新兵庫史を歩く 祈りつながる巡礼の道〜宝塚市〜

新兵庫史を歩く 祈りつながる巡礼の道〜宝塚市〜

県内の名所・旧跡・歴史を視聴者とともに訪ねてその土地の美しい自然、風土に触れながら郷土の歴史や伝統文化のすばらしさを紹介する「新兵庫史を歩く」。
第17回の舞台は、宝塚市です。「歌劇の街」というイメージが強い宝塚ですが、その歴史は古く、「巡礼の道」として古来多くの参拝者に信仰されている寺社が数多くあります。今回は、その巡礼街道を中心に、寺内町として繁栄した小浜宿など、信仰とともに発展した宝塚の歴史を歩いてたどります。

実施
平成21年11月14日(土)
放送日
平成21年12月11日(金) 午後8:00〜8:43(総合テレビ・兵庫県内向け)

新兵庫史を歩く 祈りつながる巡礼の道〜宝塚市〜 パンフレット ※こちらから地図をダウンロードできます。(PDF)

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コースのポイント

木接太夫彰徳碑(きつぎだゆうしょうとくひ)

木接太夫彰徳碑(きつぎだゆうしょうとくひ)

山本は、坂上田村麻呂の子孫である坂上家が10世紀に園芸の礎を築いたといわれる植木の里です。木接太夫とは、安土桃山時代に画期的な技術「接木」を実用化した坂上善太夫頼泰に、豊臣秀吉が与えた称号です。このことを顕彰して大正二年に碑が建てられ、日本三大植木産地の一つである山本のシンボルとなっています。

松尾神社(まつおじんじゃ)

松尾神社(まつおじんじゃ)

安和年間に、坂上季猛が、先祖にあたる征夷大将軍・坂上田村麻呂(幼名・松尾丸)を祀って創建したといわれます。江戸時代には将軍交代の折に守護弓を献上し、明治時代初期までは通し矢の神事も行われていました。現在の本殿は寛文11(1671)年に再建された一間社流造で、市の文化財に指定されています。

天満神社(てんまんじんじゃ)

天満神社(てんまんじんじゃ)

延元年間(1336〜40)摂津国住吉郡吾孫子の豪族・若池貞満が、天満宮を奉じて祀ったといわれます。その後戦火で焼失し、天正年間に現在地に祀られました。本殿は寛文年間に再興された一間社春日造で、市指定文化財です。松尾神社と並んで山本の鎮守社であり、5年に1度「トントコ祭り」とよばれる神輿渡御が行われます。

中山寺(なかやまでら)

中山寺(なかやまでら)

聖徳太子の創建とされる日本最古の観音霊場の一つで、西国三十三所の第二十四番札所。本尊は平安中期作の十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として信仰されてきました。豊臣秀吉も中山寺に祈願して秀頼を授かったと伝えられ、現在の本堂は秀頼の命により再建されたものです。本尊および薬師如来坐像・聖徳太子坐像・大日如来坐像は国の重要文化財に、境内にある白鳥塚古墳(中山寺古墳)は県の史跡に指定されています。

中山荘園古墳(なかやまそうえんこふん)

中山荘園古墳(なかやまそうえんこふん)

昭和57年に発見され、調査により外護列石が6辺にめぐる八角形を意図した古墳と分かり、南側の横穴式石室の前庭部には祭祀施設と考えられる方形遺構も検出されました。当時の天皇陵とも共通する八角形の墳丘で全体の形が明らかなものは貴重であり、国史跡に指定されています。

売布神社(めふじんじゃ)

売布神社(めふじんじゃ)

推古天皇18年(610年)の創建と言われる、大国主命の娘・下照姫神とその夫・天稚彦神を祀る神社。下照姫神は、飢えと寒さに苦しむ人々に、稲を植え、麻布を織ることを教えたとされ、衣・食・財の神として信仰されています。夫婦の神を祀ることから、恋愛の神としても知られます。シイ林の社叢は市の天然記念物です。

小浜宿資料館(こはまじゅくしりょうかん)

小浜宿資料館(こはまじゅくしりょうかん)

小浜宿は、江戸時代には西宮街道・有馬街道・京伏見街道が通る交通の要所にある宿場町として、また、酒造りや大工の町としても栄えました。阪神・淡路大震災で多くの歴史的建築物が被害にあいましたが、地域の人々の努力で町並みが保存されています。山中家住宅の敷地を利用したこの資料館では、小浜の歴史を学ぶ事ができます。

毫摂寺(ごうしょうじ)

毫摂寺(ごうしょうじ)

明応年間(15世紀末)に創建された浄土真宗の寺で、ここから寺内町である小浜宿が発展していきました。秀吉が有馬湯治の際千利休を伴って宿泊し、茶を点てたという言い伝えが残ります。また、秀次もここに宿泊し、寺の娘を側室としましたが、秀次失脚後、毫摂寺も焼き討ちにあいました。現在の本堂は江戸末期建立のものです。

首地蔵(くびじぞう)

首地蔵(くびじぞう)

小浜から西宮に向かう「馬街道」の途中にまつられる、高さ約1メートルの首だけのお地蔵様。由来については様々な伝説が残され、「首から上の病気を治してもらえる」として参拝する人も多く見られます。昭和50年の火災で旧地蔵の顔が欠けたため、新しい御影石の地蔵が安置され、現在は2体の首地蔵が並んで祀られています。

旧和田家住宅(きゅうわだけじゅうたく)

旧和田家住宅(きゅうわだけじゅうたく)

江戸時代中頃までの建築と考えられる、宝塚市内最古の民家の一つ。片側土間に居室を平行して並べる摂津・丹波型と言われる建築様式の妻入角屋本瓦葺の住宅で、市有形文化財に指定されています。米谷村の庄屋であった和田家には多くの古文書も残され、地域の歴史をたどる上で貴重な資料となっています。

清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)

清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)

寛平8(896)年、宇多天皇の勅願寺として創建され、大日如来を本尊とする真言三宝宗の清澄寺と、鎮守社であり、かまどの神・三宝荒神を祀る荒神社が設けられました。厄除けの霊験で知られ、厄年を終えた人が納めた大量の火箸を見る事ができます。本尊の大日如来坐像のほか、千手観音菩薩像と釈迦三尊像の2点の絵画が国重要文化財に指定されています。また、日本画家・富岡鉄斎の作品を展示した「鉄斎美術館」も境内に建てられています。

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