第10回 漢字の書
MCは皆藤愛子さん。
そして今回みなさんと一緒に学習する高校生は、
黒木うららさん、下国歩夢くん、古橋舞悠さんの3人です!
みなさん「弘法も筆の誤り」ということわざを聞いたことがありますか?
これは、達人でも油断すると間違えてしまうことがある、という意味です。
ここで出てくる弘法とは弘法大師(空海)のことです。
今回は空海の書をお手本にして行書を学びましょう!
風信帖は、平安時代の初期、日本を代表する僧侶だった空海が最澄に宛てた手紙です。
遣唐使の一員として中国に渡った空海は、当時書の最高峰と言われていた王羲之をはじめとして、先端の中国文化を学びました。
風信帖も中国の文化を取り入れ、堂々とした行書で書かれているのが特徴です。
最澄が返信した手紙も残っています。
2人の書いた手紙を比べてみると、
空海の書には勢いがあり、最澄の方が落ち着いた書という印象を受けませんか?
ちなみに、最澄も達筆で、とても真面目な人柄だったと言われています。
風信帖(空海)と蘭亭序(王羲之)を比べてみると、「風」や「恵」などの字が特に似ています。
これらの文字は骨格がしっかりしているのが特徴で、当時の中国でよく使われていたため唐様(からよう)とよばれています。
ただし、あまり似ていない文字もあります。
例えば、空海の「妙」という字は曲線で軽やかに書かれていて、空海の豊かな表現力が感じられます。
風信帖の中から、先生に「風雲」という字を書いてもらいました。
「風」という字は、力強さと直線的な線がポイントです。
次の画へと筆をつなげる意識を持ちながら、筆は上下にも動かすのが書き方の特徴です。
平安時代初期に書の名人といわれた空海、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)の3人のことを三筆とよんでいます。
空海と橘逸勢は同じ時期に遣唐使として唐へ渡り、空海は仏教や書を、橘逸勢は書や芸術を学びました。
当時最先端の唐の文化をたくさん吸収した2人が帰国した後に即位したのが嵯峨天皇でした。
嵯峨天皇は空海が学んだ最新の仏教を広めるため、空海を援助しました。
こうして中国の書を身につけた3人の書を見ると、中国の書の模倣だけではなく、独自の柔らかい表現も取り入れており、当時の日本の書のレベルの高さが感じられます。
この後、平安時代の中頃になると、日本独自の書が発達していきます。
三筆の書がその礎をつくったのです。
上の左図の赤い線で囲ったサイズの紙を全紙(ぜんし)といいます。
そして、全紙の4分の1のサイズの紙を聯(れん)、残りの4分の3のサイズの紙を聯落(れんおち)といいます。
また、全紙の2分の1のサイズの紙を半切(はんせつ)といいます。
紙の大きさに適した表現のあり方を考えることも大切です。
また、紙によって厚さや書き心地、にじみやすさなども違ってきますから、その点も考慮しましょう!
今回は、生徒のみなさんに半切に風信帖の最初の2行を書いてもらいます。
「風信雲書 自天翔臨 披之閲之 如掲雲霧」
これは
「あなたからの手紙が天から舞い降りてきました。それを開いて読むと、雲や霧が晴れる思いがします。」
という意味です。
最初に、青山先生に見本を見せてもらいました!
姿勢に気をつけ、背筋を伸ばして体全体を使って書きましょう。
文字は全体のバランスを見ながら大きさを整えます。
半切を書くときに大切なのは文字のつながりです。
一度墨をつけたら何文字か続けて書ききるようにしましょう。
生徒のみなさんが書いた作品がこちらです☆
半紙では表現しきれない、書の流れを意識して書くことができました!
次回もお楽しみに〜☆
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