NHK高校講座

日本史

今回の学習

第1回 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生

原始社会の生活と文化

  • 監修講師:東京都立立川高等学校教諭 武藤正人
学習ポイント学習ポイント

原始社会の生活と文化

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。

さあ、楽しい歴史談義の始まりです!

今回取り上げる時代は旧石器時代から縄文時代。
およそ3万数千年前から2千数百年前までというはるか昔。
2つの時代は、何がどのように違い、どのように移り変わっていったのでしょうか?
今回のテーマにせまる3つのポイントは「日本列島の旧石器時代」「縄文文化」「縄文時代の生活」です。
はるか3万年から2千年前の日本の姿と人々の暮らしに、思いをはせてみましょう。

日本列島の旧石器時代

えり 「今回は日本史の始まり、『旧石器時代』です。旧石器時代といえば、やっぱり石器。とがった頭の器と書いて『尖頭器(せんとうき)』という石器があります。たたいて割って作るから『打製(だせい)石器』って言います。」

詩乃 「私は、黒い石器が気になるな。」

えり 「『黒曜石(こくようせき)』っていう石。火山岩の一種なんだけど、成分はガラスと一緒なんだよ。」

悠也 「かけらみたいなのは何?」

えり 「『細石器(さいせっき)』、小さな刃物です。こうした石器類は、旧石器時代の環境と暮らしに合わせて作られたものなんです。」

旧石器時代は今より寒く、地球は「氷河時代」と言われる寒冷な時代でした。
今からおよそ2万年前はその中でも「最終氷期」という最も気温の低い時代にあたり、大陸は巨大な氷河に覆われていました。

日本列島にあたる地域は大陸と陸続きでした。
氷河のため海水が減り、海面は今より100m以上下がっていたのです。
対馬海峡も今よりせまく、陸続きだったという説もあります。
平均気温は今より7度以上低く、日本は現在のシベリアと同じような気温だったと考えられています。

旧石器時代、人々の食料になったのは、ナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型動物でした。
長野県北部の野尻湖(のじりこ)は、ナウマンゾウが発掘されたことで有名な湖です。
これまで、5万年〜3万年前のものと思われるナウマンゾウやオオツノジカの骨などが数多く発見されています。
こうした出土品から、野尻湖は、旧石器時代の人々が狩りをした場所と考えられているのです。

そのころに用いられた道具が石器です。
「握槌(にぎりづち)」、「ナイフ型石器」、「尖頭器(せんとうき)」、「細石器(さいせっき)」などがありました。
細石器は、骨や木の枝の先に埋め込み、槍(やり)として用いたと考えられています。
このような道具を使い、人々は狩りをしながら転々と移動生活をしていたのです。

縄文文化

えり 「旧石器時代は、今から1万数千年ほど前から『縄文(じょうもん)時代』に移ります。すると石器にも変化が現れます。」

詩乃 「旧石器時代よりも小さくなってるね。なんでだろう?そうだ!狩りの相手になる動物が小さくなったんじゃないかな?」

旧石器時代から縄文時代へと移り変わる中で、狩りの対象はナウマンゾウなどの大型動物から、イノシシやシカなどの中型動物へ変わっていきます。
その理由は環境の変化にありました。

旧石器時代の後期から、地球は急速な温暖化が進みました。
そして時代は、縄文時代に変わっていきます。

温暖化が進むと海面は上昇し、日本海は拡大します。
そして、日本海に暖流が入り込むようになりました。
それが環境の変化をもたらします。
日本海側では冬の雪の量が増え、太平洋側では雨が多く降るようになり、温暖で湿潤な気候へと変わっていきます。
こうして現在にまで続く、豊かな森林が生まれたのです。

この環境の変化の影響もあり、ナウマンゾウなどの大型動物が絶滅します。
そのため、狩りの対象は小さくて動きのすばやいものに変わったのです。
そうした獲物をしとめるために作られたのが弓矢です。
矢の先端につける「石鏃(せきぞく)」は、縄文時代から見られるようになりました。

えり 「縄文時代には、そのほかにも石器が使われるようになりました。表面を磨いているから、『磨製(ませい)石器』。そしてそれを木の先につけると『石斧(せきふ)』という斧(おの)になります。木の棒につけて木を削ってたんだね。」

えり 「縄文時代は豊かな森林が生まれた時代。木を材料に、家や船を作ってたんです。そのための道具として、磨製石器が活躍したんだよ。つまり、環境の変化が文化に影響を与えたっていうこと!」

縄文時代の生活

環境の変化は人々の暮らしにも影響を与えました。
温暖化によって豊かな森林が広がったため、ドングリをはじめ、クリやキノコ、山菜といった自然の食料源が豊富になりました。

また、温暖化によって海面が上昇したため、関東地方では陸地の低いところに海が入ってきました。
これが「縄文海進(じょうもんかいしん)」です。
およそ6000年前、最も温暖化が進んだ時期には、埼玉県の東部にまで海が進入していました。

その埼玉県富士見市にある水子(みずこ)貝塚。
「貝塚(かいづか)」で出土した貝殻の分厚い層、「貝層断面(かいそうだんめん)」です。
シジミやハマグリ、カキなど、さまざまな貝が見つかっています。

縄文時代の生活を体験するために、東京都多摩市にある縄文の村を訪れました。
縄文の村は、およそ6000年前の集落が発見された場所。
当時の「竪穴(たてあな)住居」を再現しています。
案内していただくのは、縄文時代に詳しい佐藤悠登さんです。

縄文時代に作られたのが「縄文土器」です。
その特徴は縄でつけられた文様。
人々が縄文土器を使っていた時代を縄文時代と呼ぶのです。

佐藤さん 「(縄文土器を)どうやって使ったかわかりますか?実は食料を煮るための鍋だったんです。」

使い方を見せていただきました。

佐藤さん 「たき火の火を受けやすい形になっているんです。」

縄文土器を使って調理する食材は、ナメコやシイタケ、シメジといったキノコ類。
サトイモ。
タラの芽やフキノトウといった山菜類。
そしてイノシシの肉は、狩りをして得ていました。
どれも縄文時代からあったと思われる食材です。

当時使われていた石器、「石匙(いしさじ)」で肉を切ってみると、きれいに切ることができました。

佐藤さん 「のこぎりの歯みたいになっているので、引くたびに筋が切れてくれるんです。」

準備が出来た食材を、土器に入れて煮ていきます。
味付けは塩。
塩は縄文時代にはすでに、調味料として使われていたと考えられています。

しばらく煮ると、山菜などから“あく”が出てきました。
土器で煮ることによって、“あく”の強いドングリなども、食べることができるようになったのです。

詩乃 「調理の方法が広がったことによって、食べられるものも増えたってことですね。」

佐藤さん 「そうです。それがやっぱり縄文時代の定住につながっていくことになるんです。」

食べ物の種類が増えたことによって、食料を探して移動生活をする必要がなくなりました。集落を作り、1か所に定住する暮らしが縄文時代に始まったのです。

詩乃 「味は、今と比べると少し薄めですかね、薄味。食材の味がそのまま生きてる、素朴な味わいですね。」

土器とともに、縄文時代の暮らしに関係が深いものが「土偶(どぐう)」です。
その姿形は女性や妊婦をかたどったものが多いところから、生殖・収穫を祈り、信仰に深く関わっていたものと思われます。
人々は動植物や自然現象にも霊魂が宿ると信じて崇拝する、「アニミズム(精霊崇拝)」を行っていたようです。

縄文中期から後期には、健康な歯を抜く、「抜歯(ばっし)」と呼ばれる風習があり、成人式などの意味を持つと考えられています。
死者の手足を折り曲げて葬る「屈葬(くっそう)」も行われましたが、その正確な理由はわかっていません。

悠也 「お借りしてきた土偶は今からおよそ4500年前に作られたもので『多摩ニュータウンのヴィーナス』って呼ばれているものなんです。」

えり 「確かにすごい丸みがあって、女性らしいよね。でも土偶は何のために作ったのか、まだわかっていないんだよね。」

日本史なるほど・おた話〜時代のスケール感

旧石器時代から縄文時代のおもしろくてためになるお話を、武藤正人先生に伺います。

武藤先生 「この時代から日本列島に人が住み始めたわけですが、そこから現在までの時間を、“ものさし”で表現してみましょう。」

悠也 「弥生時代から現代まで書かれています。」

武藤先生 「これは100年を1cmとして表しています。例えば、弥生時代から飛鳥時代はおよそ900年で9cm。飛鳥時代から平安時代後期は、およそ5cmになります。これが時代のスケール感です。」

武藤先生 「それでは、今回の旧石器時代と縄文時代はどれくらいのスケールなのかを体感してみましょう。縄文時代はおよそ9600年間でおよそ96cmあります。1万8000年間以上続いた旧石器時代は、180cm以上もあります。」

武藤先生 「日本列島に暮らした人の歴史の中では、文字で記録が残され始めた時代は、弥生時代の中頃です。ですから、旧石器時代からの歴史の中では、ごく最近である、ということが分かります。」

考古学の常識を覆した発見

武藤先生 「ところで、文字がなかった旧石器や縄文時代の人々の様子が分かるのは、なぜだと思いますか?」

詩乃 「発見された土器や石器から考えられるんですよね?」

武藤先生 「そうです。ですから過去の歴史を知る上で、遺跡や埋蔵品はとっても重要なんです。実は、日本列島に旧石器時代の文化があったことが分かったのは、昭和に入ってからなんです。それまでは、縄文時代の前の日本列島には全く人が住んでいなかったと考えられていました。そのため、発掘調査をしても、縄文時代より古い地層にあたると、そこで掘るのをやめていたんだそうです。その考えを覆したのが、相沢忠洋(あいざわただひろ)という日本列島の旧石器文化の存在を証明した人なんです。」

1946年、相沢忠洋は群馬県笠懸村(かさかけむら)の崖で石器を発見しました。
この石器は、その後の調査で2万4000年以上前のものとわかりました。
この小さな石器の発見によって、日本列島にも旧石器時代があったことが明らかになっていったのです。

武藤先生 「相沢さんは、納豆などの小間物を売り歩く行商人でした。大学とか研究所などに勤める考古学者ではありません。いわばアマチュア考古学者です。でも、豊富な好奇心と観察眼、行動力、粘り強さで石器を発見したんです。この発見をきっかけに全国で調査が進み、現在では5000か所以上の旧石器文化が確認されています。」

武藤先生 「相沢さんの発見をつづった本がありますので、ぜひ読んでみてください。そして、身近な遺跡に足を運び、いにしえの世界に思いをはせるのもよいかも知れません。」


それでは次回もお楽しみに!

科目トップへ

制作・著作/NHK (Japan Broadcasting Corp.) このページに掲載の文章・写真および
動画の無断転載を禁じます。このページは受信料で制作しています。
NHKにおける個人情報保護について | NHK著作権保護 | NHKインターネットサービス利用規約