北九州・筑豊と太平洋戦争
太平洋戦争が始まって70年。戦争を体験した人々の証言がますます貴重なものになろうとしています。私たちの地域の戦争体験を語り継ぐためにこのサイトを開設しました。
私たちの暮らす北九州・筑豊地域は、戦争遂行に欠かせない鉄と石炭の最大の供給地域でした。小倉には「陸軍造兵廠」がおかれ、4万人もの人々が動員されて、戦車や機関銃、砲弾などを製造していました。
それだけに、太平洋戦争終盤になると連合軍の空襲の大きな目標となったのです。昭和19年6月、八幡製鉄所はB29による日本本土戦略爆撃の最初の標的になり、終戦直前の昭和20年8月には、八幡市街地が焼い弾による無差別爆撃を受けました。
一方、筑豊では、太平洋戦争がはじまると、戦争遂行を推し進めるための石炭増産が強く求められました。朝鮮半島から連れてこられた人や連合軍捕虜も動員されて、人々は炭鉱での過酷な長時間労働を強いられました。
こうした戦争の体験や、当時の地域の様子を伝える映像をご覧ください。
閲覧上のご注意
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B29の空襲を受ける八幡製鉄所(昭和19年6月)

