2023年07月06日 (木)朝来市生野町に伝わる珍しい七夕飾り
兵庫県の皆さんお久しぶりです。
リポーターの大橋未帆です。
あす7月7日は、七夕の日ですね!
皆さんはどんな願いごとをしますか??
私はというと、ほぼ毎年のように「ダイエットが成功しますように」と願っています☆
ジムに通って頑張ってはいるんですけどね。でもなかなか(^^;
さて、7月3日(月)の「知っとぉ?兵庫」は、七夕にちなんだ話題お伝えしました。
訪れたのは、かつて銀山の町として栄えた、朝来市生野町。
七夕と言うと、短冊に願い事を書いたものを飾る風習がありますよね。
ここでは、ちょっと珍しい七夕飾りが伝わっていると聞き、
地元の人から親しまれている、カフェに向かいました。
七夕飾りの準備をしていたのは、カフェで働く、斉藤敬子(さいとう・けいこ)さんです。
大橋「見たことがないものがあるんですけども、これ着物の形ですよね」
斉藤さん「これ紙衣(かみごろも)っていうんです」
大橋「いやあ華やかですね。ぱっと明るい雰囲気が漂っていますね」
生野町の七夕飾りの特徴は、この紙衣。
“七夕さんの着物”とも呼ばれています。
千代紙や色紙を折ったり切ったりしてできていて、丈は30センチほどもあります。
2本の笹竹の間に細い竹竿などを渡して、並べていくものです。
華やかで涼しげですよね。
斉藤さん「生野独特な飾り方ですね。子どもたちが元気に育ちますように、着るものに困らないようにという願いを込めてこういう紙衣を飾るそうなんです」
50年前、生野町に嫁いだ斉藤さん。
当時、紙衣の風習は知らなかったと言います。
斉藤さん「一本だけの笹でやってましたんで。生野の七夕っていうのがあるんだよということを教えていただいてそれから始めたんです」
紙衣の由来について詳しい人に会いに、姫路市の日本玩具博物館に向かいました。
尾﨑織女(おさき・あやめ)さんです。
誕生日が旧暦の七夕にあたることから名前の由来は「織姫さん」。
そんな縁もあって七夕を研究したんだそうです。
生野町の旧家から出てきたという昔の紙衣を見せていただきました。
尾崎さん「なんてきれいなものなんだろうと思って非常に感激しました。お蔵に眠っていたものがたまたま出てきて光を浴びる機会がありました。そんな折にご縁があって、わたくしどもの博物館に頂戴したものなんですね」
大橋「すっごく貴重なものなんですね」
江戸時代までは七夕の日に着物を飾る風習が各地にありましたが、
この地域では、明治以降、紙衣を飾るようになったと言います。
これは全国的にも珍しいんだそうです。
尾﨑さん「生野地域というものには銀山を持っているということで東京の文化や京都の文化が生野町に入ってきて、昔々江戸時代に行われていたような(本物の)着物を飾るような七夕さんの形をお伝えになられたのではないかなと想像できますね」
明治・大正にかけて紙衣は盛んに飾られていましたが、
昭和50年頃にはこの地域でも見られなくなったそうです。
尾﨑さん「こういうのご存じですか?と聞いて歩いたりしたこともあります。皆さん、昔あったけれども今は飾らないというような言葉が多くて、もう廃れてしまったのかなと残念に思うと同時にこんなにきれいなものが生野によみがえってくればいいなという思いを強く持ちました」
尾﨑さんの呼びかけもあり、
今では町の観光施設などで紙衣が見られるようになってきています。
さらに、ことしから紙衣の作り方講習会も始まりました。
私も参加させていただきました。
意外と簡単だったので、不器用な私でも楽しく作れましたよ。
まずは、千代紙を半分に折ります。
次に着物の型を取って、袖や身ごろを切り出します。
襟元をV字に切り込んで形を整えて・・・
最後に、好きな形に帯を張り付けて完成です!
子どもたちも楽しそうにアイディア満載の紙衣を作っていました!
私が作った紙衣はというと・・・こちら!!
帯の部分がソフトクリーム型になっているのが特徴です。
どこがソフトクリームか分かりますかね??
夏っぽく涼しげな雰囲気を表現しました(^^)
生野町の七夕の紙衣。
一度は途絶えた風習が若い世代にも受け継がれています。
生野町の皆さん、取材にご協力いただきありがとうございました。
7月8日(土)には、生野町の七夕飾りが見られるお祭り「銀谷(かなや)の七夕」が行われます。
紙衣で彩られた町を見に、足を運んでみてはいかがでしょうか。
最後になりますが、7月4日(火)は、
NHK大阪で放送している、ほっと関西のコーナー「ええやん!関西」に初出演しました!
とっても明るい和やかな雰囲気の番組で楽しい放送でした(^^)/
投稿者:大橋 未帆 | 投稿時間:18:00