新兵庫史を歩く 少年武蔵と佐用都姫の里~佐用町~

新兵庫史を歩く 少年武蔵と佐用都姫の里~佐用町~

県内の名所・旧跡・歴史を視聴者とともに訪ねてその土地の美しい自然、 風土に触れながら郷土の歴史や伝統文化のすばらしさを紹介する「新兵庫史を歩く」。
第1回目は佐用町が舞台です。武蔵と佐用都姫ゆかりの地、自然と今も残る古い町並みの美しい佐用町の史跡や名所の数々を歩きます。

実施
平成15517日(土)
放送日
平成15530日(金) 午後8:00~8:43(総合テレビ・兵庫県内向け)

新兵庫史を歩く 少年武蔵と佐用都姫の里~佐用町~ パンフレット

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コースのポイント

大イチョウ(おおいちょう)
樹齢一千年を越すといわれ、兵庫県の天然記念物に指定されています。 言い伝えでは、「この地には『満願寺』という寺があり、1441年の嘉吉の乱の際に焼けたが、イチョウの木だけが残った」とされています。

佐用都比売神社(さよつひめじんじゃ)
佐用都比売命を祀る神社で、佐用郡の産土神として崇められています。 現在の本殿は元禄14年(1701年)に時の領主松平氏が再建したものです。 若き日の武蔵は、この神社で武運を祈願した後に、諸国への武者修行に出発したと言われています。

宮本武蔵初決闘の場・金倉の六地蔵(みやもとむさしはつけっとうのば・かなくらのろくじぞう)
慶長3年、武蔵13歳の時。新当流の達人の有馬喜兵衛と金倉橋のたもとで初決闘。 喜兵衛を倒して、旅に出たとされ、「武蔵血闘の場」の碑が建っています。 また、橋のたもとは平福藩の刑場だったといわれ、供養のための六地蔵が建てられています。

宿場町平福(しゅくばまちひらふく)
平福は、慶長年間に城下町として現在の町並みが形成され、その後、因幡街道の宿場町として栄えました。 平福の名主・田住政之と再婚していた継母・率子を慕って、少年武蔵は大原から釜坂峠を越えて、しばしば平福を訪れたとされています。

利神城(りかんじょう)
利神城は戦国時代まで、赤松一族の別所氏の居城でした。 関が原の戦の後は、姫路城主・池田輝政の甥・池田由之が広壮な城郭を造営し、 特に三層の天守閣は「雲突き城」と呼ばれるほどの威容を誇りましたが、寛永8年(1631)に廃城になりました。

陣屋門・正覚寺(じんやもん・しょうがくじ)
池田氏転封の後に平福藩は松平氏の代官支配となります。 現在、代官所の玄関は正覚寺に移築され、松平氏の位牌も祀られています。 また、正覚寺の隣には元治元年(1864年)に築かれた陣屋門も残されています。
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