平清盛は、太政大臣を辞任した後の1168年、51歳のときに、神戸の能福寺に出家しました。 そして翌年には福原に別荘を構え住まいとし、福原港を建設。日宋貿易を本格化させました。
瀬戸内航路の開拓により、当時、北九州までしか入港できなかった中国の大型交易船を畿内まで航行できるようにし、交易による経済発展を目指しました。
1180年、清盛は京から福原への遷都を強行しますが、わずか6カ月で還都します。
福原に都があった期間は短いものの、兵庫県内には今も、清盛ゆかりの地がたくさん存在します。
清盛が剃髪出家した天台宗の寺。 門前に鎮座する兵庫大仏は1891(明治24)年に豪商の寄進で造立されたが、太平洋戦争の折に金属回収令で供出された。永らく台座だけが残っていたが、平成3年に復元された。
【所在地】神戸市兵庫区北逆瀬川町
清盛塚は、高さ8.5mの石造十三重塔で、兵庫の地に葬られた清盛の墳墓ではないかと古くから伝えられていたが、のちの調査で墳墓ではないことが判明している。 琵琶塚はその形から、琵琶の名手だった平経正(清盛の弟の子)の塚ともいわれた。
【所在地】神戸市兵庫区切戸町
寺には平清盛の「経ケ島」築島にまつわる物語が伝えられており、境内には難工事を打開するために入海して人身御供となった松王丸の菩提を弔っている。浄土宗の寺。
【所在地】神戸市兵庫区島上町
746(天平18)年に行基が開山したと伝えられる時宗の寺で、福原遷都で御幸した後白河法皇を清盛が幽閉した「萱の御所(別名 牢の御所)」の跡が残っている。
【所在地】神戸市兵庫区今出在家町