新兵庫史を歩く 天空の城 古の栄華をたずねて~朝来市~

新兵庫史を歩く 古の栄華をたずねて~朝来市~

県内の名所・旧跡・歴史を視聴者とともに訪ねてその土地の美しい自然、 風土に触れながら郷土の歴史や伝統文化のすばらしさを紹介する 「新兵庫史を歩く」。
第23回の舞台は朝来市です。午前は歴史と文化の薫る寺町通りを練り歩き、法樹寺や常光寺、表米神社などを巡ります。 そして午後は、竹田のシンボル「竹田城跡」への本格登山!? お弁当をしっかりと食べて、エネルギー充電!安全第一を心がけ、みんなで頂上を目指しましょう!

実施
平成241027日(土)
放送日
平成241129日(木)午後10:00~10:43(総合・兵庫県内向け)

新兵庫史を歩く 天空の城 古の栄華をたずねて~朝来市~ パンフレット

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コースのポイント

寺町通り(てらまちどおり)
竹田城跡のふもとに広がる、落ち着いた雰囲気の歴史散策路です。 約600mの通りには4寺院が甍を並べ、松並木がつづく小道に沿って流れる竹田川には錦鯉が泳いでいて、 現代に残る城下町の風情を伝えています。 寺院の前にある虎臥城公園(こがじょうこうえん)の先を進んでいくと、 丘の上に表米神社(ひょうまいじんじゃ)が建っています。

法樹寺(ほうじゅじ)
寺町通りに並ぶ4寺院のひとつ。1578年(天正6年)に創建され、1606年(慶長11年)に現在の地に移ったと伝わっています。 本堂裏手には竹田城最後の城主だった、赤松広秀の供養塔があります。 龍野城主だった広秀は、豊臣秀吉の家臣となって戦功を積み、1585年(天正13年)に竹田城主となりました。 その後、徳川家康の禁忌に触れ、39歳で自刃しました。

常光寺(じょうこうじ)
1594年(文禄3年)に創建され、1610年(慶長15年)に現在の地に移ったと伝わっています。本 堂内陣の天井は華麗な花絵で飾られています。 裏手には、初代城主と伝えられる太田垣光景(おおたがき みつかげ)の供養塔が建っています。 また、本堂には現住職が撮影した竹田城跡の写真が展示されています。

表米神社(ひょうまいじんじゃ)
格技を好んだという表米宿禰命(ひょうまいすくねのみこと)が祀られています。 境内に設けられている相撲桟敷は半月形で6段の石積み型となっており、全国的に見ても珍しい形態となっています。 また、その正面には舞台もあり、農村歌舞伎の見物席などにも使われました。

旧街道(きゅうかいどう)
南北約1㎞にわたり、竹田地区の伝統的な家屋が続きます。 切妻造り平入り中2階建てで、1階は格子で2階は虫籠窓が多く、竹田の特徴である茶系の土塀が、通りに落ち着いた雰囲気を醸し出しています。 大正時代までは、旅館、料理屋、茶屋、漆器や家具の店などが軒を連ねていました。現在でも当時の面影が残されています。

竹田城跡(たけだじょうせき)
室町時代中期の1400年代の半ばに築城が始まったといわれます。 天主台は標高353.7mの山頂に位置し、その形から別名「虎臥城(とらふすじょう)」とも呼ばれています。 南北400m、東西100mに広がり、その石垣は全国屈指のもので、織田信長の安土城と同じ技術で積まれています。 その技法は、「自然の石と石の声を聞きながら積んでいく」と言う、近江穴太衆(おうみあのうしゅう)の手によるものです。 初代城主は山名氏家臣の太田垣光景といわれ、その後も7代にわたって太田垣氏が城主でしたが、 1577年(天正5年)に羽柴秀吉の弟秀長により、3日間で攻略されました。 落城後、1585年(天正13年)には龍野の赤松広秀の預かりとなりなりました。 赤松氏により城郭の修築工事が進められ、現存する石垣遺構はその時に完成されたものです。
また、秋から春にかけての早朝には町を雲海が包み込むことがあり、 竹田城が雲海に浮かび上がる美しい景色は、竹田の「シンボル」となっています。
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