「それ、高級品でしょ。」

さやか 「というより、原料が違う。この石鹸の原料の油(画像・右)なんだけど、何の油だと思う?」

しゅう 「オリーブとか!」

さやか 「実は、この油は鯨油(げいゆ)といって、鯨の油なの。」

しゅう 「鯨から石鹸ができるの?」

  • 鯨の利用法のポスター
  • 鯨の肉からできるもの

  • 鯨のひげからできるもの
  • 鯨の皮・骨からできるもの

さやか 「石鹸だけじゃないの。昭和時代の日本の、鯨の使い道のポスター(画像・左上)なんだけど、何に使うって書いてある?」

しゅう 「僕が大好きな焼肉の缶詰めとか、ハム・ソーセージにも使える(画像・右上)って書いてある。鯨のひげって、くつべらに使えるんだ(画像・左下)。皮とか骨から油が取れるんだね(画像・右下)。アルコールとか、クレヨン、口紅なんかにも使えるんだ。便利だね。」

さやか 「これだけ鯨の油が役に立つってなったら、どんなことが起こると思う?」

しゅう 「やっぱり、鯨を取る人が増えるよね。」

さやか 「産業革命のころは、世界中が鯨を追いかけていたの。特に19世紀後半に石油が広まるまでは、ランプも鯨油が使われていたからね。」

しゅう 「鯨の油で明かりがついたの?」

さやか 「だから、そのころにたくさん工場ができて、夜まで稼働させるとなったら、鯨油で明かりをつけていたってわけ。しかも工場の潤滑油にも、鯨油が使われていたからね。そんな鯨と、とても関係の深いアメリカ人が、このころ日本にやって来ました。」

ペリー来航と捕鯨の関係
  • ペリー
  • 19世紀アメリカの捕鯨

その名はペリー。
1853年、アメリカの艦隊の司令官として、浦賀にやって来たことは、よく知られています。
日本に開国を迫り、翌1854年、両国は日米和親条約を締結。
一方でアメリカのもう1つの目的は、日本を開国させて捕鯨の拠点にすることだったといわれています。
アメリカが漁場としていた大西洋では、乱獲のため鯨が取れなくなっていました。
そこで彼らは太平洋に進出し、日本を捕鯨船の補給基地にしようとしたのでした。

  • 鯨油のランプ
  • 鯨油に関連するもの

さやか 「アメリカで実際に使われていた鯨油のランプだよ。それと機械の潤滑油に使っていた
瓶。あとろうそくと石鹸。全部、鯨油に関連するものです。」

しゅう 「アメリカもずいぶん鯨を取っていたんだね。」

さやか 「アメリカもイギリスに続いて、産業革命が始まっていたからね。工場が増えて、灯油や潤滑油がたくさん必要だったの。」

しゅう 「それで日本に開国を迫ったんだ。産業革命が、世界中に与える影響ってすごかったんだね。」

さやか 「ただし、ペリーが日本にわざわざやって来たのには、もう1つ理由があった。ペリーはパンダの国を狙っていたの。」

欧米と清・日本の関係
  • 清の貿易の図
  • 清・日本・アメリカの位置関係

アメリカのもう1つの狙いは、中国、当時の清との貿易でした。
お茶や絹など豊かな産物を持つ清との交易を巡って、アメリカとイギリス、フランスはこのころライバル関係にありました。
産業革命が進んでいたアメリカは、工業製品を売るための市場を求めていました。
人口4億の清は、その点でも魅力的だったのです。
当時アメリカは、中国へ行くための航路として、新たに太平洋を横断するルートの開拓を模索していました。
太平洋を横断して清との貿易を行うためには、日本という中継基地がなんとしても必要でした。

  • アヘン戦争
  • 東京品川鉄道蒸気車之図

しかもライバルのイギリスは、清との間のアヘン戦争に圧勝して、アメリカを1歩も2歩も
リードしていました。
アメリカにとって日本の開国は、イギリスに対抗するための絶対条件だったのです。
一方日本は、清というアジアNo.1の大国ですら、イギリスに大敗するのを目の当たりにしていました。
「欧米のように強くならなければ」、その思いが、後の日本の急速な近代化につながっていきました。

  • 絹のマスク

しゅう 「そのマスク、かっこいいね。」

さやか 「そこにもあるから、つけてみて。」

しゅう 「このマスク、すごく滑らかでしっとりする。」

さやか 「シルクだよ。絹なの!」

しゅう 「絹ってこんなに滑らかだったの?」

さやか 「実はこの絹が、今後の日本の産業革命の主役になっていくの。」

日本の産業革命
  • 上州富岡製糸場之図
  • 日本の生糸輸出額の推移のグラフ

イギリスで始まった産業革命が日本に影響を及ぼしたのは、19世紀後半になってからのこと。
当初、日本の産業革命を牽引したのは、絹織物の原料である生糸の生産を中心とした軽工業でした。
外国技術を導入した器械製糸の工場で作られた生糸は、主にアメリカへ輸出されました。
その輸出額は、10年で3倍、30年で15倍に増えていきました。
質の良い製品を安定して生産できるようになったため、輸出の拡大につながったのです。

  • 日清戦争
  • 官営八幡製鉄所

19世紀の終わりには日清戦争が勃発。
清に勝利した日本は、多額の賠償金を得ることで、官営八幡製鉄所を建設。
鉄鋼の生産が軍備・産業の両面を支え、重工業が発展。
日本の産業革命は、新しい段階に入り、ますます発展していきました。

しゅう 「最初は絹とかの繊維業が主役だったのが、鉄鋼なんかに変わっていったみたいだね。」

さやか 「それって、第2次産業革命っていうんだよ。」

  • 山根先生

やって来たのは山根徹也先生。

さやか 「今日は産業革命の話をしていたんですよ。」

山根先生 「産業革命は社会を大きく変えたからね。その時から、人々の暮らしも大きく変わったんだよ。あのころ生まれて、今も続いている人々の習慣があるんだけど、なんだかわかるかな?」

しゅう 「蒸気とか機械化だから、サウナですか?」

時計を見る暮らし

山根先生 「ちょっと違うかな。答えは『時計を見る暮らし』です。それまで人々は、日が昇ったら仕事を始めて、自分のリズムで終わる時間を決めて働いていたんだけれども、産業革命が始まると、工場で機械を効率的に動かす。そのためには何時から何時まで、きちんとその時間通りに働くっていうふうに、働く人は強制されるようになったわけだよね。」

さやか 「今の9時から17時のルーツがそこから始まったってことなんですね。最初は機械のためだったんですね。」

山根先生 「仕事を始める時間、終わる時間、間の休み時間も、ここからここまでというふうに、厳しく決められるようになったわけだ。それでみんな、時計を見る、そういう暮らしになったわけ。当時、労働がきつかったっていう話はしたかな?」

しゅう 「昔のブラック企業のお話ですよね!」

山根先生 「今もね、そういう問題が解決されているわけではないけれども、仕事がきつかったわけだ。さっきの『時計を見る暮らし』が徹底されることで、仕事を何時から何時までする、遅刻したら給料を下げるっていうふうに厳しく仕事の仕方を管理することになった。これと結びついているわけだよね。一方、時間を計る、時計を見るっていうことが、労働の時間が長くなりすぎないようにするっていうこととも、結びついていた。過労を無くそうということで、労働者たちが運動を始めました。労働者は結束して、ストライキをするとか、労働組合を作るとか、そういう労働運動を始めたんだけれども、そんな中でブラックな資本家に対抗していったんだ。今、日本や世界では8時間労働制といって、1日当たりの労働時間は8時間っていうのが基準になっているけれども、それも、そういう労働者の運動の成果なんだよ。」

  • ロンドン名物ビッグ・ベンの鐘の音がもとになっている

ここでチャイムが鳴りました。

山根先生 「そういえば、このチャイムの音。これも、ロンドン名物ビッグ・ベンの鐘の音がもとになっているんだよ。」

さやか 「全然知らなかった。」


それでは次回もお楽しみに!

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