くう ねる あそぶ こども応援宣言

2017年07月12日 (水)

育つってなんだろう?

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プレイワーカー 関戸博樹



私はプレイワーカーとして子どもたちが遊ぶ環境づくりを日々の仕事としていますが、現代の子どもたちにとっての「遊ぶ」って私が子どもだった30年前と比べるとかなり様子が違っています。

時にはこんな「遊ぶ」?もあるようです。
何をするかも決まっており、どんなふうにするかも決まっている。
加えて、遊ぶ時間も決まっていたり、遊んでいる時に多くの大人が手や口を出して危なくないように、そして失敗しないようにと関わってきます。

これは果たして「遊ぶ」と呼べるのでしょうか?答えは否。これは大人側が「遊ばせている」状態で、子どもは全くの受け身です。

 

そう、「遊ぶ」とは本来、「自ら選び、自ら方向づけることができ、本質的に自らの動機に基づく行動」です。要は「やってみたい!」という気持ちが沸き起こって、夢中になっていることです。どんな風にやるのも、失敗してやりなおすのも、はたまたやめてしまうのも、子ども自身の裁量で決められる自由さがそこにはあります。

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この違い、実は大きいのです。失敗や成功を繰り返しながらも、自ら遊んでいた人は、その後の人生においても、失敗した時の打開策を考えたり、他人に頼ったり、工夫を凝らしたりすることが容易にできます。しかし、受け身の遊ばせられる経験しかしてこなかった人は、困難が目の前に現れた時の対処の仕方がわからずに途方に暮れてしまうのです。

子どもは子ども自身の人生を生きています。その人が人生をどう生きるかが幼少期の遊びから形づくられていくのです。

遊びが大人の意図で加工され、子どもが自ら遊ぶことが難しくなっている昨今、更に私たち大人は、子どもの育ちにも様々な「評価」をするようになってしまっています。しかし、本来の子どもの育ちとはどんなものなのでしょうか?

私は長男(現在、小学校1年生)が1歳半の時から2年間、専業主夫生活をしていました。自分でできることも増えてきた長男の成長を喜ばしく感じる一方で、「できるようになること」への過度な期待もあった時期にこんなことがありました。

かかりつけの病院の待合室で愚図った長男に、たまたま居合わせたおじさんが話しかけてきてくれました。テキトーに絵本を読んだりしてくれるのを喜び、長男は落ち着きました。ありがたかったなぁとお礼を伝えて帰る時、上着のファスナーを自分でしめようとする長男におじさんがこう言ったのです。

「まだ、できなくたっていいじゃねぇか。なるべくゆっくり生きろよ」

「できるようになること」にばかり目を向けがちな日々にガツンときた一言でした。子どもの育ちとは、ゆっくりであり、その子自身の個性や置かれた環境で千差万別。「できない」という時期の価値を噛みしめました。

 

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私たち大人の寛容で温かなまなざしがあれば、子どもたちは遊びながらありのままの素敵な成長をしていきます。「遊びあふれるまちへ!」をキーワードに、子どもはもちろん、私たち大人自身にとっても遊べる社会をつくっていきたいものですね。



関戸博樹さん プレイワーカー、特定非営利活動法人 日本冒険遊び場づくり協会理事
2004年~2012年までの8年間、渋谷はるのおがわプレーパーク(東京都渋谷区)で常駐プレーリーダーとして従事。現在はフリーランスのプレイワーカーとして子どもの遊び環境向上のために、幼稚園や保育園の園庭改良や、主夫としての経験を活かした親向け講座などを行う。