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今回の学習

第3回 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生

大和王権と古墳文化

  • 監修講師:奈良大学教授 渡辺晃宏
学習ポイント学習ポイント

大和王権と古墳文化

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。

今回とりあげる時代は3世紀から6世紀です。
3世紀後半には「古墳」が出現し、さらに中国や朝鮮半島といった海外から渡来してきた人々が日本に大きな影響を与えます。
今回のテーマに迫る3つのポイントは「古墳の出現と大和王権の成立」「大陸文化の摂取と渡来人」「大和王権の支配のしくみ」です。

巨大古墳の存在、そして東アジアからの渡来人によって、小さな国が乱立していた日本社会は、どう変わっていったのでしょうか。

古墳の出現と大和王権の成立

卑弥呼(ひみこ)がこの世を去り、3世紀後半になると、近畿地方から瀬戸内海沿岸各地に「巨大古墳」がつくられるようになります。

「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」は、前方部と呼ばれる四角い部分と後円部と呼ばれる丸い部分からなる古墳です。

丘陵地など自然地形を利用し、表面にはたくさんの石が敷きつめられ、周囲には円筒形の埴輪(はにわ)が並んでいます。

円形部分には、石室(せきしつ)とよばれる空間に、王など地位の高い権力者の遺体がおさめられていました。
さらに石室には、鏡や玉、武器や武具などの副葬品(ふくそうひん)が一緒に埋葬されていました

古墳は、4世紀後半になると九州南部から東北地方南部にまで広がっていきます。
多くの古墳がつくられた3〜6世紀ごろまでを「古墳時代」といいます。

「大仙陵(だいせんりょう)古墳」は、日本で最大規模の前方後円墳です。
墳丘(ふんきゅう)の長さが486m、幅305m。クフ王のピラミッド、中国の始皇帝陵(しこうていりょう)と比べてもその大きさが目をひきます。
つくるのに1日あたり2000人動員しても16年はかかる、と計算されています。
また、古墳時代後期の古墳の副葬品の中には、「鉄製の武器」や土器、馬具など、中国や朝鮮半島など東アジアの影響を受けたと思われるものも多くありました。

古墳時代につくられた古墳の分布をみると、大型の巨大古墳は、奈良県や大阪府南部を中心とした近畿地方に集中しています。
このことから古墳をつくった各地の王、豪族らが、大和地方の王を中心に政治的に結びついた連合体を形成していたと考えられます。
これを「大和王権(やまとおうけん)」といいます。
大和王権の盟主は「大王(だいおう)」とよばれ、大きな権力を持つようになっていきます。

古墳は、前方後円墳だけではなく、「円墳(えんぷん)」「前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)」「双円墳(そうえんふん)」「四隅突出墳(よすみとっしゅつふん)」など、さまざまな形のものがあります。

えり 「なんと、全国で16万基もあるそうです。コンビニの数よりもずっと多いんですよね。」

大陸文化の摂取と渡来人

前方後円墳など巨大な古墳がつくられていた4世紀、大和王権は朝鮮半島に進出していきます。
当時、朝鮮半島では「高句麗(こうくり)」「百済(くだら)」「新羅(しらぎ)」、三国の勢力争いが激化していました。
そんな中、高句麗に侵攻された百済は大和王権と同盟を結び、高句麗に対抗しました。

369年、百済で作られたといわれる鉄製の剣、「七支刀(しちしとう)」
鉾先(ほこさき)が左右に3本ずつ互い違いに出ています。             
百済の王が、大和王権の王のために作り、贈ったものです。               
百済と大和王権の結びつきを表したものだといえます。

また、「広開土王碑(こうかいどおうひ)」の碑文(ひぶん)には、大和王権が軍隊を朝鮮半島に送り、高句麗と戦った様子が記されています。
こうして、大和王権は勢力争いが激しい朝鮮半島への進出を目指していきました。

えり 「それにしても、なんで争いをしている朝鮮半島に大和王権は行ったんでしょうか?」

中国の歴史書“『宋書(そうじょ)』倭国伝(わこくでん)”によると、5世紀、大和王権の「倭の五王」と呼ばれた「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」が中国南朝の宋(そう)に献上品を贈り、朝鮮半島諸国に対して軍事的支配権を示す高い称号を得ようとしたことがわかります。
中国皇帝の権威を背景に、朝鮮半島諸国に対する立場を有利にしようと考えたのです。

大和王権が中国との関係を築き、朝鮮半島での立場にこだわったのは、鉄をはじめとした中国・朝鮮半島の先進的技術や文化を取り入れることで、国内の豪族に対して、軍事的・経済的に大きな力を示そうとしたからなのでは、と考えられています。

同じころ、中国・朝鮮半島から移住してくる多くの外国人たちがいました。
「渡来人(とらいじん)」です。
渡来人は、鉄製の武器や農具、工具を伝えたり、「須恵器(すえき)」とよばれる土器、金属細工など、新しい技術を伝えています。

古墳から出土したこれらの副葬品は、中国・朝鮮半島などの大陸文化が浸透していたことを示しています。

また、渡来人が伝えたものの中には「漢字」「仏教」「暦」などもありました。
渡来人は、技術や文化などあらゆる面で大和王権の発展に大きな役割を果たしたのでした。

えり 「そういう技術や文化を背景に、大和王権は豪族たちに対する支配を強めていった、そういう側面もあったんでしょうね。」

詩乃 「そもそも大和王権って、どうやって豪族たちを支配したんだろうね?」

大和王権の支配のしくみ

巨大な前方後円墳の周りには、比較的小さめな古墳が点在しています。
これらの古墳は、大王との関係が深い豪族などが葬られていると考えられています。
5世紀後半ごろから、大王を中心に大和王権を構成したのは、大和を中心とする近畿地方の有力な豪族たちでした。

大和地方の有力な豪族として知られるのは、「葛城(かずらき)氏・大伴(おおとも)氏・蘇我(そが)氏」などです。
これらの豪族の集団を「氏(うじ)」と呼びます。
そして、各豪族の代表者は「氏上(うじのかみ)」として大和王権に仕えました。
当時の豪族は、中央・地方に関わらず私有地を持ち、そこを耕作する民を支配していました。

大和王権はこうした豪族たちに対して、王権における職務や家柄に応じて、地位や身分を表す「臣(おみ)・連(むらじ)」などの「姓(かばね)」と呼ばれる称号を与えて組織し、その地位や特権は世襲されていきました。

大和王権は中央の豪族を統括するだけでなく、地方の有力な豪族を「国造(くにのみやつこ)」に任じ、姓を与えて組織しました。
こうして地方に対する支配も強化していったのです。

埼玉県、稲荷山(いなりやま)古墳。
ここから出土した副葬品の中には、倭の五王、武とみられるワカタケル大王の名が書かれた鉄剣があります。
そこには、ワカタケル大王に仕えた豪族との関係が記された漢字も刻まれていました。

一方、熊本県の江田船山(えたふなやま)古墳から出土した太刀(たち)にも、ワカタケル大王の文字が刻まれていたことが近年の研究で明らかになりました。

関東と九州、900km近くも離れた場所で見つかったワカタケル大王の名前が刻まれた鉄剣と太刀。
日本列島の広範囲に渡って大きな影響力を及ぼしていたことが読み取れます。

このように中央・地方の豪族を大王中心の支配体制に組み入れるしくみが「氏姓(しせい)制度」です。
大和王権では、氏姓制度を基盤として政治制度を整備し、国を支配するしくみが築かれていきました。

日本史なるほど・おた話〜「漢字」が「日本語」になるまで

大和王権時代のおもしろくてためになる話を、渡辺晃宏先生に伺います。

渡辺先生 「漢字が日本語じゃなかったということに注目してみたいと思います。漢字は5世紀ごろ、朝鮮半島の百済から王仁(わに)という博士が論語とか千字文(せんじもん)という本の形で日本に伝えたといわれています。なぜ漢字が伝わったかというと、中国との外交関係を築くためですね。中国の南朝の宋に使いを送るようになったちょうど倭の五王の時代。その時は国書という手紙を持っていくわけです。ところが日本には当時、文字がなかったわけです。そのため、どうしても中国で使っている漢字が必要になった。ただ、日本人は漢字を知りませんから、朝鮮半島の人たちに間に入ってもらって、それでやりとりをすると。」

詩乃 「ちなみに、日本国内ではどんなふうに漢字って使われていたんですか?」

渡辺先生 「国内では、七支刀や稲荷山古墳出土鉄剣に出てきますように、ほとんど権威の象徴、政治支配のための道具として漢字が用いられていた。たぶん、あれをもらった人たちは、漢字が読めるわけないんですね。わからないところがすごいというか、そういう使い方も漢字にはあったようですね、当時としてはね。」

渡辺先生 「漢字が普及していくのは100年ぐらい後のことで、7世紀半ばぐらいから8世紀にかけて、日本は律令(りつりょう)国家と呼ばれる古代国家の国づくりをしますけれども、そのときの事務作業を行う手段として漢字を使うようになっていく。もちろん、一般の人たちに普及するには、さらにもっと後までかかりますけどね。だから、7世紀、8世紀の人にとって漢字はまだ外国語だった、と言ったほうがいいんだろうと思います。」


それでは、次回もお楽しみに!

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