新兵庫史を歩く 柏原藩織田家の栄光〜丹波市〜

新兵庫史を歩く 柏原藩織田家の栄光〜丹波市〜

県内の名所・旧跡・歴史を視聴者とともに訪ねてその土地の美しい自然、風土に触れながら郷土の歴史や伝統文化のすばらしさを紹介する「新兵庫史を歩く」。
第11回目は丹波市を舞台に、織田家の城下町として栄え、街並みに今もその名残が感じられる柏原町から、日本で最も中央分水界の標高が低い場所がある氷上町までを、丹波の色鮮やかな秋の風景を楽しみながら歩きます。

実施
平成18年11月11日(土)
放送日
平成18年12月8日(金)午後8:00〜8:43(総合テレビ・兵庫県内向け)

新兵庫史を歩く 柏原藩織田家の栄光〜丹波市〜 パンフレット ※こちらから地図をダウンロードできます。(PDF)

PDFデータをご覧いただくには、AdobeReaderが必要です。
お持ちでない方は、こちらのページへ。

コースのポイント

柏原藩陣屋跡(かいばらはんじんやあと)

柏原藩陣屋跡(かいばらはんじんやあと)

1714(正徳4)年に藩邸として造営され、1818(文政元)年に焼失後、再建されました。現存部分は再建当初の約5分の1で、書院・式台・玄関などが残っています。明治6年から昭和40年代頃まで小学校の一部として使用されていました。門の両袖が長屋のように仕切られているため「長屋門」と呼ばれている表御門は、焼失を免れ創建当時の姿を残しています。

木の根橋(きのねばし)

木の根橋(きのねばし)

昭和10年の建築である丹波市役所柏原支所の隣には、樹齢千年とも言われる高さ21m・幹回り8mの大ケヤキがあります。この巨木の根が、幅6mの奥村川をまたいで、自然の橋をつくっています。柏原のシンボルとして、住民に親しまれています。

織田神社(おだじんじゃ)

織田神社(おだじんじゃ)

織田信勝を祭神とする神社。信勝は8歳で柏原藩三代目藩主となりましたが、1650(慶安3)年に28歳の若さで亡くなり、嗣子が無かったのでお家断絶となりました。信勝の母が邸内に建てた霊廟が、文政年間に現在地に遷されました。社殿は昭和30年に改築されています。

太鼓やぐら(たいこやぐら)

太鼓やぐら(たいこやぐら)

藩政時代には大手門の付近にあったとされ、江戸中期に建てられたと考えられています。時報としての役割の他に、家臣の登下城・藩主の帰藩の合図・火事や出 水の災害などの合図としても用いられました。内部は3階建てになっていて、最上階に「つつじ太鼓」と呼ばれている大太鼓があります。

柏原八幡神社(かいばらはちまんじんじゃ)

柏原八幡神社(かいばらはちまんじんじゃ)

1024(万寿元)年に石清水八幡宮を勧請して別宮として創建され、今の社殿は1585(天正13)年に羽柴秀吉の命で再建されたものです。桧皮葺屋根の本殿・拝殿は国の重要文化財。境内にある三重塔は、別当寺院であった乗宝寺の宝塔です。神社で三重塔をもつのは珍しく、全国で18基、県内では3基のみです。境内にある末社の厄除神社では、毎年2月17日・18日に、日本最古の厄除け祭ともいわれる厄除大祭が行われます。

鳳翔寺(ほうしょうじ)

鳳翔寺(ほうしょうじ)

土地の富豪である前川家が総本山万福寺の木庵禅師の孫弟子・石門に懇請して開基した黄檗宗の寺。本堂は1684(貞亨元)年に完成したといわれています。額は総本山万福寺の木庵禅師の書。境内にあるツガの木は、寺の創建の頃に植えられたと考えられ、樹齢は三百年を越えると言われています。高さ25m・幹回り4.4mの大きさで市の天然記念物に指定されています。

いそ部神社(いそべじんじゃ)

いそ部神社(いそべじんじゃ)

水分れ公園に隣接する、和銅年間(8世紀初頭)の創立ともいわれる古社。もとは背後の剣爾山とその岩座を祀ったとされます。境内には数社の境内社があります。本殿の西側にある春日社と熊野社の社殿は、室町時代末の様式を示しており、桃山初期の建築と考えられています。
※いそ部神社の“いそ”の字は、漢字で「山石」を一字にした(山へんに石)字です。

水分れ公園(みわかれこうえん)

水分れ公園(みわかれこうえん)

丹波市氷上町石生を通る中央分水界(降った雨を日本海と太平洋に分ける線)は、標高95.45mと、本州一低いところにあります。水分れ公園はその本州一低い中央分水界の最東端にあり、水と親しみながら自然と触れ合うことが出来ます。公園内には、「水分れ」の地について詳しく学ぶことができる資料館もあります。

↑ ページの先頭へ