NHK高校講座

日本史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、昨年度の再放送です。

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理解度チェック

問題作成協力:NHK学園高等学校

第29回 不平等条約の改正

問題 解答
Q1 井上馨の条約改正交渉に関する文のうち、正しいものはどれか。
  • 外務卿の井上馨は各国の高官を鹿鳴館に招いてさかんに舞踏会を開くなど、日本の欧米化を示すことで条約改正を有利に進めようとした。
  • 1886年に開かれた条約改正会議で、日本はアメリカの強硬な反対により、外国人の裁判に外国人判事を任用するという妥協案を受け入れざるを得なくなった。
  • モリソン号事件への非難が激しくなる最中、外国人判事任用を受け入れる改正案が明らかとなり、政府内外から激しい反発を受け、井上馨の改正交渉は失敗した。
Q2 大隈重信の条約改正交渉に関する文のうち、正しいものはどれか。
  • 最恵国待遇が障壁となり、欧米と個別に交渉する方法では成功しなかったため、大隈重信は列国を一堂に集めて交渉することで条約改正を果たそうとした。
  • 1889年2月、大日本帝国憲法が発布された。欧米は法制度の不備を理由に領事裁判権撤廃を拒否する根拠を失い、憲法発布は大隈重信の改正交渉を後押しする形となった。
  • 大隈重信の条約改正案は、現在の最高裁判所にあたる元老院に外国人判事を任用するという欧米との妥協があり、改正交渉への国民の期待も高まっていった。
Q3 国際情勢の変化とそれに伴う条約改正交渉に関する文のうち、誤っているものはどれか。
  • 東アジアへの進出をねらうロシアに対し、イギリスはそれを食い止めるため日本に歩み寄るようになり、この国際情勢の変化が条約改正への追い風となっていった。
  • 領事裁判権撤廃を内容とする改正案にイギリスが同意するなど、青木周蔵外相の交渉は成功しつつあったが、来日中のロシア皇太子が襲われる事件が起き、交渉は延期された。
  • 陸奥宗光外相はイギリスと粘り強く交渉を続け、1894年7月、新条約である日英修好通商条約が結ばれ、日本は関税自主権の完全回復に成功した。
Q1
井上馨の条約改正交渉に関する文のうち、正しいものはどれか。
  • 外務卿の井上馨は各国の高官を鹿鳴館に招いてさかんに舞踏会を開くなど、日本の欧米化を示すことで条約改正を有利に進めようとした。
  • 1886年に開かれた条約改正会議で、日本はアメリカの強硬な反対により、外国人の裁判に外国人判事を任用するという妥協案を受け入れざるを得なくなった。
  • モリソン号事件への非難が激しくなる最中、外国人判事任用を受け入れる改正案が明らかとなり、政府内外から激しい反発を受け、井上馨の改正交渉は失敗した。
Q2
大隈重信の条約改正交渉に関する文のうち、正しいものはどれか。
  • 最恵国待遇が障壁となり、欧米と個別に交渉する方法では成功しなかったため、大隈重信は列国を一堂に集めて交渉することで条約改正を果たそうとした。
  • 1889年2月、大日本帝国憲法が発布された。欧米は法制度の不備を理由に領事裁判権撤廃を拒否する根拠を失い、憲法発布は大隈重信の改正交渉を後押しする形となった。
  • 大隈重信の条約改正案は、現在の最高裁判所にあたる元老院に外国人判事を任用するという欧米との妥協があり、改正交渉への国民の期待も高まっていった。
Q3
国際情勢の変化とそれに伴う条約改正交渉に関する文のうち、誤っているものはどれか。
  • 東アジアへの進出をねらうロシアに対し、イギリスはそれを食い止めるため日本に歩み寄るようになり、この国際情勢の変化が条約改正への追い風となっていった。
  • 領事裁判権撤廃を内容とする改正案にイギリスが同意するなど、青木周蔵外相の交渉は成功しつつあったが、来日中のロシア皇太子が襲われる事件が起き、交渉は延期された。
  • 陸奥宗光外相はイギリスと粘り強く交渉を続け、1894年7月、新条約である日英修好通商条約が結ばれ、日本は関税自主権の完全回復に成功した。
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