Eテレ(教育テレビ) 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、昨年度の再放送です。
Eテレ(教育テレビ) 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、昨年度の再放送です。
第1回 入門
皆さん、こんにちは〜
いよいよ始まります、地理!!
サンドウィッチマンの2人が、旅行会社「全世界トラベル」を設立しました。
大手旅行会社に勝つためには、独自路線の旅行プランが必要!
毎回、地形や気候風土、くらしや文化を知ることが出来る旅行プランを考え、富澤社員が伊達社長に
プレゼンします。
現地調査は新入社員の今野美里ことミータスが担当。
今回の旅行プランは「南の楽園ハワイ〜地と理でスッキリ!〜」。
日本人の海外旅行の定番「ハワイ」を、独自路線でプレゼンします。
さて、採用されるのやら?
日本人のハワイ旅行者数は年間100万人以上ともいわれ、1日に平均で約3,000人もの日本人が
旅行していることになります。
世界全体では毎年700万人以上の観光客がハワイを訪れており、まさに世界の一大リゾートといえます。
これだけの観光地になる理由は、その土地や地形にあります。
ハワイは日本から太平洋を東におよそ6000kmも離れた、北半球、太平洋の真ん中にある島々です。
正確な名称はアメリカ合衆国ハワイ州ですが、アメリカ本土からは4000kmも離れています。
ハワイ州は主に西からカウアイ島、オアフ島、モロカイ島、マウイ島、ハワイ島などの島々があり、ハワイ諸島と
呼ばれています。
ハワイ州の州都ホノルルは温暖で一年を通して気温が20度を切ることはありませんが、空気はからっと
乾燥していて、エアコンをつけている住宅は殆どないほど快適な気候です。
ハワイはRainbow State(虹の州)と呼ばれるほど、虹が沢山生まれます。
ハワイの代名詞とも言えるワイキキビーチは最も人気の高い観光地で、サーフィンにダイビング、海水浴に
クルージングなど、世界中の観光客がマリンスポーツを楽しんでいます。
実はワイキキビーチは観光のために造られた人口の浜辺で、全長は約3kmありますが、幅は狭く10mに
満たない場所もあります。
もともとホノルルにビーチはなく、湿地帯が広がり、一面タロイモというイモが育てられているイモ畑でした。
タロイモは里芋の仲間で、栽培には豊富な水が必要です。
ホノルルに広がっていたタロイモ畑は、オアフ島独特の自然条件が作り出しました。
島では一年を通じて北東から湿った北東貿易風が吹き込み、この風が島を横切る山脈にぶつかって
雨雲をつくり、島の北東部に雨を降らせます。
ホノルル郊外の標高600mほどのタンタラス山は、ホノルルから7キロしか離れていませんが、ホノルルの
8倍にあたる年間4000ミリもの雨が降ります。


山脈にさえぎられ南部は雨が少ない 山に降った雨が地下水として流れる
一方、島の南部は山脈にさえぎられて雨が殆ど降らず、しかも雨を降らせた貿易風は乾燥した風をホノルルに
運びます。
そのためホノルルは暑くても快適な上、山に降り続ける雨がたびたび虹を見せてくれるのです。
また山に降った雨は南側の谷に集まり、地下水としてホノルルに流れていきます。
つまり雨が少なくても水が豊富なホノルルは、タロイモの栽培に適しているだけでなく、人が住みやすい
土地だったのです。



湿地帯を埋め立たてて、ホテル等が立ち並ぶ一大リゾート地へ 虹の州ならではのナンバープレート
この恵まれた条件を活かし、1901年にホノルルに初めてのリゾートホテルが建てられたました。
その後、湿地帯を埋め立て、観光用の砂浜として造られたのがワイキキビーチです。
このようにして、暑くても快適な虹の楽園ホノルルは、世界の一大リゾート地に成長したのです。
ハワイの車のナンバープレートには虹が描かれており、虹の州ならではと言えます。
ハワイの町中で見かけるカラフルなアロハシャツは、今ではすっかりハワイのシンボルとなっていますが、実は
日本と深い関係があると言われています。
そのきっかけを作ったのは、ハワイが独立国だった当時の第七代国王、デヴィッド・カラカウアでした。
カラカウア国王の時代、ハワイでは伝染病の蔓延で人口が激減し、労働力が不足しました。
そのため1881年にカラカウア国王は日本を訪れてハワイへの移民を要請、その4年後に条約が
結ばれて900人の日本人移民団がハワイに到着しました。
日本人たちの多くは農場労働者として働きました。
世代を重ねて、彼らの子孫は「日系人」と呼ばれるようになります。
1920年代の終わり頃からハワイのシャツの仕立屋では、日系人から仕立て直しの注文をしばしば
受けるようになりました。
それは日本から持ってきたものの着る機会もなく、タンスにしまわれたままだった晴れ着を常夏の
ハワイの気候に合うように、半袖シャツに仕立て直して欲しいというものでした。
仕上がったシャツは着物の柄をそのまま活かした半袖シャツです。
この頃はまだ日系人の間でしか着られることはありませんでした。
1930年代になるとハワイに観光ブームが起こり、多くのアメリカ人がやって来るようになりました。
ハワイ土産を求める彼らの目に、日系人の着る美しい絹のシャツが留まります。
これに着目したシャツメーカーは大量生産を始めます。
このときハワイを象徴する言葉をつけ「アロハシャツ」というネーミングが定着したのです。
当時のアロハシャツは日本から着物の生地を輸入して作っていたため、着物から作ったことを、わざわざ
明記しています。
もちろん現在では着物から作っているアロハシャツはなく、様々な柄をプリントしたカラフルなシャツを総称して
アロハシャツと呼んでいます。
日系人が元祖と言われるアロハシャツは、現地の企業や役所の制服としても採用されており、今やハワイの
ビジネススーツでもあるのです。
このように日本とハワイには、移民やアロハシャツといった歴史的なつながりがあります。
ハワイを代表する楽器ウクレレはポルトガルの移民が持ち込んだ小さな弦楽器がその元祖になっており
ハワイはこの他にもノルウェーやフィリピン、中国等から沢山の移民を受け入れてきました。
そのためハワイでは様々な文化が混じり合い、民族や人種間の争いが世界一少ない場所と言われています。
ハワイは南の楽園どころか世界の楽園なのです!



フラダンスの教室にやってきました!! マリア・ニイノ先生は外国人で唯一、フラダンス教師の最高位 マスター クムフラを持つ
このプランはまだ調査中の段階なので、新入社員のミータス(今野美里)に現地調査をしてもらいました。
ミータスは東京都品川区にある、日本で30年の歴史を誇るフラダンス教室を訪れました。
先生のマリア・ニイノさんはハワイでフラダンスの修行を積み、外国人でただ一人、フラダンス教師の最高位を
示すマスタークムフラの称号を許された人です。
フラダンスは手の動きで手話のように気持ちを伝えたり、また動作や形によって花や山、風などを表すことが
できます。
古代ハワイの人々は部族長を頂点とする高度な階級社会を作りましたが、文字は作りませんでした。
そこで、部族の歴史や物語を残すために文字の代わりになったのが踊りです。
手話のように身振り手振りで自然現象や野生動物の動きを表し、物語や神への祈りを伝えたのがフラダンスの
原点です。
首や頭の上に付けるレイには「自然と対話して、その力を頂く」という意味があります。
また、いくつもの花をつなげて輪にすることで「人々の輪が広がるように」という意味も込められており、使った
花はもとの木の所に返すそうです。
また、裸足で踊ることで大地から自然の「気」をもらい、気を頭に乗せてからお腹へと通し、口を通じて
メッセージとして出しています。
これが本当のアロハ(愛)の伝え方なのだそうです。
ハワイ人にとってフラは「フラ is ライフ」、「フラ is アロハ」、「フラ is ハワイ」とも言われ、フラによって
ハワイの精神生活が成り立っているそうです。
フラダンスはただの踊りではなく、まさにハワイの文化や伝統を反映しているのです。
最後にフラダンス協会の皆さんとフラダンスを踊ってみました。
今日学んだように、地形や気候風土を知るだけでなく、歴史や文化を知ることも地理の学習です。
全世界トラベルでは、こうした独自路線の旅行プランを、これからも続々とプレゼンして行きます。
さて、来週は一体どんなプランが飛び出すのか?!
お楽しみに〜!!
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