2017年09月14日 (木)はじめてのシュウ


秋、なんですよね。

皆さんには秋の足音が聞こえますか。

残念ながら私の耳にはほとんど聞こえません。

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しかしながら毎度おなじみ生田神社の桜の葉は、

少しずつ色づき始めていました。

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いつの間にかススキまで。

 

神戸で迎える、初めての秋。

先日、休みなく働くエアコンを試しに切って就寝したところ、

全く眠れませんでした。

結果、自宅のエアコンは現在、フル稼働中です。

周囲には驚きを通り越して絶句されています。

 

「眠れないよおおる、暑さのせいだよおお」

そんな9月です。

 

「“○○の秋“と言えば××さんはなんですか?」

各地で交わされているであろうこの言葉。

ご多分に漏れず、私も年に1度はお世話になったように思います。

しかしながら、いやいや、

秋だからと言って何かに乗り出した経験はありません。

ことしはぐっと飲み込んで、

垂水キャスターと対峙しようと思っております。

「我慢の秋」です。

・・・あ、さっそくつまずいてしまいましたね。

 

秋の夜長を考えている皆さんに、番組のお知らせです。

16日(土)の「ラジオ深夜便」午前4時台。

「明日へのことば」のコーナーで、インタビューを放送します。

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宝塚市在住の竹林ヨシミさんです。

竹林さんは、100年を超える歴史をもつ宝塚歌劇のステージに立った、

元タカラジェンヌです。

1940年に歌劇団員を養成する宝塚音楽学校に入学。

そして1943年に入団し、初舞台を踏みました。

しかし、翌年、太平洋戦争の激化とともに

宝塚大劇場が閉鎖となり、海軍に接収されます。

 

竹林さんたちは象徴である「緑の袴」を紺色の制服へと替えて、

「移動隊」として全国各地の兵舎を慰問しました。

戦後も、竹林さんは再開した舞台に立ち、

復興の歩みを始めた人々に希望を届けました。

 

戦中、そして戦後。

いつの時代も人々に夢を与え、

勇気づけ続けた元タカラジェンヌ、竹林ヨシミさんにお話を聞きました。

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この夏、竹林さんのもとにほぼ毎週、

合計すると10数回にわたって伺いました。

うだるような暑い日も、台風が近づく雨の日も、

いつも笑顔で、いつも温かく迎えてくださいました。

 

戦中、戦後を生きたタカラジェンヌ、竹林さんの

強さ、しなやかさを感じていただけたら幸いです。

投稿者:片山 智彦 | 投稿時間:17:50

コメント

神戸は暑いんですね。山形は涼しくなって来ましたよ。私はここ数日体調を崩してました。真っ黒に焼けましたね。冷房には気を付けて下さいね。

投稿日時:2017年09月14日 20:04 | はるか

おはようございます。今朝、竹林ヨシミ様のインタビュー楽しく聴きました。何日も,通われて編集されたのですね。やはり、知覧での特攻隊員との出会い別れのお話が、胸を打ちました。

 私は,郷里の金澤で、戦時中、幼稚園に通っていました。行き帰りに、空を飛ぶ飛行機を見ると、塀に寄り添い隠れていた記憶があります。空襲警報、警戒警報のサイレンが鳴ると、夜中に起こされて、防空ずきんをかぶり、小さなリュックを背負い、母に手を引かれて、郊外の競馬場(?)近くまで避難しました。

 そして、強制疎開で能登半島へ行き、終戦の翌年に輪島で、小学校へ入学しました。戦後の食糧難をはじめ、多くの不自由の中で育ちました。
今の平和は、過去の多くの犠牲の上にあることを忘れてはいけません。

 竹林様もおっしゃってましたが、多くの素晴らしい方々が,戦争のために命をなくしました。今生きている私たちは、この平和であることを、未来に引き継ぐため、声を上げなければと,改めて感じたインタビューでした。

投稿日時:2017年09月16日 05:40 | 高口龍介  (こうぐち・りゅうすけ)

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