新兵庫史を歩く 官兵衛ゆかりの宍粟市を訪ねて〜宍粟市〜

新兵庫史を歩く 官兵衛ゆかりの宍粟市を訪ねて〜宍粟市〜

県内の名所・旧跡・歴史を視聴者とともに訪ねてその土地の美しい自然、風土に触れながら郷土の歴史や伝統文化のすばらしさを紹介する 「新兵庫史を歩く」。
第27回の舞台は宍粟市です。宍粟市の山崎は、黒田官兵衛が初めて城持ち大名になった、飛躍の地です。 その歴史は古く、播磨国風土記にはすでに「宍粟」の地名が登場します。 一方、江戸時代は本多家が9代の長きにわたって治め、山崎で「お殿さま」と言えば、本多家をさすそうです。 古代・戦国・江戸と、三つの時代に出会う歴史の旅に、いざ、出発です!

実施
平成26年10月25日(土)
放送日
平成26年11月23日(日)午後1:05〜1:48
(総合テレビ・兵庫県内向け)

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コースのポイント

夢公園(ゆめこうえん)

夢公園(ゆめこうえん)

宍粟市役所の目の前にある市民憩いの公園。

青蓮寺(しょうれんじ)

青蓮寺(しょうれんじ)

徳川家康の妻(西郡の局)と娘(督姫)の菩提寺。当初は姫路市野里に建立されたが、初代宍粟城主となった池田輝澄(姫路城主・池田輝政の四男)が山崎町に移した。

大雲寺(だいうんじ)

大雲寺(だいうんじ)

1679年(延宝7年)に本多忠英(政貞)が山崎の城主になって以来、本多家の菩提寺に。山門は、大坂で活躍した山崎出身の豪商・千草屋が寄進したと伝わる。

興国寺(こうこくじ)

興国寺(こうこくじ)

三代宍粟城主の池田恒元が父利隆の菩提所とした寺。興国寺山門は18世紀初頭の建築とみられ、平成25年に宍粟市指定文化財に指定された。

篠ノ丸城跡(ささのまるじょうあと)

篠ノ丸城跡(ささのまるじょうあと)

地元の人が「一本松」と呼ぶ山の頂きに築かれた中世の山城で、1580年(天正8年)に羽柴秀吉の攻撃により落城。 黒田官兵衛は恩賞として秀吉から宍粟郡一職を与えられ、「山崎の城」を居城とした。この篠ノ丸城がそうであったとされる。

山崎八幡神社(やまざきはちまんじんじゃ)

山崎八幡神社(やまざきはちまんじんじゃ)

平安時代初期に創建されたと伝わり、戦国時代に秀吉の宍粟攻めで兵火が及んで一時衰退した。 播磨一国を治めた池田輝政以後、江戸時代を通じて代々の城主が、社領の寄進や建物の修復などの手厚い保護を行った。 境内には兵庫県指定文化財(天然記念物)のツバキ科の常緑樹「モッコク」のほか、江戸時代に奉納された矢数絵馬などが見られる。

山陽盃酒造・老松酒造(さんようはいしゅぞう・おいまつしゅぞう)

山陽盃酒造・老松酒造(さんようはいしゅぞう・おいまつしゅぞう)

『播磨国風土記』には、宍粟で酒を醸造したという記述がある。山崎では、江戸時代に酒造が盛んになり、現在も旧街道筋に並ぶ2軒の酒蔵が播磨の地酒を守っている。

紙屋門・山崎歴史郷土館(かみやもん・やまざきれきしきょうどかん)

紙屋門・山崎歴史郷土館(かみやもん・やまざきれきしきょうどかん)

いずれも山崎城跡にあり、紙屋門は山崎城の建物遺構として唯一残るもの。本多家山崎陣屋の本丸表門として作られた。
山崎城(鹿沢城)は、1615年(元和元年)に初代城主となった池田輝澄が築城。本丸を内堀で囲み、武家屋敷や外堀、諸門を配置して城郭を形成した。
山崎歴史郷土館には、城下町山崎の貴重な歴史資料が展示されている。

光泉寺(こうせんじ)

光泉寺(こうせんじ)

江戸時代、日本で初めて実測地図を作った伊能忠敬測量隊の別働隊が、山崎および近隣を測量。光泉寺に作業場を設けて作図したと伝わる。

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